大学院生等に対する研究活動助成・研究実績の概要一覧

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平成28年度

相田 豊(東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻)
モノをめぐる競争と協力の人類学的研究―ボリビア伝統楽器の製作・品評・演奏を事例として

 ボリビアの伝統楽器の製作、品評、演奏を分析するというテーマに基づいて、調査を行った。当初の計画では、伝統楽器チャランゴの製作者が集住しているコチャバンバ県のアイキレ(調査地a)のみを調査する予定だったが、現地調査を進めるうちに、アイキレ出身者がチャランゴの材料となる木材の生産地である熱帯地域のサンタクルス県に移住していることが分かり、その集住地域であるパイロン(調査地b)も研究の対象とした。また、アイキレを他の主立ったチャランゴ製作地 と比較する目的から、隣県であるポトシ県のポコアタ(調査地c)でもアイキレと同様の調査を行った。
 アイキレ(調査地a)とパイロン(調査地b)においては、製作、品評の側面を中心として調査を行った。ライフヒストリー調査を中心に18名の製作家にインタビューを実施し、製作者間の相互扶助制度や徒弟制度のあり方を明らかにすることができた。また製作者の生業構成のセンサス調査・職業観の聞き取り調査も行った。またこれまで明らかにされてこなかった、楽器の製作過程や、材料の入手先、製品の販売先などの具体的な経済過程を明らかにした。
 また、ポコアタ(調査地c)の調査を通じて、主に演奏の側面を見ることができた。具体的な祭礼に参加し、その具体的な進行を観察すると共に音楽にまつわる儀礼的な側面や、精霊信仰の口承文芸を採集した。また、聞き取り調査から、労働交換(アイニ制)、季節移動(垂直統御)、物々交換(トゥルエケ制)などアンデス先住民共同体に特有とされるシステムと音楽実践との関連、 また、耐久消費財の取得、所有、放棄に関する制度のあり方についてについて、データを集め視点を確立することができた。
 以上の調査により、伝統楽器をめぐるアンデス先住民の多様な交渉のあり方を明らかにするための基盤となるデータを集めることができた。
伊藤 梢(金沢大学大学院 人間社会環境研究科)
現代の茶道を場とした「作る」・「選ぶ」行為における人とモノの研究―生成する茶道具から見る「伝統」の現代的諸相

 本研究は、現代の茶道に関わる人々を対象とし、近代以降伝統としての認知を得た茶道の現代における様相を、人とモノの関係性が織りなす動態の場として捉えることを目的としている。当初、英国での中期の調査を予定していたが、 国内におけるインフォーマントの充実により、大幅に滞在を短縮した。本研究において特に注目したのは、亭主としての一度の茶会の準備と実施、および客としての準備と実施である。申請者は一茶道流派の地方支部において日常の稽古に加え、勉強会、茶会の準備から実施までに複数回参加し、茶会を通して出会った他流派の茶人らとも関わりを持ち調査を実施することができた。 茶道具を製作する作家へのインタビューも、継続的に行なっているが、こちらに関する考察は博士論文執筆への課題としたい。
 研究計画の段階では、作る・選ぶという行為に焦点を当てていたが、調査を経た上では、むしろ「使う」という行為の持つ意味を注視することとなった。茶会を儀礼としてみる人類学的先行研究では、 茶会は記号の集合体として形而上的な世界を体現するものとして分析されていた。だが申請者の考察における茶会とは亭主による一方的な記号の集合体の提示ではなく、亭主と客が互いに実施し合うものであった。 茶道具は、眼前のモノに対する客の仮設的推論が亭主の意図と会話を通して出会う瞬間に、その結節点として亭主の行為主体性の媒介となる。茶会におけるモノ、また茶会自体の生成とは、行為主体性の媒介としてのモノを介した会話による亭主と客のコミュニケーションによって、瞬間的に生じるのである。 茶会の実施のためにモノを「使う」ということは、亭主と客の双方が意図の網を張り巡らせることであり、茶会の一回性においてそれらが出会う瞬間、モノが茶道具として、空間が茶会として現前する。こうした意味で、道具を選ぶ・作る行為すらも包括する、茶人による「使う」という行為を明らかにした。
宇田川 彩(国立民族学博物館 外来研究員)
書物の民・身体の民―― ユダヤ人をめぐる二つの視角をめぐる文化人類学的研究

 『書物の民・身体の民―― ユダヤ人をめぐる二つの視角をめぐる文化人類学的研究』をテーマとして、学会発表と論文執筆を中心とした研究活動を行った。ユダヤ教のテクストの継承をめぐっては、「書物の民」としての共同体は、ユダヤ史の転換点である同化・解放を経て解体されたが、刷新される儀礼やテクスト解釈の伝統は現代的な形で残っている。 その伝統のひとつとして、アルゼンチンのユダヤ人の記憶と知を包括的に継承することを担保する「アーカイブ」のシステムが挙げられる。ブエノスアイレスのユダヤコミュニティを分断する宗教派/世俗派は、それぞれが異なるユダヤ性を正当化しながら、相互に分断された「アーカイブ」を継承している。以上については、日本文化人類学学会(5月)において口頭発表として報告した。
 また、世俗派のユダヤ教の一部には、伝統的なユダヤ教テクストから離れたオルタナティブなユダヤ教の在り方も出現している。このグループでは、ユダヤ系の出自を持つ人は約半数にとどまり、エスニシティや出自にメンバーシップを限らず、自己探求を通じてユダヤ教テクストとの新たな関係を模索する。この点についてはAssociation of Jewish Studies年次大会(12月)で口頭発表を行った。
 他方で、ユダヤ人の「身体性」は、人種論とのかかわりとともに、古典的なユダヤ論の一テーマであった。現代、新生殖医療をめぐって血や遺伝子の問題が再浮上し、ユダヤ人の身体性が再び注目を集める。とりわけ、ジェンダーに注目すると、女性を通して伝えられる伝統(食べ物、料理、血)の世界と、男性を通して伝えられる伝統(「書物の伝統」や、姓名)というユダヤ的な特徴が見受けられる。 こうした身体性は、ユダヤ的な親族論(母方の「血」の継承によりユダヤ性が定義される一方で、居住の問題が決定的な重要性をもつ)の現代的な形であるといえる。これら二つの議論を総合した博士論文を、2017年4月に提出予定である。
大岡 響子(東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻文化人類学コース 博士課程)
「日本語世代」の現在/過去をめぐる民族誌的研究 −台湾におけるメディア・言語・ジェンダー−

 報告者は、植民地期台湾に日本式の教育を受けた台湾の「日本語世代」と称される人々の連続的/非連続的な日本語使用のひとつの背景として、植民地期の雑誌メディアを通じた日本語との接触・受容に着目し、以下の3つを主軸として調査を行った。
  1. 現在「日本語」を使用して俳句や短歌を詠む活動をしているグループへの参与観察
  2. 1.のグループ参加者の読書歴を中心としたインタビュー
  3. 植民統治期の台湾内で刊行・移入された日本語雑誌に関する文献調査
 2016年7−8月にかけてフィールド調査を行い、文献調査はフィールド滞在時と国内においてすすめ、以下の成果を得た。
  1. 1920年代の台湾人によるメディアの展開期、1930年代以降の新聞・雑誌の「大衆化」の急速な拡大期の背景には就学率の上昇があった。一方で、台湾内で大正期以降に刊行された児童向け雑誌は定着せず、学齢期の読物は「内地」から移入されたものであったと考えられる。
  2. インタビューを通じては、「内地」の雑誌を読んでいた事例が多くみられた。特に『少年倶楽部』で連載されていた漫画「のらくろ」を楽しみに読んでいたことが複数の発話から明らかとなった。
 植民地期台湾の「日本語」の対象化する際には、教育制度や政策、またそれらの同化主義的側面を指摘した論考は蓄積されてきたが、本調査では選択性の高い雑誌という「日本語」メディアが日常の中にどのように入り込み、彼ら/彼女らの「日本語」を形作ってきたのかに着目した。 近代以降の「日本語圏」の動態とその後の「日本語世代」における「日本語」の関係を考察していくうえで、本調査をさらに進展させていく必要がある。
 また、上記の調査と並行するかたちで『黄旺成先生日記』の調査を行い、植民地台湾において日本語を(で)「読むこと」と「書くこと」の言語使用の相関についての報告を2016年9月の学際シンポジウム「近代日本の日記文化と自己表象」において行った。
岡田 朋子(国立民族学博物館 外来研究員)
インドにおける「ジャーティ」の区分を揺るがす名付け、名乗りについて

 本研究は、インドにおけるジャーティ(多種多様な「人の種類」、いわゆるカーストが参照する土着の集団単位)の区分と密接な関わりを持つ名前の調査を通し、ジャーティの可変性、操作可能性の一側面を描き出すことを目的とした。
 本助成を受けて、MP州の農村においては、同じジャーティの人々が異なるサーネームを名乗っている現象の、インド各地から様々なジャーティの人々が集うデリーの国立大学においては、名前の確定プロセスの調査を行うことができた。その結果、以下のことが明らかとなった。
  1. インドではいくつかの公的な書類の提出によって、個人の名前が公に確定していく。最終的には10年生の試験の結果の書類に記された名前が、その後の登録名となる。それゆえ、親のみならず本人の自己認識が、名づけ・名乗りに反映される。ただし、近年の出生届の普及、および幼少期からの身分証明カードの徹底化により、生まれたときから子供の名前について考える必要が出てきている。
  2. ジャーティの存在は人々に誇りとアイデンティティを与える一方、ジャーティシステムと結びついた差別は多くの人に社会悪として捉えられており、そのことが人々の名付け・名乗りにも影響を与えている。具体的には、@上位のジャーティだと見られたいという意識と同時に、Aジャーティシステムに反対しているという「進歩的な」姿勢も見せたいという相矛盾した意識が働いている。そこでは、下位のジャーティの人々が上位ジャーティ名をサーネームとして用いたり、あるいはあえてジャーティ名を隠して名前を登録するといった行為が観察される。
  3. ジャーティを隠すという試みに対して、「本当のアイデンティティ」は何かを確認しようという試みが、特に上位者の方からなされる。様々な知識の総体として本当のアイデンティティはあぶり出される。一方下位者の方もまた、秩序を維持するのを是とする考え方を持っている。
後藤 健志(筑波大学大学院人文社会科学研究科 歴史・人類学専攻 一貫制博士課程5年次)
ブラジル・アマゾンにおけるポセイロ(土地占有者)たちの生活実践に関する人類学的研究:マト・グロッソ州北西部の入植地を事例として

 本研究では、ブラジル・アマゾンの熱帯林地域におけるポセイロ(土地占有者)たちの生活実践に関して、現地調査を実施した。計画段階ではマト・グロッソ州の@北西部のみを調査地に設定していたが、 計画の実施にあたっては同州のA北部でも調査を行った。@に関しては、国立植民農地改革院(INCRA)によって1990年代に設立された大規模な入植地を対象に、Aに関しては、同機関の農地改革のモデルを模倣して、 ポセイロたちが2000年代に非公式に設立した中規模の入植地を対象に、それぞれ調査を行った。調査では、現地に滞在しながら、?参与観察、?聞き取り、?文書収集を実施した。
 研究計画で提示したとおり、調査では、ポセイロたちの(1)占有と移動のパターン、(2)自由をめぐる価値体系、そして、彼らのこうした行動と観念の両者を許容する(3)生態学的条件との関連性に焦点を当てデータの採取を行った。 調査を通じて明らかになったのは、以下の点である。@とAの調査地では、入植地が設立された経緯は異なるものの、そのいずれにおいても、ポセイロたちは共通の理論と手法にもとづき、 土地の占有を通じた擬制的な私的所有地の作成に従事している。私的所有地とは、つまりは個人の裁量によって売買可能な商品である。ポセイロたちが作成した所有地をめぐっては、生産手段を持たない者からそれを持つ者へ、 そして後者の間でも、劣位な者からより優位な資本力を持つ者へと向かって、売買が繰り返されて行く傾向がある。
 すなわち、本調査を通じて導き出されたポセイロたちに関する理解とは以下の通りである。ブラジル・アマゾンで現在進行形の過程として促進されている植民地化とは、西欧由来の社会契約というフィクションにもとづき、 自然の収奪を無尽蔵に進めて行くことを可能とする企図であり、ポセイロたちはこのゲームのルールに忠実に則りながら、土地(=自然)の私有財産化という自らのプロジェクトを実行している。
中野 隆基(東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻文化人類学コース博士課程1年)
ボリビア東部低地におけるベシロ語の生成に関する言語人類学的研究

 報告者は、南米ボリビアのサンタクルス県チキタニア地方、特にサンイグナシオ市とコンセプシオン市を中心とする地域にて、当地の言語使用状況と国による先住民言語政策の実情を調査した。 主な対象は、植民地時代に福音の言語として成立した先住民言語ベシロ語と、その使用集団とされる先住民チキタノに帰属する活動家や学校教師、政治家など、ベシロ語を現在とりまく諸行為者である。 調査の結果、以下のことが明らかとなった。
  1. ベシロ語の制度化の過程を聞き取りと文献調査から調査した結果、ベシロ語の書記体系の統一化と諸地域変種の多様性の保持を巡る問題が浮上していることが明らかとなった。 チキタノ先住民組織の本部がありベシロ語政策の中心地域であるコンセプシオン市では、ベシロ語話者が集中している近隣のロメリーオ地域出身の活動家・政治家・教師がベシロ語政策の中核を担っている。 そのため、ベシロ語はロメリーオ地域変種をモデルに書記体系の整備が行われた。しかし、別の地域変種が使用されるサンイグナシオ市でベシロ語教師に聞き取りを行ったところ、 これはロメリーオ地域中心主義として批判され、彼女は自身の授業でその批判を生徒に主張していた。
  2. 家庭による差はあるものの、ベシロ語が使用される文脈は(1)村落共同体から50代以上の高齢者が訪問し、かつホスト側に50代以上の話者がいる場合、(2)地元でカトリックの祭りの際に実践される「説教」と呼ばれる儀礼的発話を含む宗教的文脈、 (3)学校教育、(4)ベシロ語政策の立案過程、にほぼ限定される。そこで、言語復興の重要な契機として学校でのベシロ語教育が期待されているが、ベシロ語にはない数詞の新義語がベシロ語として生徒に教えられ、 逆にベシロ語にある包含的一人称複数形が消去されて生徒に教えられるなど、ベシロ語政策は新たな局面を迎えている。
平野 智佳子(神戸大学大学院国際文化学研究科 文化相関専攻文化人類学コース 博士後期課程)
オーストラリア北部準州におけるアボリジニの飲酒実践に関する人類学的研究

 本研究では、先住民アボリジニへの飲酒規制が施行されているオーストラリア北部準州において、酒を飲み続けるアボリジニたちの実践を調査し、彼らがいかに飲酒規制をすりぬけているかという点について、 主に辺境のアボリジニコミュニティに暮らすアボリジニの立場から検討した。その結果、次のような点が明らかになった。
  1. 使途制限が課せられた福祉給付金に代わり、アボリジニ・アートの売上が酒の資金源となっている。人々は熱心に制作、販売に取り組むが、それは必ずしも資本主義的な経済活動と一致しない。 アートの制作、販売は「デマンド・シェアリング」と呼ばれるアボリジニ社会に特徴的なモノのやりとりの上に成立し、これらの社会的なやりとりが繰り返される中で親族関係が維持、強化される。
  2. 現金があっても酒屋に入店できないアボリジニたちにとって、酒屋に入店できる人々の協力は不可欠であり、個人的なつながりのある白人や混血のアボリジニを頼って、酒を横流ししてもらうことが多い。ただし、 これらの行程は単独ではなく、親族の小規模集団によってなされる。協力者を探す集団が示す親密性、機動性、即時性といった特徴は、狩猟採集時の行動の特徴と類似する。
 以上のことから、飲酒規制をすりぬける過程においてアボリジニ特有のモノのやりとりや人間関係、狩猟採集の行動様式が持続していることが指摘できる。これまでアボリジニの飲酒問題に関する議論では、 近代化や貨幣経済の浸透によるアボリジニ社会の機能不全や文化喪失がその前提とされてきた。この背景には被入植者であるアボリジニの長い抑圧の歴史への憂慮がある。しかし、それにより議論が社会変化に収束し、 持続という点が看過されてきた。今後は今回得られた知見から変化の中の持続について考察を深め、アボリジニが直面する植民地主義の新たな局面を明らかにしていく。
 なお、博士論文の執筆の予定から調査期間をやむなく変更、短縮した。
藤井 萌子(京都大学 人間・環境学研究科)
カナダ・北西海岸芸術の制作活動と「先住民性」の生成

 本論は、北米を代表する民族芸術である北西海岸芸術を、「民族芸術」という枠のみに囚われずに捉え、美術学校で伝習される身体化された知識や技能に着目し、それらを伝える社会的・文化的背景や、 その伝習や実践によって形作られる北西海岸芸術の内実に迫っていくことを目的とする。
 一般的に民族芸術は、西洋のアートワールドが、非西洋地域の物質文化を一方的に価値づけ分類する「芸術=文化システム」に基礎づけられた芸術市場に編入されて成立した経緯をもつ。そのため、 西洋が消費者かつ芸術の正当な理解者だという暗黙の前提のもとに発せられる期待―本論では「先住民性」と表す―のもとに成り立ち、民族芸術制作者の制作行為の起点ともなっている。 しかし、民族芸術を西洋の消費者との関わりのみを前提に論ずると、「芸術=文化システム」で分類される「芸術」か「文化的器物」か、つまりは西洋対非西洋という二項対立の再生産に陥ってしまう。
 筆者は、「芸術=文化システム」に作品が組み込まれる前の段階、実際の作品が完成するまでの過程を中心に、美術学校に通う生徒達の制作活動をつぶさに記述した。すると、生徒達は、 必ずしも主流社会から期待される「先住民性」を宿す芸術作品を制作している訳ではなく、自らの身体を介した制作過程を経て完成させた作品を、自ら使用もしくは他者に贈与する実践が確認された。 そうした作品は、社会を動かす程の大きな力は持たないにせよ、人間関係を取り結ぶ作用があった。さらに作り手は、そうした作用をもつ作品を制作できる人物として、他者から認められることで、 作り手にとっての個別具体的な「先住民性」を生成していた。こうした作り手や、彼らによって制作される作品こそが、民族芸術で従来想定されてきた、芸術か文化という二項対立、 もしくは主流社会に向けての自己表象といった枠組みに回収されない、北西海岸芸術の在り方を示しているのだ。
吉田 航太(東京大学大学院総合文化研究科 博士課程3年)
インフラストラクチャーの開発と受容に関する科学技術人類学的研究:インドネシア東ジャワ州スラバヤ市の廃棄物処理システムを事例として

 本研究の目的はインドネシア東ジャワ州スラバヤ市における廃棄物処理システム開発を観察することで、特定の技術システムがどのように「インフラ」となっていくのか、あるいはならないのかが、 スラバヤ市というローカルな文脈のもとでどのように展開していくのか、を記述的に分析することである。2016年4月からインドネシアに渡航し、約1年間スラバヤで調査を行った。具体的には @日本企業の運営する分別施設およびコンポスト施設の調査、Aスラバヤ市美化公園局の関係者への聞き取り、Bスラバヤ地域コミュニティの活動調査を行った。
調査の結果、以下の結果が得られた。
  1. 日本の北九州市とスラバヤの協働について
    スラバヤでのプロジェクトは初期の開発がスムーズに進展しており、日本側からは成功例として捉えられている。要因として、ひとつは日本側企業の積極的な姿勢であり、調査段階で分別施設の具体的プランを進め、 次のステップである普及実証事業も採択されることとなったこと、またスラバヤ市当局側としてはスラバヤ市長が環境の美化などを主たる政策としていたこと、およびインドネシアにおける地方自治において首長の トップダウンの判断がすべての政策の基礎にあることが指摘できる。しかし、新たな処理施設のプロジェクトは両者の「ビジネス」と「開発」のズレが顕在化してもいる。
  2. 「コミュニティ」への傾向
    スラバヤ市における廃棄物処理システムには地元コミュニティを基盤にする傾向が明確に存在する。高倉コンポストやその他の環境に関する新たな実践は、RT/RWと呼ばれる住民組織、特にその女性組織である PKKをその実践する組織として想定されている。これはゴミ処理の収集においてRT/RWが住民からの収集責任を負っていること、またRT/RWという組織が開発実践への親和性が高いことが指摘できる。 こうした「住民エンパワーメント(Pemberdayaan Masyarakat)」への傾向はインドネシアにおける廃棄物処理システムの特筆と言えよう。
吉元 菜々子(首都大学東京大学院 人文科学研究科 社会人類学分野)
ネパール、グルン社会における妻訪婚と母方紐帯に関する社会人類学的研究

 本研究は、中央ネパールのグルン社会を対象とし、そこにおいて見られる妻訪の慣習とそれによって発生する子の母方親族との紐帯に関する調査を行い、グルン社会の親族・婚姻制度を再考するものである。 先行研究では、グルン社会は父系出自であり、居住形態は父方居住であるとされてきたが、これまでの調査により、最終的には夫方居住となるものの、結婚直後は夫婦のそれぞれが生家に住み続け、 夫が夜に妻のもとへと通うという妻訪の慣習があることがわかった。
 本研究では、筆者がこれまで住み込み調査を行ってきた村の位置するカスキ郡に加え、ラムジュン郡のグルン諸村落においても婚姻後の居住形態に関する聞き取り調査を行った。その結果、多くのグルン村落において 婚姻後に即座に妻が夫方に移住するのではなく、お互い生家に住む期間があることがわかったが、妻訪の慣習は限られた村落においてのみ確認できた。妻訪の慣習が見られる村に共通するのは、人口規模は大きく村内婚が多いという点であり、 筆者が当初仮定していた村の人口規模や通婚範囲と妻訪の慣習との関連性がより実証的に明らかになった。また、筆者の調査村を含む周辺地域においては、婚姻の儀礼的手続きが即時に完了するわけではなく、 この儀礼的な手続きの進行過程と妻訪の慣習とが整合性を持つという特色が見出せた。
 結婚後の夫婦の一時的な別居の結果として、子が母の生家で暮らす期間は一様ではないものの、概して子の居住形態に対する実際的な規制は緩やかであり、父系出自や父方居住の理念がある一方で、 居住のあり方自体は柔軟であった。しかし、夫婦の別居や妻訪の慣習に対して否定的な見方が強い村や、結婚後は即座に夫方へ移住しなければならないという規則を作り、積極的にその慣習の廃止を目指す村もあり、 婚姻をめぐる実践がむしろ理念へと接近しつつある現在的状況が窺え、グルン社会の婚姻制度に関して通時的にとらえる手掛りとなった。

平成27年度

井上 航(京都市立芸術大学大学院音楽研究科博士後期課程)
動きと気分の民族誌的研究−北東カンボジア山地民の音響的参与と霊的なもの

カンボジア北東部に長く暮らしている山地民で、焼畑稲作および森林の動植物資源の狩猟・漁撈・採集を主な生業としているクルン人の村落でフィールドワークを実施し、結果の考察を進めている。当該の人々の生活に身近な霊的なものと音響的な営為について、身体的に感じられることがらを記述することが課題である。
 文化人類学的領域において感性的な問題に深く取り組んでいる研究は、感覚の人類学と呼ばれる動向や、民族音楽学、舞踊人類学、映像人類学などのそれぞれ一部に見られ、ノンヴァーバルな経験を記述する方向が目指されている。個別的な身体性を起点とし、「感情」「感覚」などの検討をとおして感性的な様態を記述・描写する姿勢が顕著である。そこでは他者のノンヴァーバルな経験を知るという民族誌的実践の問題と、個体でありかつ間主観的な経験の座である身体にかかわる理論的な問題が密接に関連しており、総じて現象学的な方法がそのかなめになっている。
 本研究はこうした研究のなかに活路を見出そうとする。フィールドで実感された第一の問題は、事態を間主観的に知りうるというプロセスを、いかに方法として可視化し、現場の参与観察とアウトプット記述の両面に生かせるかである。第二は、知ろうとする事態が時間的にも空間的にもある程度広がりを有している場合、「感情」「感覚」の概念に含まれるおよそ一時的・志向的な性格がいくぶん難点に見えたこと、つまり、感性におけるより持続的で拡散的な側面をいかにとらえるかの問題である。これら二つの問題に際して、「気分」の概念が浮上してきた。それは、身体的な「動き」(行為という語で集約されない)において持続的に外化され、漠然とだが間主観的に現実の運びを調子づけ(調子から外させ)るものである。
 具体的な対象は、供犠におけるゴング打奏や憑依イベントなど、音楽的躍動とともに霊的なものの身体的感受が行われる現場とその背景である。
Liv Nyland Krause(大阪大学大学院人間科学研究科人類学専攻博士後期課程)
Anthropological perspectives on "innovation" practices of entrepreneurs in Japan

The purpose of the research based on the funding received is to gain insights into the phenomenon of "innovation" as a goal and strategy in business settings and other late-modern organizations, and how it can be understood from a social scientific and anthropological perspective. Particularly, I have carried out fieldwork in Kansai, where in recent years public and private efforts to create an "innovation ecosystem" for the creation of entrepreneurship and economic revitalization have been initiated, supporting relations between entrepreneurs, businesses, research institutions and local governments, locally and globally. I have visited relevant offices and locations, carried out interviews with people involved in the development of local innovation and entrepreneurship, and carried out participant-observation during events including meetings, pitch contests and innovation workshops.
From the research valuable insights have been achieved for a comparative view on contemporary branding of cities and innovation efforts by entrepreneurial individuals and urban regions seeking to prosper, and the notion of "innovation ecosystem" has emerged as central in its perceived ability to flexibly adapt to and change the various challenges of the contemporary world.
Research carried out during overseas trips in this period have contributed with comparative insights into entrepreneurial efforts in Japan and globally. During a trip to Denmark and France 2015, I have begun to explore the startup environment in these regions and, through interviews with business founders and meetings with people involved in innovation consultancy and the creation of so-called "innovation ecosystems", to gain a bottom-up understanding of their experiences with entrepreneurship, value creation and failure. Research carried out during a trip October 2015 had as its purpose to study the "innovation ecosystem" of Montreal, more particularly the development of a district in the city, intended to be a creative, dynamic platform dedicated to the needs of innovative actors - entrepreneurs, research institutions, businesses and local citizens- in Montreal and the rest of Canada. While the overall purpose and theme of the original plan has not changed, the trips undertaken during this period differ from the initial plan, however, only in terms of destination and not in focus. The reason has partly been to follow networks and interests from my field in Kansai, thus creating empirical links and coherency in the research project. While Singapore and San Francisco obviously are central locations for entrepreneurial innovation in Japan, they likewise draw inspiration from and enter into relations with actors from less studied innovation ecosystems in Europe and other locations in North America that contribute with new understandings of how to bring about innovation.
須永 修枝(東京大学大学院総合文化研究科 国際社会科学専攻博士課程)
ロンドンにおける「ソマリランダー」:越境的に形成される国家なきナショナル・アイデンティティとその過程

 当初の目的は、ロンドンにおいて、国際的には国家として承認されていないソマリランド共和国の国民意識として考えられる「ソマリランダー(Somalilander)」とは、誰を指し示しているのか、そして「ソマリランダー」というアイデンティティが何を基盤としてどのように成立している(形成されたのか)を明らかにすることであった。しかし、「アイデンティティの成立や形成」とはいかなる状態のことを示すのかについて疑問を持ち、次第に「ソマリランダー」という範疇の用いられ方に着目して、インタビューや資料収集を進めるようになった。
 この調査の結果、第一に、「ソマリランダー」を規定する要素として、英国保護領時代に英国と条約を結んだ部族(条約の原文にて "tribe"という文言が使用されている)が、その血縁関係に基づいて「ソマリランダー」に該当する政治的な資格があると考えられていることが見えてきた。しかし、父系リネージに基づくこの血縁関係に組み込まれている人々のなかにも、ソマリランドという政治単位に肯定的ではない人々がいたり、各クラン間関係およびクラン関係と国家統治との関係についても異なる意見があった。
 第二に、血縁関係に基づく政治的資格という要素を含むこの範疇の使用法は、世代間の違いとロンドンの状況の変化(人数や家族構成)に影響を受けていると考えられるが、現段階においては、異なる経験や意見を持つ人々を「ソマリランダー」という名の下で統一する(平和的にまとめる)ことを目指す活動にて用いられていることが明らかになってきた。例えば、1991年の独立宣言後にソマリランド域内にてクラン間での紛争が発生した際、ソマリランド域外にいた人々はロンドンにて「ソマリランド平和委員会」を結成し、「ソマリランダー」という言葉の下、紛争解決を試みた活動などがある。今後は、この調査にて得られた資料を整理しながら、通時的にさらに分析を進めていきたい。
園田 浩司(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
生態的適応の対面相互行為分析−狩猟採集活動で子どもの自由を支えるものは何か

 狩猟採集社会では大人と子どもの気楽な関係を背景に、子どもは自主的に活動するとされる。先行研究ではこの理由に、子どもの環境への生態的適応を挙げた。対して本研究の目的は、狩猟採集民の子どもの生態的適応を、子ども自身の経験からどう理解するかにあった。そこで、カメルーン東南部の熱帯雨林に暮らすバカの子どもが参加する狩猟採集の映像資料収集と分析、バカや近隣農耕民ジメの大人への聴き取り、文献資料の調査を行った。なお博士論文執筆のため、臨地調査の期間を変更、短縮した。臨地調査では大人への聴き取りを重点的に行った。
 結果を二点にまとめる。(1)ジメとバカの子どもの異なる生活様式:バカの子どもは幼少時から森に出かけるが、ジメの子どもは集落の広場で遊ぶことが多く、バカに比べ森歩きも不慣れである。バカの子どもの遊びは食料獲得の側面が強い。学校通学はジメの子どもの方が積極的である。ジメの大人は学校休暇を通じて子どもに農作業を学ばせるが、バカの子どもは、大人が狩猟採集に出かける際についていく、など。(2)子どもの生態的適応を支える大人の相互行為技術:ある枝に見つけた食用さなぎを見つけた5歳男子に対し、さなぎの場所をうまく伝えられない彼から応答を引き出そうと、父は丁寧に質問形式を調整していた。この例をはじめ、活動中子どもの発話を反復し、子どもの認知に寄り添うバカの大人による相互行為上の取り組みが頻繁に観察された。この取り組みは森という自然環境によって達成されている側面がある。森では種々の環境物(モノ)が人間の思うような配置にはなっておらず、人間はモノを配置する主体ではなく、自然によって配置される客体となる。この事は、徒弟制を伴う手工業者において道具が親方という主体を中心に配置されるのとは異なる。こうした環境の認知に基づく大人の相互行為上の支援に支えられ、子どもの生態的適応は達成されていると考えられる。
古川 勇気(東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻文化人類学コース博士後期課程)
農村開発と経済合理性の関係をめぐる人類学的研究−ペルー・カハマルカ県における酪農家の経済活動を事例として−

 本研究は、ペルー共和国の北部山地に位置する酪農村落における農業開発の影響を調査した。同村落では、都市の消費者の要求を受けて、チーズ品質向上を目指す技術援助の農村開発が行政や欧米の開発機関を中心におこなわれるようになった。その結果、かつては貧しかった酪農世帯の多くが収入増加に成功した。そうした収入拡大は、開発機関が持ち込むシナリオの成果であるようにみえる。そこで本研究では、酪農村落における開発援助の想定するシナリオを、文化人類学の視点から相対化することで、酪農世帯がおこなう経済戦略の幅広い実情を捉え直すことを目論みた。相対的な観点から、彼らの経済戦略の新たな可能性を探り出すことに、本研究の学術的意義がある。
 具体的には、開発機関の技術援助を受ける世帯と参加しなかった世帯の比較調査・分析をおこなった。調査期間としては、2015年8〜9月に現地でのフィールド調査をおこない、10〜12月に研究成果を整理・分析した。その結果、以下の3点の成果を得た。
【1】欧米の開発機関が持ち込む収入向上のシナリオ通りには、現場では機能していないことが明らかになった。総合的にみると、参加/離脱を選択した世帯の収入にはそれほど差がなく、参加者の農民は取引相手(仲買人)の要求や世帯の事情を優先し、指導された筋書き通りの行動を必ずしもとらなかった。
【2】開発が現場で機能する際には、集会などに農民を集める必要がある。その際、参加を呼びかける村人(開発のパートナー)の交友範囲などによって参加者が制限され、呼ばれないものもいる。そのような諸事情もプロジェクト実施には考慮に入れるべきである。
【3】開発の側は、設備投資や技術革新によって、参加者の収入拡大のための選択の幅を広げることを目的としている。開発側は、シナリオ通りに参加者が行動しなくとも強要をすることはなく、離脱者を追うこともない。
片 雪蘭(大阪大学大学院人間科学研究科基礎人間科学専攻博士後期課程)
チベット難民の移動に関する人類学的研究

 申請者は当初提出した研究計画から方向を若干変え、北インド・ダラムサラのチベット難民、特にニュー・カマーにおける「移動」と「希望」の関連性を研究した。その理由としては、チベットでの調査が困難であったこと、そして調査を取り組みながら、チベット難民がインドへ避難するときに持つ「希望」が、従来の難民における考えとは異なることが明らかになり、彼らが移動に託する「希望」が鍵概念と思われたからである。
 難民の移動に希望が託されという考え方には拒否感があると思われる。もちろんながら、60年代初期に避難してきたオールド・カマーは、中国の弾圧や差別から逃れるためインドへ避難し、現在にもそのような被害を受けて亡命するチベット人は少なくない。ところが、2000年代になってインドへ来たニュー・カマーのなかには、教育や第三国への移民という未来への希望を抱いて難民となる者が多いことが明らかになった。
 しかし、難民としての生活はそれほど容易ではない。希望と現実の間には当然ながら軋轢が生じる。ニュー・カマーに対する法的制限はもちろん、中国化したという理由でオールド・カマーや難民2、3世からも無視される。その結果、当初抱いていた希望は失望に変わり、さらなる希望へと転換する。本研究で明らかになったことは以下の通りである。@チベット難民、特にニュー・カマーはインドを「いいところ」として考えていたことである。そのため、ダラムサラへの道に彼らは希望を託する。また、A比較的に安定しているオールド・カマーとは違い、ホスト国での差別や経済活動の制限によって生計が困難であることである。その結果、Bニュー・カマーらが当初抱いていた希望は失望に転換し、さらなる希望、すなわちチベットへの帰還や第三国への移民を考えるようになり、ダラムサラを「インターナショナル・エアポート」と呼ぶ傾向まであることである。
村上 晶(筑波大学大学院人文社会科学研究科一貫制博士課程哲学・思想専攻)
巫俗と人びとの実践からみる現代の「信仰」―津軽地方を事例として―

 本研究の目的は、巫者のことば(託宣)と人びとの実践との関係性に注目することによって、「信仰」の形成・維持に関わる諸条件を明らかにすることにあった。そのため、まず、津軽地方のI村S地区を対象として、「カミサマ」と呼ばれる巫者の託宣によって平成13年に建てられたオシラ堂(オシラサマのお堂)建立の経緯について、史料収集を通してその具体的な過程を明らかにした。その上で、インタビュー、アンケート調査を行い、現在集落の人々がお堂建立の過程をどのように語るのかを記述し、史料を通して判明した「事実」との差に着目した。その結果、お堂の建立が、現実的な諸条件(政治的、金銭的理由)に阻まれ、長年先延ばしにされていたにもかかわらず、現在では「オシラサマの喜び」を導いたという「信仰」心(地域でいう「カミシンコウ」)を中心としたものに解釈されていることが明らかになった。また、巫者の依頼者のライフヒストリーを収集し、依頼者が巫者の託宣を受容する際には、依頼者側のそれまでの経験に基づく期待と受容のパターンがあることを明らかにした。これらの調査を通して明らかになったのは、依頼者の側がもつ論理や知識と共鳴するものであることが、託宣の受容にとって不可欠な条件であるという点である。しかし、先のS地区の事例は同時に、託宣が依頼者にとって説得的なものであっても、それを実行するか否かは、現実的な諸条件に左右されることを示していた。託宣が通常の生活の範囲を大きく超え出る無理難題であった場合、それが現実になることは極めて少ない。託宣は、日常的諸条件との交渉の末に実践に移されていく。本研究からは、そうした実践を事後的に評価する際に「信仰」の語が持ち出され、リアリティを獲得していく具体的な様子が明らかになった。
村橋 勲(大阪大学大学院人間科学研究科・基礎人間科学専攻博士後期課程)
南スーダンからウガンダへの難民、強制移動に関する人類学的研究

 本基金に基づき、2015年8月〜11月に、ウガンダのキリヤドンゴ難民居住地(Kiryandongo refugee settlement)で南スーダン難民の生計活動と、難民コミュニティ内および難民と難民受入れ地域の住民との社会・経済的関係に関するフィールドワークを実施した。調査の目的は、生計活動において、難民居住地とホスト地域がどのような社会・経済的関係を創出、維持しているかを分析すること、また、難民政策と人道援助が難民の生計にどのような影響を及ぼしているかを検証することである。
 南スーダンは22年間の内戦後、2011年7月にスーダンからの分離独立を果たした。第二次内戦は、スーダン人民解放運動/軍(SPLM/A)とスーダン政府との対立に加えてSPLM/A内の分裂も重なり、戦争は長期化した。戦闘による犠牲者は、死者約250万人、国内避難民と難民合わせて500万人以上に及んだ。さらに、独立後の2013年12月に政府軍と反政府軍との間で戦闘が勃発し、再び内戦状態に入った。両軍は2015年8月に和平合意したが、紛争後の旱魃と飢餓により国外への避難民の流出が続いている。難民は60万以上に上り、調査村のキリヤドンゴ難民居住地は、4万人を受け入れている。
 今回の調査では、1)難民の生計・経済活動に関する参与観察と聞き取り調査を実施した。長期化難民と新規難民の双方を対象とし、難民どうしの相互扶助やピースワークなどを通してホスト住民と難民との社会関係について調査した。2)難民居住地とホスト社会双方のマーケットにおける物価と物流に関する調査を行った。農作物や援助食糧などの食料が資源として利用され、居住地、ホスト社会、南スーダンにおける経済をどのように節合しているかを分析した。3)NGOによる生計支援プログラムの実施状況を調査した。中心的な役割を担うNGOが行う現金稼得支援活動への参与観察を通してプログラムの実施と、それに対する難民の反応を調査した。
森下 翔(京都大学大学院人間・環境学研究科共生文明学専攻博士後期課程)
インドネシアにおける地球物理学実践の科学人類学的研究

 本研究では、インドネシアの地球物理学者を対象とし、科学におけるデータやモデルを媒介とする協働関係の在り方について調査した。インドネシアのバンドゥン工科大学の研究室を中心とする参与観察に基づいて、次のようなことが明らかとなった。
 1. インドネシアには行政機関(Badan Informasi Geospatial)により国内300点ほどの地殻変動観測アレイが配備されているが、行政機関がデータを研究者一般に公開する日本とは異なりデータは原則非公開であり、データは個人的な人脈をつうじて研究者間で共有されていることが明らかになった。
 2. 地震のメカニズムをめぐる調査では、日本の技術者とインドネシアの研究者の協働が観察された。日本の視点からすると、インドネシアのおかれた研究環境は圧倒的な「物資不足」の状況に映るにもかかわらず、日本の研究者は先進国と同様の水準のデータを要求する。そうした状況に対し、インドネシアの研究者がありあわせの資源と人的リソースを用いて何とかわたりあう状況が存在していた。
 3. 重力場の決定をめぐる日本とインドネシアの協働については、近年洪水による観測機器の故障に伴い観測が中断されていることが判明した。一方、現在重力をめぐる協働として、二酸化炭素貯留(Carbon Capture and Storage)の国際プロジェクトが進行しており、重力計を介して複数の国の研究者が協働している過程が観察された。
 4. また、調査をつうじて、インドネシアと日本の科学実践の在り方が顕著に異なることが観察され、両者の国際比較が興味深い課題として浮上することとなったことは、当初意図していなかった本研究における重要な成果である。
 なお博士論文執筆の都合上、渡航調査期間をやむなく短縮することとなり、年度末に補足の追加調査を行っている。
Nirmala RANASINGHE(立教大学研究員/名古屋市立大学客員講師)
スリランカ海浜地域におけるビーチボーイの生活戦略:観光開発の場における伝統的な価値観とグローバルな実践

 本研究はスリランカ南部沿岸地域の代表的な海浜リゾート地であるヒッカドゥワ(Hikkaduwa)を事例とし、観光開発が進む地域で、資本や社会的ネットワークを持たない元漁民およびその子供たちが、国際結婚や国際移民といったグローバルな実践をとることにより、いかにして観光化の中で自分たちの経済的かつ社会的な状況を改善しようとしているのかを明らかにすることを目的とした。本研究が特に注目したのが、かつて漁村だったヒッカドゥワの中でも特に資本を持たない若者がビーチボーイになるという現象である。ビーチボーイとは自己のセクシャリティを利用し、長期間にわたりビーチリゾートでバカンスを過ごす外国人女性との間に親密な関係を形成する人々である。彼らは外国人女性観光客のツアーガイドをしたり性的な関係を持ったりする以外にも、最終的に彼女らと結婚し、スリランカ国外に移住することを目的としたり、スリランカで観光関係のビジネスを始めることを目指している。ビーチボーイと外国人女性観光客との間の恋愛関係や結婚の成立は長期間にわたる複雑なプロセスを経ている。そのため彼らの実践は、単なる売春やセックス・ツーリズムとして捉えるよりも、観光開発に参与する資本を持たない若い男性のグローバルなレベルでの実践として捉えるべきである。そのため本研究は、ヒッカドゥワでのビーチボーイを対象としたフィールドワークにより、スリランカの海浜リゾート開発とそこにおけるビーチボーイと外国人女性観光客との対面的な状況というミクロなレベルから明らかにした。さらに、ヒッカドゥワの観光事業者、非観光事業者およびスリランカの他の3つの地域の人々のビーチボーイに対する意識を分析した結果、ヒッカドゥワの場合は観光産業との関連が強くなればなるほどビーチボーイの行動をかなり積極的に受け取っており、他の地域ではその認識が個人的な価値観により変わるということを明らかにした。
柳原 恵(お茶の水女子大学基幹研究院研究員)
岩手における<おなご>たちの思想と活動−<化外>のフェミニズムを拓く

 本研究では東北・岩手のフェミニズムをジェンダーと当地の〈辺境〉として構築されてきた地域性(〈化外〉性)の双方に立脚した〈化外〉の〈おなご〉のフェミニズムとして捉える視座に立ち、岩手においてフェミニズムの視点から活動する小原麗子と石川純子、及び小原が主宰する麗ら舎読書会の女性会員を対象として、ライフストーリーと個人的記録資料からその思想と活動の軌跡を描き出し、日本フェミニズム史の中に定位することを目指した。
 申請時の計画は博士論文の執筆を念頭に置いたものであったが、平成27年3月に博士論文を提出したため、助成期間においては博士論文での考察を深化させるための調査研究を実施した。まず、岩手県立図書館等で関連史資料を調査し、岩手のフェミニズム運動の展開を歴史的観点から検討した。また、麗ら舎読書会の主催する「千三忌」をモデルとした舞台の観覧および読書会にて参与観察を実施した。並行して、ライフストーリーインタビューのトランスクリプトを対象とした新たな分析を行った。
 当初計画していた参与観察の一部およびライフストーリーインタビューは、複数の研究対象者の体調不良とそれによる会の開催中止のため実施することができなかった。また、報告者の妊娠出産及びそれらに伴う体調不良のため研究を一時中断した。しかし現地調査の際に地域女性史や男女共同参画分野の有識者らとディスカッションを複数回実施でき、有用な示唆を得られた。
 本研究を通じて70年代の地域運動の中で〈中央〉への対抗文化として提唱された〈化外〉概念を〈おなご〉のフェミニズムの立脚点として単純に当てはめるという見方は修正され、〈化外〉概念を提唱した地域知識人男性への違和と〈中央〉のフェミニズムからの刺激の複層性のなかで〈おなご〉のフェミニズムが展開していることが分かった。本研究によって得られた新たな知見とデータを踏まえ、博士論文の書籍化に向け準備している。
 

平成26年度

大石 侑香(首都大学東京大学院 人文科学研究科博士後期課程)
石油開発における西シベリア北方諸族のテリトリー・コンフリクトに関する人類学的ポリティカル・エコノミー研究

 西シベリアのオビ川中下流域では1960年代から石油産業が本格化したが、これによってタイガの牧草地が急激に衰退・減少してトナカイ牧畜に多大な影響を与えたばかりでなく、1980年代後半にこの地域の東部で強制移住も行われた。こうした状況に対して、ハンティの有識者らは「家族領地」の保護運動を行い、1992年には各世帯の間に境界が引かれハンティ達の用益権が自治管区によって規定された。以降、石油会社はハンティと地方政府の許可なしで石油採掘地として土地使用することを制限される。
 このようにハンティの有識者らによって状況が改善されてきた一方で、一般のハンティの活動についてはあまり注目されてこなかった。本研究では、2011年から2012年の冬期にかけて西シベリア・ヌムト行った調査事例をもとに、住民がいかに開発と関わっているかについて、2014年にサハ共和国で行った調査研究並びに現地研究者との意見交換で得られた知見を加えて考察した。結果は以下のとおりである。
 ヌムトの人々はソ連崩壊後再編された国営農場に勤務せず、世帯ごとに地理的に拡散居住して複合的生業を行う生活を始めた。これによって、親族の凝集性は依然として強いものの行政単位としての社会的な結束力が脆弱になり、経済活動は各世帯あるいは個人が対処するものとなった。石油採掘によって居住地を失うというよりは、むしろ個別的にだが、積極的に石油会社の施設や援助、補償を利用し、かつそこでの生業・居住も続けようとしており、開発と切り離した生活を行うという選択はなされていない。地方行政の役割も縮小し、かつて経営形態そのものが統治の方法であった旧国営農場のように生業と強固に結び付いて北方諸族を統治するという性格は失われている。しかし、ロシアの統治や政治経済の周辺に位置し、かつ開発側へ個別にアクセス可能という状態こそが、現在彼らが生業活動を維持しながら森の中で生活していくうえで重要になっている。
金子 亜美(東京大学総合文化研究科超域文化科学専攻文化人類学コース博士課程)
儀礼的発話とテクストの関係をめぐる人類学的研究−ボリビア・チキトス地方のキリスト教儀礼における説教を事例として−

報告者は、儀礼的発話とそれを記したテクストの関係をテーマとし、ボリビア・チキトス地方で、@チキタノ語の説教 (serm?n) の参与観察、A説教についての聞きとり、B説教ノートなど史料や文献研究、などを行った。
チキタノ語とは、17?18世紀当地のイエズス会ミッション内での主要言語とされつつ、1950年代の教育改革後、スペイン語と比してその使用場面が減少してきた変種である。現在ではもっぱら儀礼的機会に、一部の高齢者によって話される。その一つである説教とは、キリスト教祝祭日に典礼組織カビルドの特権的な男性成員が行う発話である。
 説教のテクスト化は、当地の言語状況とテクスト媒体自体の変容を伴い、説教の保存という理想を超えてなされてきた。まず教育改革以降、アルファベットの読み書きを学んだ都市部の男性たちが、男性話法でノートに説教を書くようになった。改革の成果でチキタノ語話者が減少すると、ある言語学者と一部の説教師によって手書きノートの活字化が行われるに至る。活字本出版では、元来内容や語彙の選択に説教師個々人の自由が見られた説教のうち、特定のバージョンを固定することで、その営み全体を保存することが目指された。
 しかし、現在もはやチキタノ語を日常語としない世代が活字本を用いる際、その説教には重大な変容が生じる。すなわち、チキタノ語話者であれば半ば無意識的に変更して発話する、誤字脱字や文法上の逸脱が、非話者の発話では文字通り発音される。例えば非話者である40代の女性説教師は、男性話法で書かれた活字本を、女性話法に直すことなく読み上げた。重要なことに、発話者と形態統語論的規則のこの語用論的不一致は、チキタノ語話者らの間で問題にならない。オリジナルの手書きノートの保存版とされていながら、活字本が非チキタノ語話者に用いられるとき、実際に発話される音声・誰がどのように発話してよいのかに関する規範が変わっていたのだ。
近藤 祉秋(早稲田大学大学院文学研究科文化人類学コース博士課程)
アラスカ先住民の世界観とキリスト教化:ニコライ村におけるロシア正教の事例から

 申請者は、エスノヒストリー調査を通じて、ロシア正教会が半遊動的なニコライ村の人々の狩猟生活において中心的な位置を占めていたことを明らかにした。例えば、現在の村評議会ができる土地権益請求の以前まで(1900年代〜1980年代前半)、教会長が村の代表であり、教会の奉神礼、各種催事を指揮するほか、日曜の礼拝後の会議において、狩猟パーティの組織、若年猟師への助言をおこなっていた。また、現地で語られる動物の「人物」が登場する神話は、それらを聞く若者が「生き延びること=長生きすること=正しく生きること」を可能とすると考えられていたが、それと並行して、キリスト教の神に対する信仰(および教会長による説教)も同じ枠組みにおいて理解されていた。土地権益請求後、タナナ・チーフ会議などの先住民組織による介入が強まった結果、ロシア正教会の教会長が村のリーダーとなる慣習は廃れ、村落内における正教分離が土地権益請求の副産物としてもたらされたことが明らかになった。この点は、人々がみずからを「正教徒」であることをアイデンティティの中核としていた時代から、「アラスカ先住民」、「ネイティブ・アメリカン」としてみずからを位置づけるようになる時代への変化を意味している。近年、パウワウなどのいわゆる「ネイティブ・アメリカン」的な行事がアラスカでおこなわれるようになってきているが、これはキリスト教化の影響が一段落したあと、新しい霊性/宗教性をめぐる興味関心がアラスカ先住民社会において根付きつつあることを示すものであり、本研究を発展させる形で更に調査がなされる必要がある。
 
下田 健太郎(慶應義塾大学大学院文学研究科後期博士課程)
水俣の記憶の多元性に関する物質文化研究

本研究の目的は、「本願の会」を中心に展開している水俣病の想起をめぐる文化的な諸形態の歴史性に注目し、同会のメンバーによる儀礼や語り、そして石像というモノを用いた歴史構築の実践とその動態から、水俣の記憶の多元性を解明することにあった。そのために、「物質文化研究」と呼ばれる学問的潮流の検討、「本願の会」メンバーへの聴きとり・参与観察調査、同会のメンバー個々人によって製作され、水俣湾埋立地に設置されてきた石像の観察・記録・図化、文献資料調査を行った。まず「物質文化研究」の検討を通じて、モノがもつ人びとに何かを想起させる力、および人間の意図のみに還元し得ないモノの働きや特性を通時的にみていくことの重要性が浮かび上がってきた。この視座にもとづき、「本願の会」結成の大きな原動力となった被害者O氏(男性)、水俣への移住者であるJ氏(男性)、水俣病問題について長年沈黙を続けてきた被害者遺族A氏(女性)という3人のメンバーの事例を分析し、考察を行った。その結果、(1)石像の製作から設置に至るプロセス、そして自らが建立した石像を目にする経験が、製作者のそれまでの語りに実感を付与し、過去を想起させ、さらには新たな意識を喚起させる機会となってきた可能性、(2)石像の持続性は、一回性を特徴とする語りを方向づける働きをもつこと、(3)風化による石像の変化は、石像と結びつけられたイメージの変容を導く場合があること、(4)周囲の景観と複合的に作用するという石像の特性は、過去の経験だけでなく、ある種の未来を想起させる効果をもつことが明らかとなった。なお、博士論文の執筆スケジュールとの兼ね合いのため、臨地調査の期間をやむなく変更・短縮し、文献精読を中心とする理論的研究および論文執筆に多くの時間を割くこととなった。
田本 はる菜(筑波大学大学院 人文社会科学研究科 歴史・人類学専攻)
現代台湾の多文化主義と先住民の在来技術復興をめぐる人類学的研究

 本研究の目的は、台湾中部における先住民(「台湾原住民族」)の在来織物を対象とし、現代台湾の多文化主義的政策を背景とした、在来技術の変容と再編の動態を明らかにすることであった。とりわけ、エスニシティの区分に基づく保護を謳う多文化主義政策により、先住民の在来技術の復興が促される中で、かえってエスニシティや利害関心を異にする人びとのあいだの新たな協力関係がつくり出されている状況について記述・分析することを目指した。
 本助成を受けて、中部の先住民集落において実施した調査では、集落住民が機織りや狩猟などの在来技術を資源とし、行政を媒介とした観光業に参入している現状について参与観察を行なうことができた。これにより次の二点が明らかになった。(1)在来技術を資源とした商業活動は、行政機関や漢人企業、観光客などからの複数の要求や条件の中で成立しており、このため集落の人びとは、一部の伝統技術を選択的に利用するとともに、時間的・空間的に制限された中で在来技術をパフォーマンスとして加工し提供する術を身に付けるようになっている。(2)その一方で、先住民集落側は外部の関係者に対して、住民のあいだでは贈与の対象になりにくい、比較的安価に売買される民族衣装を提供するだけでなく、言語(先住民母語、?南語、中国語)を使い分ける、一部の習慣(ビンロウ噛み)を隠す、客に対する衛生的な配慮を行なうなど、商業活動と集落での日常生活を注意深く切り分けている様子も観察された。今後の研究においても引き続き、台湾における多文化主義と在来技術復興に伴う上記のような活動が、先住民とそれを取り巻く人々のあいだの紐帯にとって、いかなる可能性や制約を有しているのかを明らかにしていきたい。
 
萩原 卓也(京都大学大学院 人間・環境学研究科)
ケニアにおける自転車競技選手の経験からスポーツを再考する

 本研究の目的は、ケニアにおける自転車競技団体を対象にすることで、(1)途上国におけるアスリートの生活実態を明らかにすること、(2)西欧近代に起源をもつスポーツという現象の再考を試みること、の2点であった。調査者の家庭の事情や体調により、調査は当初の計画より遅く開始され、さらに予定より早く終了された。計画していた調査期間よりも短くなったが、研究計画は順調に進めることができた。調査の対象である団体Sは、ケニアはナイロビ郊外キクユに拠点を構える、自転車競技選手の育成をおもな目的とする団体である。そこで調査者は選手たちと共同生活を営み、特に練習への参加をとおして、彼らと身体感覚を共有することを試みてきた。彼らにとって自転車競技は、自転車愛好家の「白人」の需要にうまく合わせた形で、自転車整備や自転車ガイドをとおして生活資金を獲得する手段であることが、具体的な収支を把握するなかで明らかになった。彼らは、自転車競技を続けていくためにも、また生活資金を稼ぐためにも、団体Sという集団としてまとまっている必要がある。それを可能にしているのが、(1)集団の先頭を走る者が受ける風圧を軽減するために、順々に先頭を交代するという相補的かつ協力的な行為によって育まれる関係性と、(2)厳格な食事制限により引き締まっていく体などを指標とした、可視的な成長物語の共有によって形成される団体Sの内と外の境界であった。以上のような経験は単体では存在せず、つねに疲労から回復へ、禁欲から解放へ、という振れ幅の非常に大きい身体活動のなかに位置づけられる。そして、この反復的・循環的なサイクルを基盤とした生活が、この集団内の秩序を生成し、活性化させることで、団体Sを集団として存続させていた。本研究では、スポーツも身体活動のひとつにすぎないという観点から、アスリートの生活実態を疲労と回復のリズムに着目して、スポーツという現象を捉え直した。
 
山越 英嗣(早稲田大学大学院人間科学研究科博士後期課程)
ストリートアートを用いた共同体の構築 −メキシコ・オアハカ州ASAROの実践を事例として

本研究では、メキシコ・オアハカ州において、ストリートアートを用いて反政府運動を行う集団ASARO(Asamblea de Artistas Revolucionarios de Oaxaca)の活動を調査し、彼らがどのように民意に働きかけて心的な協調関係を生み出していったのかという点について、アーティスト側とその受容者双方の立場から調査を行った。その結果、次のような点が明らかになった。
 @ASAROが民衆の統合シンボルとしたのは、メキシコ革命で活躍した英雄や先住民であった。これらは、政府が国民国家形成期に統合シンボルとして用いたものと重複する。しかしながら、ASAROは英雄や先住民を描いた作品に、現代の社会問題とも通じる独自の改変を加えている。これは、国家によって資源化されてしまった英雄や先住民を、再び民衆のもとに「取り戻す」実践といえる。
 A国外からの観光客などは、ASAROの作品を、「抑圧された先住民の抵抗」という、ある種のエキゾチシズムの視線によって理解していた。それに対して、現地の若者たちはASAROの描く英雄を、「国家のために死んでいった英雄」としてではなく、「自分たち貧民・弱者を助けてくれる英雄」として理解していた。ASAROの作品には、外部の視線によっては容易に消化することのできないような「差異」を含んでいる。
 なお、本研究の核心であるオアハカ州での現地調査は、博士論文執筆との兼ね合いのため当初の計画よりも短期間で実施せざるを得なくなってしまった。しかし、現地の事情に詳しい通訳兼ガイドを依頼することができたため、効率よく調査が進められた。また、これまで単独では困難であった郊外村落での調査が可能となった。
山本 沙希(お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科ジェンダー学際研究専攻博士後期課程)
アルジェリアにおける女性のインフォーマル労働と住民組織―首都アルジェの旧市街カスバを事例として―

 本研究の目的は、独立以降、工業化に基づく経済成長戦略を推進してきたアルジェリアを事例に、その経済成長の裏で拡大を続けるインフォーマル経済とそれに従事する女性の労働形態、および住民組織が果たす機能と役割について検討することである。特に、低学歴で正規雇用契約関係に基づいた就業経験が少なく、事業のための充分な資本をもたない女性が「内職」という働き方を選択している点に着目し、家庭内での零細・小規模な生産に従事しながら、組織を介することで女性の意識や家庭内の社会関係に生じる変化を考察した。具体的には2014年10月から12月にかけ、旧市街カスバで職業訓練および商品化支援を行っている女性組織において(1)設立背景、活動形態と地元住民の参加レベル、(2)組織が運営する「手工芸センター」に通う女性たちの世帯構成と教育水準、内職による収入の使途をめぐる世帯内の意思決定について参与観察と聞き取りを行った。
 調査の結果、同地区において女性の組織化が起きた背景には植民地支配(1830年〜1962年)と内戦(1990年代)の影響が関与していることが明確になった。さらに「センター」の運営は、治安情勢の悪化を契機として1995年以降は一部の地元住民に託されたが、地元住民間の人間関係が活動に直に反映し、活動自体が停滞してしまうという問題も確認された。そのため「センター」に通う女性は徐々に減少しているが、女性たちが組織に見出す価値は多様で、単なる「現金収入の獲得」に留まるものではないことも明らかになった。また、内職による収入の使途決定権は主に女性にあり、男性世帯主より多く収入を得ている例も散見された。これらを踏まえると、調査国ではインフォーマル経済が「社会的不安定要因」として問題視される一方で、同分野は経済的また社会的に不安定な住民の生活の基盤を支えており、その維持と保障が不安定要因の緩和に資するのではないかというのが現時点での結論である。
山本 めゆ(京都大学大学院文学研究科)
ポスト・アパルトヘイト期南アフリカにおける人種カテゴリーの再編成――華人の「黒人性」をめぐる裁判を手がかりに

本研究は民主化後の南アフリカにおいて、人種間の格差是正を目指すアファーマティブ・アクション型の政策が導入されたのに関連し、華人が「過去に不利益を被ったblack people」から排除されたことや、それを不服とした華人団体が提起した全国規模の運動と2008年の裁判に注目しながら、90年代以降の南アフリカ社会における人種秩序の再編を検討するというものである。今回の調査では、南アフリカ在住の華人に対するインタビュー調査、国立文書館、国立図書館での文献調査、さらにコミュニティの参与観察としてプレトリアとケープタウンの中華学校を訪問した。今回の調査を通した発見は以下の通りである。
(1) 計画段階では本研究を白人性研究に位置付けていたが、「白さ」とは近代南アフリカにおいても常に至上の価値を有していたとはいえない。ブルデューの界と資本の概念(界とは利用価値を付与された資源の制御をめぐる闘争の場であり、ある特性はそれに意味を付与する界によって初めて資本となる)を援用すれば、「白さ」という属性はそれに意味を付与する界によって初めて資本となり、その比重も変動するといえる。
(2) したがって華人の自己呈示の変遷や2008年の裁判も「白人化」「黒人化」というよりも、それぞれの界において有効な資本が変動し、華人は手持ちのカードのなかからそのとき最適なものを切っていると解釈したほうがよいように思われる。今日の南アフリカでは中国語の学習熱が高まっており、プレトリアの中華学校では生徒の75パーセントが非アジア系となっているほどで、すでに中国語も新たな資本として認識されているといえよう。
(3) 南アフリカの華人の歴史に注目するうえで、帝国を意識しながら検討する必要を強く感じた。反アジア主義の契機となったのはインド人のプランテーション労働者、華人の鉱山労働者の導入であり、それは英帝国と切り離しては成立し得なかった。人の移動と労働力を管理を目指す環帝国的(ヨーロッパや日本、アメリカ)実践と移動民の動きの交渉を通して、管理技術が洗練され、人種的境界が生起していったことを重視していきたい。
渡辺 浩平(立教大学大学院社会学研究科 博士後期課程)
笑いの民族誌:米国先住民教会の礼拝集会における「調和」と笑い

 米国先住民教会ナバホ支部の礼拝集会は、病いの治癒のために行われる。ナバホにおける病いは、「ホッジョー(調和)」の乱れが原因であるとされる。ホッジョーとは、他者や家畜、精霊といったあらゆる存在から成る世界との「調和」である。礼拝集会では、精霊の宿った呪薬としてのペヨーテというサボテンを食べることで「調和」が回復するという。しかし、先行研究において、「調和」がどのように生成・維持されるのかという具体的な過程は明らかになっていない。本研究では、礼拝集会後に生起する笑いに焦点を当て、「調和」の生成・維持過程を明らかにすることを目的とした。
 本研究では、2014年4-5月と2014年6月-2015年3月の間、アメリカ合衆国ナバホ保留地にて現地調査を行った。そして、主に以下の点が明らかになった。
1)礼拝集会の参加者らは、礼拝集会後もしばらく集会場に留まる。その際、参加者は、幾つかの会話場にわかれて会話をしている。しかし、どこかの会話場で冗談が語られ出すと、他の人々は会話を止め、その冗談に聴き入る。結果、集会場には一つの会話場が生成する。礼拝集会において、人々は積極的に笑いを生成させようとする関与態度をとる。
2)礼拝集会後、礼拝集会における過去の失敗談などが、冗談の題材として選ばれる事例がみられた。また、妖術が原因であるとされた災いが、儀礼後は、本人の過失が主な原因であると語り直され、からかいの対象になる事例がみられた。
3)笑いを調和や回復と関係づける語りがみられた。また、礼拝集会後の笑いは大切であるという語りもみられた。
 「調和」の回復過程では、それまでは深刻であった問題がからかいの対象として語られる。その過程では、問題は冗談によって再構築される。そして、礼拝集会参加者の関与態度によって生起する笑いが、「調和」回復の指標となっている。
 

平成25年度

 
川瀬 由高(首都大学東京大学院 人文科学研究科)
中国江南地方における小?婦(養取的縁組制度)の社会人類学的研究

 本研究は、「養取的縁組制度」により婚入した女性である小?婦(童養?)を対象に、彼女らの生活体験を記録すると共に、周辺的な親族制度から漢族の親族・婚姻制度を再考するものである。
 幼少の頃に養子に出され、将来は養取した家の男児と結婚することが定められていた童養?の慣行は、一般に、貧しい家で執り行われるとされ、人びとの蔑みの対象ともなっていた。この「中国の負の部分」であるという認識に加え、調査者が日本人であることから、彼女らが存命であるという情報を得ても、「取材」は敬遠されるという場合もあり、調査は難航した。今回の調査では、文献調査に加え、文献レベルでは把握不可能であった「童養?の根強かった地域」を現地の大学研究者および在野の知識人にご教示頂くとともに、友人の紹介・補助のもと、既に他界した童養?の親族の方々、および存命中の4名の童養?であった女性に聞き取り調査を行った。
 江蘇省及び浙江省の広域地帯を調査範囲とした今回の調査では、地域差が顕著であった。例えば、南京市G区では、童養?は「旧中国」における存在と「新中国」における消滅という、いわば典型的な言説で理解されている。その一方で、温州市R市では、現在50歳代の童養?もおり、「新中国」後にもこの婚姻形態が採用されていたこと、及びそれを容認する言説空間の存在を示している。同地域では、わがままな女児の教育のために「童養?に出された」という事例まで存在した。
 また、童養?については「(普通は難しくなってしまう)嫁‐姑関係が非常に円滑になる」といった肯定的な語りも存在した。童養?という婚姻制度は、経済的な調整弁(婚礼費用の節約等)であると同時に、親-子、嫁-姑などの親族関係を組み替える契機でもあると言え、童養?への着目は、漢族の親族関係における柔軟性、および理念と実践の交叉するプロセスを理解するための、重要な手がかりとなると考えられる。 
熊田 陽子(日本学術振興会特別研究員-SPD(首都大学東京))
性でつながる・性がつなぐ――性風俗店に見る都市的親密性形成過程の民族誌的研究

 本研究では、人々の生の根幹をなす性を切り口に、都市で親密性が確保される過程とその内実について、東京都市部のSMクラブ(以下「X店」と呼ぶ)の臨地調査を通じて得たデータに基づいて解明した。本研究は以下の方法で遂行された。第一はX店における臨地調査を通じた、女性従業者(以下「おんなのこ」と呼ぶ)と客の関係形成の実態及び「おんなのこ」のライフヒストリーの収集、第二は元女性従業者の追跡調査、第三は関係形成が成される空間すなわちホテルの検討である。なお、当初は、東京在住の2名に加え、三重、広島、青森各県につき1名ずつ元従業者の追跡調査を予定していたが、そのうち2名がX店に復帰し、1名は東京に転居したため、新たに別の元従業者1名を対象化し、沖縄県で追跡調査を行った。その成果は以下の通りである。性を通じた都市の親密性を論じるにあたって本研究は、「都市的なる」関係を次のように定義した。都市で人々は様々な性質の関係を構築するが、中でも都市に特徴的なのは、個人が自分の持つ諸ネットワークを分割し、個々のネットワークでつながる他者に対して別のネットワークを秘匿できるという点にある。本研究ではこうした理解に基づき、「都市的なる」関係が「おんなのこ」と客の間でどう形成・維持されるのかについて、ホテルの検討を踏まえつつ詳細に分析した。更に、そこで形成される親密性に関して議論を深化させるため、4人の「おんなのこ」に特化した考察を行い、「都市的なる」関係で作られる「自己」の形成過程を明らかにした。また、元従業者については、彼女らがいつ、どのように「おんなのこ」であることを止め、そして現在「おんなのこ」としての経験をどう理解しているのかを探りながら、元従業者の生において「おんなのこ」であったこと(これはすなわち客を中心とした人々との親密な関係を意味する)が持つ位置付けについて検討を行った。 
里見 龍樹(東京大学大学院総合文化研究科 博士課程)
ソロモン諸島マライタ島北部の「海の民」ラウにおける海上居住実践とサンゴ礁生態系の相互連関に関する人類学的研究

ソロモン諸島マライタ島北部に住む「海の民」ラウは、岩石状のサンゴの砕片を海底に積み上げて島を造るという独自の居住慣習をもつ。本研究は、この人工島居住をはじめとするラウの社会文化的実践と、この人々が暮らすサンゴ礁という環境の密接かつ相互的な関係について検討することで、メラネシアにおける人々と海洋環境の関わりについて新たな知見をもたらすことを目指してきた。
 本助成を受けて行った現地調査では、男性/女性、若者/高齢者の別を問わず、ラウにとってサンゴ礁がごく身近な環境としてあり、主要な「岩(fou)」すなわちサンゴの名称と特徴についての知識が広く共有されていることが確認された。他方で、個別の「岩」が「生きている」か「死んでいる」か、とくに、人工島の建材として用いられるのが「生きた岩」なのか「すでに死んだ岩」なのかについては、人々の間に異なる認識が見られた。人工島の建設には主に化石サンゴが用いられるが、多くの人工島居住者は、島は「生きた岩」で造られ、それらの「岩」が「死ぬ」ことで「島が低くなる」という認識を語る。ただしこのような認識は、人工島からマライタ島本島に移住した人々の間では必ずしも共有されていない。
 このような差異の反面で、人々の語りには、「過去においても現在においても、岩はつねに成長し続けており、このことは今後も変わらない」という明確な信念が共通に見出された。現在のラウ地域では、過去の人工島建設により多くの場所で化石サンゴが乏しくなっているが、人々は、将来における「岩」の利用可能性について楽観的であるように見える。本研究からの展開として、今後は、サンゴ礁に関するラウのこのような認識をより詳細に検討し、環境変動の中での人工島居住に対する認識の変化などとの関連を考察していきたい。
 なお、博士論文の執筆スケジュールとの兼ね合い、および家族の健康上の事情により、調査期間をやむなく変更・短縮した。
佐本 英規(筑波大学大学院 人文社会科学研究科)
現代メラネシアにおける伝統音楽の商業的展開と複合的な社会関係―ソロモン諸島マライタ島南部における竹製パンパイプ音楽アウを対象として―

本研究課題の目的は、ソロモン諸島マライタ島南部アレアレ地域において実践される竹製パンパイプ音楽の商業的展開について、在来音楽をめぐる所有関係の動態という観点から考察することであった。目的を達するため、2013年5月〜2014年1月までの9カ月間、ソロモン諸島国首都ホニアラおよびマライタ島南部アレアレ地域の村落においてフィールドワークを行った。
ソロモン諸島マライタ島南部アレアレ地域では、アウと呼ばれる竹製パンパイプの演奏が盛んである。従来、アウは婚姻儀礼や死者祭宴に際して余興として演奏されてきた。しかし、キリスト教化の進んだ今日のアレアレにおいては、そうした儀礼・祭宴が催されることはほとんどなくなっている。代わってアウの演奏が行われるのは、地域のスポーツ大会や政治家が開く集会、キリスト教の祭礼などの機会である。首都ホニアラで催される観光イベントや政府関連行事の余興として演奏されることも多い。また、最近ではオーストラリアやヨーロッパ、日本などで開催される音楽祭に参加する演奏集団も現れている。
アレアレにおいて、アウの演奏に用いられる楽器と、演奏のための技術・知識・能力は、特定の出自に帰属するものと認識されている。ただし、楽器そのものの使用や、楽器の製作や演奏に関わる技術・知識へのアクセスは、実際にはほとんど制限されておらず、アウをめぐる所有関係は柔軟かつ曖昧である。他方、今日のアレアレでは、観光イベントや音楽祭などの機会に演奏を行うことによって報酬を得ることを目的とした演奏集団が多数組織されており、そうした集団による商業的活動の過程において、報酬の分配に関する不満や演奏集団の成員構成をめぐる対立を契機として、アウの帰属や演奏に関わる権利についての観念が先鋭化する状況が観察された。アレアレにおいては、在来音楽の商業的展開に伴って、所有関係に揺らぎが生じているといえる。
關野 伸之(京都大学大学院理学研究科)
セネガルにおける海洋保護区の言説と地域社会への影響

 本研究は、水産資源枯渇が叫ばれている西アフリカ沿岸域において、近年、積極的に設置が進められている海洋保護区が地域の経済的発展と環境保全を両立しうるものとなるのか、検証するものである。
 近年、サメの乱獲が危惧され、ガーナ人漁師とセネガル人漁師の争いが起きているという南部カザマンス地方に環境NGOが新たに設置したポワントゥ・サン・ジョルジュ海洋保護区およびその周辺漁村で聞き取り調査を行った結果、以下の点が明らかになった。
 海洋保護区を維持管理するための運営委員会および監視委員会が組織化されたものの、資金不足に悩み、現在は活動が停止していた。資金不足の打開策として期待されたエコツーリズムも2013年7月の観光ビザの義務化による観光客数の急激な落ち込みの影響を受け、さらには観光収入の分配をめぐって地域対立が生じていた。環境NGOは設立当初こそ、現地を訪れたものの、代表者が政界に進出し大臣に就任してからはまったく訪れることなく、地域社会は見放された状態にあった。セネガル初の海洋保護区であるバンブーン海洋保護区でみられたように、環境NGOは地域社会や水産資源保護の主張をうまく利用し。自らの政治権力を高めているようである。
 海洋保護区が機能していない一方、ガーナ人漁師が多数移住し、セネガル人漁師が対象としないサメを漁獲し天日干しにしてガーナへと輸出していた。サメの体調は30-50cmほどのかなり小さなものであり、水産資源の枯渇が危惧される。くわえて、サメの内臓を抜き出す際に流出するアンモニアが土壌に侵食し、井戸水の汚染が確認された。井戸水の汚染は汚染除去費用の捻出がしにくい小規模な観光事業者にとって大きな打撃である。水産資源の乱獲が新たな環境汚染を巻き起こすという環境問題の負の連鎖がみられ、今後も継続的に調査を行っていく必要性がある。 
田中 理恵子(東京大学大学院 総合文化研究科 超域文化科学専攻)
芸術的経験の変容に関する研究―現代キューバ社会における初等音楽教育と身体―

 本研究は、キューバ・クラシック音楽の実践を例に、芸術的経験の変容の様相から現代社会を問うことを目指している。より具体的には、初等音楽教育機関での民族誌的フィールドワークを実施し、社会文化システムと個々人の芸術的経験の相関を検討することが目的であった。
 現地調査を通じて、@キューバ・クラシック音楽は、大衆/高次、双方の音楽的伝統を強固に併せ持つため、Aまさにキューバという場で「クラシック音楽になる」生成のメカニズムを持つ。Bまた深刻な経済状況下では、人々が諸アクターを飲み込みながら自らの音楽とする「生きる」実践のプロセスが色濃く表れるという特徴が示された。このことから、この音楽事象は、真正性を基準とするような従来のオリジナリティの議論を無効にし、ある種の「非本質性を本質とする」ラテンアメリカ独特の感覚を浮かび上がらせていると考えられる。
 次に、多くの音楽家たちは、多種多様な音楽・芸術の技法を身に着けているという意味での、ハイブリッドな身体を持つことが見てとれた。しかし他方で、初等教育の現場では、こどもたちは「新しい」芸術的経験としてクラシック音楽に出会う。そして日々練習を繰り返すなかで、クラシック音楽の経験は他の芸術から分節化され、彼らの身体は自動的に音楽に反応するメディアとして統合される。多様性/統合性という意味で一見矛盾する彼らの身体は、しかし日常生活では強固な大衆音楽の伝統にもさらされることから、そのハイブリッド性を日々更新せざるを得ないのではないかと考えられる。
 この点からもうかがえるように、「いま・ここ」に生成するキューバ・クラシック音楽を理解するには、社会文化システムが芸術に与えるラベルの下で、その音楽事象と人々の「生きる」実践がいかに濃密に関わるのかを描く作業が不可欠になる。それが本研究の今後の課題でもあり、またその志向性は、民族誌的記述の今日的可能性でもあるだろう。
朴 承賢(東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻文化人類学コース)
超高齢社会「団地」の家族と住まい―東京北区桐ヶ丘都営団地の建替えを中心に―

本研究は1954年から5,920世帯のマンモス団地として建てられ、1995年から建替えが行われている東京都北区「桐ヶ丘都営団地」でのフィールドワークを通じて、1)住居福祉の後退、2)建替えによる建造環境の変化や移住、3)住民の高齢化という複合的な変化の中で、団地の「孤独死」で極端に現われる住民の「社会的な孤立」の問題を考察し、超高齢社会における「老いの経験」や「死の意味」を追究して、持続可能な地域コミュニティへの問いを論じることを目的とした。
 現在の桐ヶ丘団地は、住民の高齢化率が50%を超える「超高齢社会」であり、高齢化と建替え、建替えによる移住が共に進むことにより、住民の日常的な相互作用が急激に萎縮され、長い歴史の自治会組織も大きく揺れている。 住民の定住志向に加え、住居福祉の後退という政策的な問題が加わって、「若い夫婦と幼児の世界」であった桐ヶ丘団地は、高齢化率が50%を超える「超高齢社会」となっている。新自由主義的な福祉政策がいかに最も脆弱な階層を分裂させ、孤立させるかの問題が「老いと貧困」という二重のラベリングが交差する桐ヶ丘団地の現場で表れている。
 現在の建替えでは全体世帯の40%が1DKとして建設されている。シングル時代の間取り「1DK」として象徴される「社会的孤立」は団地の「孤独死」に極端に表れている。そばに誰もいない「1DKマイホーム」での死、悪臭で発見され「公共」が関与する死は、人類が経験したことのない死のあり様であり、 衛生的に隠蔽されている現代的な死の転覆である。研究者はかつて地域自治の象徴的な空間としても記録された桐ヶ丘都営団地での孤独死を通じて、プライバシー確保が最大の関心であってきた「団地」という空間を省察し、自立や介護の意味を追究して、無縁化されている超高齢社会へ求められる持続可能なコミュニティの在り方を再考する。
橋本 栄莉(一橋大学大学院社会学研究科)
独立後南スーダンにおける「民族紛争」の変化と「土着の予言者」に関する人類学的研究

 独立後の南スーダン共和国ではウシや子供の略奪をめぐる集団間の戦いが激化しており、戦いの要因の一つとして、ヌエル(Nuer)の「土着の予言者」の関与が挙げられている。本研究の目的は、南スーダン独立以前と以後の「民族紛争」の違いを明らかにし、現在の「民族紛争」と予言者との関係を捉え直すことにある。
 本研究の目的を達成するため、平成25年12月に南スーダンで調査を行った。当初の計画では、ジョングレイ州で調査を行う予定であった。しかし、調査中に同州で大規模な武力衝突が生じたため急遽予定を変更し、首都に暮らすヌエル人にインタビュー調査とこれまでの調査で集めた資料の分析を行った。調査により明らかとなったのは次の点である。
 第二次スーダン内戦中に組織されたヌエルの武装勢力の台頭と、2010年以降繰り返される反政府軍の反乱の中で、それまでの集団間のウシの略奪をめぐる戦いは大きな変化を遂げた。これらの戦いの中では、各武装勢力を構成する「民族」が外部者によって強調され、また戦いに参加する若者たちにも、「民族」の違いが敵愾心に結びつくかのように語られるようになった。しかしながら、小火器の流通や軍事システムの借用から、地方色の強いこれらの武装集団は一民族集団に還元できない、近年の武力衝突の中で登場した複数の武装勢力の間で展開しているものであることが指摘できる。
 また、「民族紛争」の主要なアクターである武装集団において、「予言者」は組織のリーダーほどの影響力を持ってはいなかった。南スーダンに広がった「人びとを扇動する予言者」の噂は、その「前近代性」を強調する報道などとともに誇張されて捉えられてきたと考えられる。しかし、神性の力を借り「奇跡」を起こすという予言者の仕事は、一部の若者たちにとっては重要な役割を果たしていた。この「奇跡」がどのように多数の人びとに受け入れられるようになるのかについては、今後更なる調査が必要である。
藤川 美代子(神奈川大学歴史民俗資料学研究科博士後期課程)
中国福建省南部における水上居民の「陸地定住」をめぐる人類学的研究−「漂白」/「定住」の狭間を生きる連家船漁民の事例から−

 本研究の目的は、1949年以降、中国で進められた陸上定住政策により土地と住居を得た水上居民たちにとって、「陸地定住」が意味するものとは何かを問うことにある。研究の対象としたのは、福建省南部九龍江河口において、長く陸地に土地を所有せず、船で暮らしてきた「連家船漁民」と呼ばれる人々である。かつて彼らは、家族で船に住まいながら漁をする移動生活を基礎としていたが、1960年代、集団化の中で農村の耕作地を譲り受けて集合住宅を建設し、そこは漁村という生活・生産の拠点として機能し始めた。しかし、現実に眼を向ければ、内海や外海へ漁に出る人々が依然として漁村全体の77%を占め、彼らの大半は夫婦や家族で3ヶ月から半年ほどの間、出先の港に漁船を泊め、その船で寝泊まりして過ごす。休漁期に漁村へ戻っても、食事を家で摂るのみで、昼は船で網を修繕し、夜は甲板の下部で寝泊まりをする人も多い。彼らにとって、住居の獲得は移動生活の終焉と定住生活の開始を意味してきたといえるだろうか。
 かつて、土地や住居を持たぬことから差別の眼差しに曝されたという連家船漁民たちの話からわかるように、(研究者を含めた)周囲の人々にとって、水上や船上の世界は貧しく、悲惨なものとして陸上世界とは真逆の意味を付加されがちである。しかし、連家船漁民の日常生活に注目したこの調査からは、陸上で育った経験しかない若年層の中にも、両親の後を継いで漁船での移動生活へと親しみ、最終的には漁船を譲り受け独立した形で漁業を営む者が多いことがわかる。ここから窺えるのは、水/陸という世界の間に、さほど明瞭な境界を設けずに、その間をいとも簡単に乗り越えながら、両世界に跨った生活を営もうとする彼らの態度である。今後は、ロマや遊牧民を対象とした人類学で議論され続けてきた「漂泊(ノマド)」/「定住」という二項対立的モデルを連家船漁民の場合で検討し、それを問い直すことを目指したい。
古川 不可知(大阪大学大学院人間科学研究科 人類学研究室)
<シェルパ>をめぐるイメージと模倣 −ヒマラヤ観光とトレッキング・ガイドの人類学的研究−

 当初の予定に若干の変更を施し、道と人々との関係をテーマとして調査を実施した。職業としての「シェルパ」というカテゴリを考察の対象とすることは当初の計画通りである。理由としては、現場において人々と対話を重ねるなかで、とりわけ「道」が彼らの生を切り取る鍵概念と思われたからである。

 ネパール東部のエベレスト南麓地域はトレッキングのメッカであり、現在は年間3万人を超す観光客・登山客が訪れている。シェルパ族の居住地である当地には、多様な民族の人々もまたガイドやポーターとしての職を求め、しばしば「シェルパ」を名乗って集まる。この職業としての「シェルパ」というカテゴリが現地の観光実践の中でどのように認識され、再生産されているのかを問いとして、2013年6月から2014年3月までのあいだ、ネパール国ソルクンブ郡において現地調査を実施した。トレッキング・シーズン中はポーターやガイドとともに山道を歩くことで参与観察をおこなった。また、オフシーズン期にはシェルパ族の村落に居住して悉皆調査等を実施し、基礎的な民族誌資料を収集した。
 ここでは主要な成果として3点を挙げる。@現地の人々は、登山の仕事に従事する人々を「シェルパ」と呼ぶことを「本当は間違いである」としつつも、枠組みの存在自体は認識されており、むしろ多様な立ち位置の人間によって相互に異なりあう「シェルパ」観が交渉される中でカテゴリが実体化していくこと。Aポーターを経てトレッキング・ガイドとなり、さらに登山ガイドへと至る「シェルパ」のキャリア・パスが共有されており、階梯を上昇するにしたがって「シェルパ」とみなされる機会も大きくなること。Bそのキャリアの過程においては、人と道との関係が変化していること。すなわち、ポーターとして重い荷を負って歩くことから、道を知ることでガイドとなり、道を見出す/作りだす能力を身につけることで登山ガイドとなってゆく。
堀江 未央(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
中国雲南省におけるラフ族女性の結婚と移動 −省外漢族男性に嫁ぐ女性たちの語りから

  @ ラフ社会における婚姻の変化と民族間結婚に関する投稿論文の執筆・公表
 ラフ村落におけるこれまでの調査によって明らかになった、ラフの村落規範や婚姻慣行、女性の省外婚出の変遷、女性の流出が村に与えた影響について、積極的に研究発表を行った。2013年4月に早稲田大学で開催された「仙人の会」、2013年6月の文化人類学研究大会、2013年11月にアモイで開催された国際学会East Asian Anthropological Association、2014年2月に京都大学で開催されたJSPS Asian Core Program Final Workshop、2014年3月に昆明で開催された国際ワ−クショップSoutheast Asian Studies in Asia from Multidisciplinary Perspectivesにて研究発表を行い、討論を通して考察を深めている。また、雑誌『東南アジア研究』に、論文「中国雲南省ラフ族女性の遠隔地婚出――ラフ社会における結婚との関わりに着目して――」を投稿し、52巻1号(2014年7月発行予定)に掲載が決定した。

A 計画生育政策と、漢族農村地域の婚姻に関する文献研究
 中国における少数民族女性の漢族地域への婚出を理解するため、計画生育政策の実態や漢族の婚姻形態、戸籍制度の変遷などに関する文献資料の読み込みを行った。人口センサスや、漢族の婚姻に関する民族誌などの文献資料から、漢族農村においては1980年代以降婚資と持参金のバランスが大きく変化し、婚資の額が大きく上昇していることが明らかになった。

B ラフ女性の婚出先での生活に関する短期フィールドワーク  ラフ女性の婚出先での生活を知るため、2013年8月に安徽省や江西省での調査を計画していたが、2012年9月の尖閣諸島国有化以降の日中関係の緊張に伴い、婚出先での調査は延期を余儀なくされた。しかし、2013年9月には従来の調査地であるラフ村落での追加調査を実現することができた。ラフ村落の再訪によって、近年漢族地域での生活を放棄して帰郷しつつあるラフ女性が増加していることが明らかになったため、帰郷した女性たちに対して、婚出先での暮らしや帰郷の経緯に関する聞き取りを行った。
松波 康男(一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程)
エチオピア・ボサト地区における参詣儀礼についての人類学的研究

   本研究は参詣儀礼を個人の悩みに対処する一方法と捉え、個人が自らの悩みを解決するためにどのような方法をとるのか、そしてその悩みがどのような内容であり、どのような条件が揃えば参詣が敢行されるのか、さらに参詣儀礼を行うことで個人の悩みがどのように変化するのか、もしくはしないのかについて現地調査を通して明らかにするものである。報告者はこれまで、エチオピア東部のボサト県ボリ村を調査の拠点として、聖地ファラカサなどに参詣に赴く人々の悩み、参詣に至る動機についての聞き取り調査を継続的に行ってきた。そして参詣者がどのような悩みを抱え、その悩みがどのような社会的文脈から生じているのかについて考察してきた。今年度の調査においてもオロミヤ州ボサト県にて参与観察を行った。当地で行われている儀礼では、疾病や人間関係の悩みを持つ人びと(「悩み持ち」と呼ばれる)がそこで当地の精霊に対してその悩みを相談し、その解決を目指している。今回の調査では、そのような儀礼の対話データをもとに調査助手の協力を得て翻訳、分析を行った。
 今回の調査であらたに次のことが分かった。人びとの悩みに対処する当該の儀礼は、ファラカサを拠点とする精霊崇拝の言説に則り敢行されることが大半であるが、ときおり精霊崇拝の言説とは異なる位置づけにある民族的慣習がそのような儀礼において登場し、人びとの悩みと密接に関わっているということである。その民族的慣習の一例がウルファである。ウルファとはオロモ社会で長子相続される首飾りなどの総称であるが、精霊への供物同様にこれの管理を怠ることもまた人びとの悩みの原因となり得るとされている。この発見は、異なる歴史的コンテクストを有する精霊信仰と民族的慣習との接点として当該の儀礼を考察するといった新たな視座を提供するものである。

平成24年度

 
石田 智恵(立命館大学衣笠総合研究機構)
日本人移民の集団的同一性の継承の諸相と「日系人」
――1960年代以降のブエノスアイレスにおける人種・国民カテゴリーとの関係
 本研究は、ブエノスアイレスの日本人移民コミュニティに「ニッケイnikkei」というカテゴリーが生成し定着する過程を記述することで、「民族」「国民」「人種」といった問題領域にまたがる集団的同一性が世代を経て継承される/されない際の諸条件について考察すること、またこれを通じて、1980年代以降のアルゼンチン社会の「国民」と「人種」の問題の布置を明らかにすることを目的とした。本助成を受けて実施した現地調査では、「日系社会」との接触の少ない環境で成長した日本人の子孫へのインタビューを行なった。また国内調査によって関連資料を複写・獲得し、博士論文完成のために不足していた点を補うことができた。
 ブエノスアイレスにおいて「アルゼンチン人」とは「白人」、「西洋人」であり、「日本人の顔」は「日本人」という名指しを誘発する。国籍も自己認識も「アルゼンチン人」である日本人の子孫たちは、「顔」の由来を問われ「日本人」と名指される経験を通じて、身体的特徴が、そのほかすべての属性や能力に先立って個人のナショナルな同一性を規定するという人種主義的ナショナリズムを日常的に経験してきた。このことは1980年代から現代において変化せず、変わったのは「ニッケイ」という自称の有無である。現在「ニッケイ」を名乗る日本人の子孫たちは、「日本人」の名を継承せず、「日本人」と自らの他者関係を示しながら、同時に「アルゼンチン人」としての自らの不完全さも示している。こうした「ニッケイ」たちの経験と行動に、アルゼンチンの「国民」と「人種」概念の結びつきとその限界が表出している。以上の成果を、博士学位論文「〈日系人〉の生成と動態――集団カテゴリーと移民コミュニティの歴史人類学」第5章および第7章としてまとめ、2013年3月に提出した。なお、博士論文執筆スケジュールの都合上、海外調査期間を予定よりも短縮した。
牛山 美穂(早稲田大学高等研究所)
ノンコンプライアンスと副作用をめぐる医療人類学的研究―日本とイギリスのアトピー性皮膚炎の事例から

 「ノンコンプライアンス」とは、患者が医師の指示に従わない態度のことを指す。医療系分野ではこれに関する研究が数多く蓄積されているが、その多くは「いかに患者を治療方針に従わせることができるか」という医師の側からみた視点に終始している。この問題を医療人類学の研究として取り組むことにより、患者側からの視点を構築していくことが本研究の目的であった。
 本研究の最大の成果は、2012年度、博士論文「アトピー性皮膚炎のエスノグラフィー:日本とイギリスにおける患者の知をめぐって」を提出したことである。ここでは、日英のアトピー性皮膚炎の患者、医療従事者に対するインタビューデータを紹介しながら考察を行った。ここから見えてきたことのひとつは、薬の副作用に関する、患者の経験と医師の認識にギャップがあったことである。アトピー性皮膚炎の治療には、ステロイド外用薬という、炎症を一時的に抑える薬がもっともよく使用される。この薬は、皮膚に塗れば炎症が治まるが、長期的に使用し続けた場合、徐々に効かなくなってくる、皮膚が薄くなる、使用を止めると症状が急激に悪化するといった副作用が生じる場合がある。そのため、アトピー性皮膚炎患者のなかにはこの薬の使用を止め、病院にも通わなくなるものもみられる。
 医療現場では、こうした患者の態度が問題視され、ノンコンプライアンスとして捉えられてきたが、患者に対する聞き取りからは、患者が非合理にこうした態度を取っているわけではなく、自分が薬を使った経験にのっとり、ステロイド外用薬を使わない選択をしていることが浮き彫りになった。
 しかし、患者の経験に基づく「患者の知」は、医師などの専門家がもつ「専門知」に対して、劣ったものだとみなされ、そもそも「知」として認められない現状がある。本研究では、「患者の知」に関する先行研究を紐解きながら、いかに患者の経験が、医師の持つ「専門知」とは異なる形の「知」を形成しているのか、考察を行った。
小池 淳太郎(東京大学大学院総合文化研究科)
パプアニューギニアにおいて地域システム形成を語ること―オクサプミン・テレフォミンの移住のフロンティアとなった土地を焦点に(タイトル変更)

 パプアニューギニアのセピック川、フライ川の水源地域に広がるミン地域のオクサプミンは、いくつかの条件から、人口収容力には一定の余裕があるといえる。その中で例外的なのが、西方のテレフォミンと接するT地区である。T地区は、比較的近年になって、オクサプミンのいくつかの外婚制の父系クランから数家族ずつが移入するような仕方で切り開かれていった地域である。過去にはテレフォミンとの争いも生じている。T地区では、人口増加による土地不足により、一定数の子供が、古い血縁を辿って地区外の同じクランの家族に養子に出されている。そして、T地区の人口増加の理由について、地区外の人々は、「T地区の人はT地区の人と結婚できるからだ」と述べた。確かに、T地区の婚姻は地区内で内婚的といえる。
 こうした事実とその他の調査成果も考え合わせると、次の二点が述べうる。第一に、T地区の婚姻のあり方を、自分たちが行っている婚姻と異なるものとして認識できるように、オクサプミン全体としては、クラン間の対立と外婚を抜きにして地域システムを語ることはできない。研究史を踏まえて述べると、方法論として、何らの禁止もない中での個人を想定するネットワーク論的な語り方を全面的には採用できない。個人の行為の積算は、それに先行する集団間関係を説明はしない。だが、第二に、一方で、ネットワーク論的な地平の開け方に抗するものとしての外婚が形を変えて存続し、地区の中で結婚するというT地区の事態を相対的に不思議なものとして感覚していながら、他方では、それが人口を増加させ地区の力を高めるような肯定的なあり方かもしれないという想像力も同時に働いているといえる。この点は、オクサプミンでの典型的なリーダー像が「ナメル・マン(間に立つ人)」であることや、オクサプミンにおいて富などの「集積」がどのように想像されているかとも合わせて、より具体的に追究される必要がある。
園中 曜子(京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程)
トルコ共和国におけるケマル・アタテュルクの視覚表象物−モノが媒介するナショナリズム−

 現代トルコにおいては、アタテュルクのお面、旗等を用いてデモを行ったり、カレンダーの制作など、アタテュルクの視覚表象物を利用して活動を行っている団体が急速に増えていて、彼らの活動はニュースや新聞で報道されるなど、大きな注目を集めている。
 そこで、その中でも代表的な5団体に焦点を合わせ、彼らの視覚表象物との関わり方を調査するため、それらの団体が出版する書籍や雑誌についての研究を行い、またインタビュー調査、参与観察を行った。
 高校生や大学生を中心とするそれらの団体は、主に現在の政党の政策に対抗するものとしてアタテュルクの視覚表象物の制作、配布、展示などをおこなうほか、アタテュルク本人の著作の読書会なども頻繁に行っている。そして、現在の政党が掲げる「経済力のあるトルコ」というスローガンに対抗し、共和国設立時にアタテュルクが述べていた「独立した国、トルコ」というスローガンを打ち出し、アタテュルクの著作の中に、現在のグローバル経済の中で生活しながらも独立した国、トルコというものをいかに維持していくかというヒントを見出し、議論を行っている。
 これらの団体にとってアタテュルクのお面やカレンダーなどの視覚表象物は、モスクやスカーフなどを用いた現在の政党のビジュアル戦略に対抗し、「我々はアタテュルクの兵隊である」ということを示すスローガンでもあり、街頭や大学でのメンバーの勧誘、デモや集会の際にそれらに関わる人々の団結を強め、また新たなメンバーシップを築いていくための重要なツールとなっていることが明らかとなった。
難波 美芸(一橋大学大学院・社会学研究科・博士後期課程)
移動と交通の人類学的研究 ―ラオス首都近郊農村社会における鉄道開発を事例に

 本研究の目的は、ラオス史上初の旅客輸送鉄道と駅が当該地域の人々のくらしに与える直接的・間接的作用について、人々の移動のあり方から考察することである。研究計画よりも実地調査の開始時期が遅れたが、2012年6月から約8ヶ月間ラオスでの調査を行うことができた。
 ラオス首都ヴィエンチャン近郊のハードサイフォン郡ドンポシー村からタイとの国境をまたぐわずか3.5kmの国際鉄道は2009年に開通したが、現在、この路線を首都中心部へと延長させる計画が進行中である。このほかにも複数の鉄道路線の建設計画があるが、その一方で実際に着工が始まっている路線はない。
 既に鉄道が運行し始め、また今後さらなる路線延長を経験することから、当該地域では開発の事前と事後とが同時に存在している。鉄道開発を推進する政府機関やコンサルタントのレベルでは、内陸山岳国であるラオスの孤立性を強調した言説によって特に今後の交通インフラ整備の必然性を示そうとしている。だが既存の鉄道による経済効果は低いどころか開通当初から赤字となっており、都市部に住む一部の知識階級の人々は今後の鉄道開発に関して財政面からも環境面からも批判的に疑問視している。
 ドンポシー村とその周辺地域のレベルでは、鉄道延長及び大規模流通センターや工業団地の建設が土地価格の高騰と投機に拍車をかけ、また工場での仕事を求めた村外からの移入者の割合が高くなっていることや、労働を含む村外活動の増加を背景とした様々な変化がみられる。だがかつてからその移動性の高さが顕著であるといわれてきた人々のくらしに見られる現在のこのような流動性においては、鉄道開発を背景とする様々な変化もまたその流動性の一部として吸収するような柔軟な実践も抽出された。今後の課題として、こうした流動性を支える諸要素間の関係の総合的な理解を深めるため、より基礎的な村落調査を継続して行っていく必要がある。
丹羽  充(一橋大学大学院 社会学研究科)
ネパールのプロテスタントによる「文化」と「宗教」の切り分けとその影響

 ネパールのプロテスタントの間では、在地のヒンドゥーや仏教といった異教との関わりが問題となってきた。プロテスタントへ改宗した場合、異教実践を放棄しなければならない。だがネパールでは、諸々の伝統的実践の起源が忘れ去られており、何が「宗教(異教)」的実践で、何が「文化」的実践なのか判然としない場合が少なくない。こうした中でプロテスタントたちは、放棄すべき「宗教(異教)」的実践と、許容すべき「文化」的実践を切り分けなければならないのである。本研究では、集中的な聞き取り調査と資料収集によって、それがどのような論理に基づいているのか、また、それがどのような影響をプロテスタント共同体内外にもたらしつつあるのかという点に着目した。
 その結果、明らかとなったのは、まず、プロテスタントたちの間では、切り分けられた「宗教」と「文化」のそれぞれの内容は広く共有されているものの、その背後にある(と思われた)論理に対する関心が極めて希薄な点である。「宗教」と「文化」の切り分けは、主知主義的な論理によってではなく、プロテスタントたちの間での実践の相互参照によって成り立っているのである。これに対して、主知主義的な「宗教」と「文化」の切り分けの可能性について議論を試みようとする聖職者もいないわけではない。だが、そうした問い返しをする者は、往々にして「異端者」扱いされてしまうが故に、議論は閉ざされてしまう。
 また、プロテスタントたちが「宗教」と「文化」と切り分けることが、プロテスタント共同体外部の「宗教」や「文化」という概念に対して影響を及ぼしている点が確認された。つまり「キリスト教徒が実践しているのであれば、それはヒンドゥー的実践ではない」という論理が立ち上がりつつある。ここでもプロテスタントたちの間で見られたのと同様に、実践の相互参照が「宗教」や「文化」といった概念を構成しつつある様態が観察された。
濱  雄亮(慶應義塾大学文学部 非常勤講師)
病縁論の射程:小児慢性疾患をもつ人々の経験を中心に

【調査の概要・成果】
 患者会のイベントにおける数度の参与観察と個別のインタビュー調査を行った。
 成果は2つの方向性に分かれる。
 一つは、「自己エスノグラフィ論」である。まず、個人の経験の記述と分析を通して文化を研究するための新しい方法である「自己エスノグラフィ」の意義と特徴を明らかにした。次に、著者自身の病いの経験を自己エスノグラフィという方法で対象化して示し、日本における自己エスノグラフィに貴重な一例を加えた。さらに、それを通して浮かび上がる問題に対して医療人類学はどのような形で関与・介入・貢献できるのかについての試論を提示し、医療人類学の実践的効用についての議論を深めた。
 もう一つは、「病縁論」である。「病縁」とは、「病いを軸にして発生する人間関係」を指す申請者の造語であり、これを提唱した。まず、こうした人間関係を理解するための既存の研究には、「個人主義的傾向」と「患者会の特権化」という問題点があることも明らかになった。また、「病縁」の錯綜性は、実践コミュニティ論で想定されているたような直線的な軌跡を前提にしては捉えきれない。本調査において明らかになったのは、先行者との差異を詰めようとすることではなく、差異に基づいて/差異があるからこそ相互に参照しあう関係の存在であった。こうした「病縁」は、偶然性・構築性・身体性・継承性-創造性という点で特徴的であることが明らかになった。

【今後の課題】
 今回までの調査においては日本国内に限った例のみからの議論であったが、比較研究という課題が残っている。患者会研究においては国をまたいだ比較研究はさほどなされない傾向にあるので、近隣の東アジア諸国及び欧米・アフリカなどの遠隔地との三角測量的な比較研究によって苦悩(suffering)とともに生きる人間のあり方の普遍性と個別性に迫ることが、今後の本研究が目指すべき方向性である。
東山(丹羽)朋子(東京大学大学院 総合文化研究科)
東日本大震災・被災地における、女たちによる「生きる場」の創生:2つの「コミュニティ・アート」活動を事例として

 研究の目的は、東日本大震災の津波被災地において、それまでの暮らしの場やネットワークを失った住民たちが、職業や行政区域等の既存の枠組や境界を越え、新たなコミュニティを創生し、自分たちの「生きる場」を作り出していく過程を記録することにある。
 研究の計画段階では二地域の「コミュニティアート」のプロジェクトの調査を予定していたが、現地の状況変化により、実際には南三陸町及び当町の被災者が避難する隣接の登米市において、仮設住宅の住民たちのコミュニティ創再生支援を行うNPO と連携し、主に3つの活動(@仮設住宅の集会所を活用した被災女性たちの手仕事や食を共にする活動、A正月やお盆行事、夏・秋の神社の祭礼等の活動、B「きりこ」(切り紙の正月飾り)を応用したコミュニティアート・プロジェクト(震災後の鎮魂イベントや街の記憶の記録活動)に関して、聞き取りや映像による記録を行った。
 自らも上記活動に「ボランティア」として参与しつつ調査することで、被災前の当地の暮らしやコミュニティのあり様、それを支える自然との関係、また街が抱えていた人口減少や経済の問題等をめぐる調査者との「対話」それ自体が、被災者の方々の生活や街の再建に向けた新たな気づきにつながったことは、本調査の一つの意義だと考える。特に「きりこ」をめぐる調査は、被災後の現況や被災前の住宅や行事との関係等に関する神社の神職や氏子に対するほぼ初のまとまった聞き取り調査となり、その成果を現地の協力者たちと共有することができた。また刻々と変化する復興状況の記録を映像編集して現地の方に還元したり、東京での報告会開催や市民講座の企画等、より広く社会に開く活動も行った。
 当地では現在、高台移転を伴うまちづくりや震災の記憶の継承といった様々な問題が浮上する中、新たな共有のかたちや自然との関係が模索されている。この動きを継続して支援・記録していきたい。
深川 宏樹筑波大学大学院人文社会科学研究科
ニューギニア高地における争いと感情の動態に関する人類学的研究

 本研究の目的は、ニューギニア高地エンガ州の一村落における争いとその処理における感情の動態を明らかにすることにあった。具体的には、親族集団内の争いを対象とし、その処理方法である仲裁や村落裁判、ならびに争いに起因する感情の呪いへの転化とその解消の事例を考察した。ニューギニア高地エンガ州では、争いは概して親族集団外の関係で大規模になる。それに対して、集団内の関係では争いは個人間に留まり大規模化しにくいが、成員が他の成員との争いにおいて怒りや不満を抱くと、その感情は呪いとなるとされる。そのため、争いを処理する際も、争いの原因そのものではなく、怒りや不満といった感情に焦点が当てられる。具体的には、人々は当事者の怒りを解放させ解消する、伝統的な仲裁を好む。それに対して、近代的な簡易裁判制度である村落裁判は、怒りを抑圧し鬱積させるため、邪悪な行為とみなされ、むしろ相手への報復手段として利用される。しかし、仲裁と村落裁判はともに、争いの根本解決とはならず、争い再発の危険性を孕む点で共通する。加えて、争いが呪いへと転化した場合には、キリスト教の告白儀礼を導入し、神に怒りや不満を捨てることを誓い、和解を目指す。このように当地域の多元的な法体制は、感情の扱い方から評価され、構成されている。この点をふまえ、本研究ではニューギニア高地における法多元主義を、争いの解決ではなく、親族集団内の感情の制御や処理という観点から捉え直した。
山崎 寿美子(筑波大学人文社会科学研究科歴史・人類学専攻)
カンボジアのマイノリティ社会における噂をめぐる人類学的研究―ラオ人の相互行為にみる国家とのつながりと差異化―

 本研究は、カンボジアのマイノリティであるラオ人を対象とし、彼らがどのように国家とつながり、あるいは差異化するのかについて、噂という切り口から明らかにすることを目的とする。ここでいう国家とは、マジョリティであるクメール人からの働きかけや資本主義経済の浸透などを含む。
 本研究の調査地は、ラオスと国境を接するストゥントラエン州である。州人口の多くがラオ人であり、彼らは16〜17世紀にかけてラオス南部から移住してきた。ラオ人は、他のマイノリティと異なり、極端な異化でも同化でもなく、いわば忘却という形で国家の枠組みに取り込まれてきた。現在ストゥントラエン州では、肥沃な土地の取得や食い扶持探しを目的としたクメール人移住者が増加している。また、キャッサバやゴムの換金作物栽培や、観光地の整備、エコツーリズムが進んでいる。こうした中、調査地の日常生活にも変化がみられる。本研究では、2007年〜2008年の調査データに加え、2013年3月に行った調査のデータを分析し、近年の社会変化の具体的中身を明らかにしてきた。
 村人は、クメール人への土地の売却や民族間結婚に以前よりも積極的になっている。また、キャッサバやゴムの換金作物栽培も、他家の成功例を真似ながら村中に広がっている。水鳥や有機栽培の果樹といった観光対象も、他者から注目を浴びているという情報が共有され、「保護」している。しかし一方で、村人は頻繁に噂しあい、クメール人や換金作物栽培に精を出す人々を陰で非難する。こうした噂に、近隣づきあいの制限やクメール料理の過小評価、食物交換への積極的な評価など、微細な差異化の実態が表出する。人々は表面上は社会変化に向き合うものの、噂しあって、マジョリティや資本主義経済などに具体化される国家との対応に慎重になるのである。本研究では、噂で語られる事柄と行為のずれに着目し、マイノリティ社会の国家との対峙の様相を提示した。
和気 尚美(筑波大学大学院図書館情報メディア研究科)
移住先社会での移民の情報獲得とエンパワメント:デンマークにおけるムスリム移民の対人的情報支援をめぐる人類学的研究

 本研究の目的は、とりわけデンマーク社会への適応に課題の多いムスリム移民に焦点をあて、彼らを対象に提供されている情報支援の体制と移民の利用状況を明らかにすることである。移民対象の対人的な情報支援とは、移民個人が移住先での生活の中で求める情報に対して相談員や通訳を介して対面や電話で応対するサービスを意味する。本研究が対象としたのは、コペンハーゲン市立図書館ナアアブロ図書館(N?rrebro Bibliotek)による移民を対象としたサービス、デンマーク難民協会(Dansk Flygtningehj?lp)のアドバイザリー・サービスである。調査手法としては、主に情報支援の現場における参与観察と、サービス提供者側と利用者側の双方に対するインタビュー調査を用いた。
 調査の結果、両組織共に移民の情報ニーズに応じて、青少年移民に対する宿題支援、キャリア支援、デンマーク語の言語学習相談等の異なる角度から移民の情報ニーズに応える試みがなされていた。異なる団体がそれぞれ個別に活動しているように見える2つの組織は、一部協働の関係性を有しており、例えば、公共図書館で実施されている宿題支援の実質的運営は難民協会が担っていた。また、2つの組織に共通して、応対する担当者の持つ民族的背景とパーソナルネットワークが相談に訪れる移民の構成と密接に関係していた。公共図書館では常駐の担当者が1名のみであるため、その者と近い出身社会に属する移民は利用しやすく、その他の出身社会を持つ移民にとっては支援を受けにくい状況になっていた。
 今後は引き続きデンマークで調査を行い不足する一次資料の収集に努める中で、情報支援の場における相談の過程を分析し、移民のエンパワメントとの関係性について検討していく。

平成23年度

梅村 絢美(首都大学東京大学院人文科学研究科)
医療診断における言語の不在が患者に与える影響に関する人類学的研究――スリランカの土着医療の事例から――

 本研究は、医療診断が患者の病いの経験に与える影響に関して、スリランカ土着医療における言語を用いない診断の事例から考察することを目的としておこなわれた。研究遂行にあたり、2011年7月および2012年3月にスリランカのキャンディ県およびクルネーガラ県の農村地域の土着医療医のもとで参与観察および患者へのインタヴュー調査を中心におこなった。
 本研究の遂行により、研究計画で問題設定のひとつとして掲げていた、「病いの語り」研究、すなわち、医師による医療診断結果の言語化は、混沌とした身体的経験としての患者の病いの経験を言語秩序のなかに定位し、患者にある種の安心感を与え、患者みずからが病いの経験を語るためのきっかけや素材を提供するという研究枠組みのなかで、本研究の事例を議論することの是非を再度考え直さなければならないということが明らかとなった。現地調査をおこなった農村社会では、土着医療医は村民や他地域からやってくる患者から絶大な信頼を得ており、医師は唯一無二の治療能力アトゥグナヤーをもつ存在として見られている。医師が患者に不調の経過や状態を口頭で質問しないことや、医師が患者に診断結果を口述しないことに対し、どう思うかと患者に尋ねたところ、医師は脈診や触診のみで患者の身体に関するあらゆる情報を把握することができるために、あえて患者から話す必要がないこと、そして、こうした特異な治療能力をもつ医師による治療に対し、患者が口をはさむ必要はなく、診断結果を医師が告げないことは当然であるという答えが返ってきた。このことから、土着医療医は、特異な治療能力をもつ存在と見られており、患者との信頼関係のなかで診療が行われるため、患者が自らの病いを語る必要がないこと、そしてこうした医師への信頼により、患者が全面的に自らの身体を医師にゆだねるという姿勢が顕著であることが明らかとなった。
清水 祐美子(東京外国語大学博士後期課程単位取得満期退学)
フランス民族学の生成に関する研究?第二帝政政府による民謡調査を中心に

 本研究のための史料調査にあたり、史料の所蔵状況等の事前調査を綿密に行った。その結果、当初提出した研究計画を上回る、有意義な成果を得ることに成功した。調査は次の四つの方針で実施した。第一に、19世紀中葉のフランスにおける地方言語の状況に関する史料を入手するため、1864年に実施された中等教育実態調査の結果をまとめたマイクロフィルムのうち、言語関係の項目を中心に閲覧した。第二に、本研究でモノグラフ的に取り上げる、フランス政府(公教育省)が実施した民謡収集(フォルトゥール調査、1852-57年)に関して、全国で民謡収集を行なった調査網の詳細が先行研究では明らかにされてこなかったため、これを解明すべく、民謡収集を担当した「歴史研究委員会」(1834年に創設され、現存している)の発足から1860年代頃までの活動内容や、組織の実態を明らかにする史料を渉猟した。具体的には、調査網の人選など委員会の組織化に関する書類、歴史研究委員会で実施された諸事業の関係書類、歴史研究委員会の議事録、歴史研究委員会を改革する準備期間中に記された大臣宛の機密報告等である。第三に、フォルトゥール調査で民謡収集を行なった研究者らが、歴史研究委員会および公教育大臣と交わした書簡や報告類を閲覧し、撮影した。以上三点の調査はフランス国立古文書館で行なった。第四に、19世紀に出版された民謡集のうち、インターネット上に公開されておらず、日本国内の大学図書館等でも所蔵されていない貴重な書物を、フランス国立図書館にて許可を得た上で撮影した。なお、研究計画で言及したアルベール・カーン美術館所蔵の映像資料については、インターネット上にて全資料を公開することが決定したとの説明を受けたため、フランス滞在中に閲覧する必要性が低下したと判断し、当該美術館での資料調査に予定していた時間を、上記四点の調査に振り分けた。 
菅沼 文乃(南山大学大学院人間文化研究科)
高齢者福祉制度の歴史的変遷と高齢者の社会的地位に関する通時的研究―沖縄県那覇市の高齢者福祉を事例として

 本研究では、沖縄老年者が血縁や地縁の原理が衰退しつつある現在、どのように社会的な居場所を獲得しうるかについて、老年者が社会的地位を獲得しうるシステムを従来と現状とを比較することから考察した。
 沖縄に限らず、社会的地位やコミュニケーションは老年者の生活を支える精神的満足感につながり、親族・地域・友人関係やそれによるサポートの必要性は人類学に限らず諸分野で論じられている。沖縄においてこれらは、以前は沖縄的祖先祭祀での指導者的役割や、地域による老年者の精神的扶養に求められてきた。
 しかしながら、居住形態の変化により、老年者が多くの役割を担ってきた祭祀を行う機会は減少している。子世代以降の出稼ぎとしての日本各地への移住によって、また移住にともない代々継承されてきた土地を移動することによって、祖先祭祀の従来的な形での存続・継承、また親族関係の存続は困難になっている。
 近年、従来的な社会的地位・コミュニケーションの獲得の場の代替としての社会的福祉への期待が高まっている。しかしながら現状では、福祉政策およびサービスによる社会的地位・居場所の提供は、その対象となる老年者に十分に浸透しているとは言い難い。サービス利用者数こそ多いものの、施設の場所・参加定員・スタッフの人員確保等の問題において、すべての老年者を受け入れることは現状の制度枠組みでは困難であり、また老年者に一様に受け入れられるようなメニュー提供も困難である。
 こうした社会的地位獲得システムの変化について沖縄老年者はどのように対応しているのか。老年者は、これらの問題を、現状のシステムへの抵抗ではなく、ただ受容するのでもない形で乗り越えている。新しいシステムを、社会や生活経験、また現在の生活状況から老年者自身が形作った論理に従い、望む範囲・問題が起こらない範囲で利用する―自身を適応させる―という、沖縄老年者の柔軟な実践が本研究から抽出された。
高橋 慶介(一橋大学大学院社会学研究科)
ブラジル農村地域における土地占拠運動MSTの協働的展開を巡る人類学的研究

 本研究の目的は、ヨーロッパ移民の多い南部諸州で誕生した「土地なき農村労働者による運動(MST)」の北東部バイーア州ヘコンカヴォ地域での展開をめぐって、運動を成立させる人々や組織の間の協働関係を明らかにすることである。MSTは、大規模未利用地を集団で占拠し、法的認可を取得した上で、営農を中心とした定住を運動参加者に奨励する。報告者は、同目的達成のために、同地域サント・アマロ市の複数の定住地における活動家や定住者へのインタビュー、及び文献資料の収集を実施した。
 なお、報告者は、MSTがNGO、土地接収機関、ジャーナリズムやアカデミズム、地方及び中央政府、そして時に土地所有者とも思惑の一致とずれを伴いながら協働関係にある状況を既に明らかにしているが、本研究で明らかになったのは、同様の複雑な協働関係が、特に同地域においては、外部の人々や組織のみならず、MST内部にも見出せる点である。
 MSTは、農地改革の理念に基づいた協調的な運動参加者の育成を試みて、定住地での生活コミュニティとそこでの相互扶助の形成を促進する。本研究では第一に、活動家には、南部諸州に比べて貧しく就学率も低い同州の運動参加者は、コミュニティ形成に必要な協調精神を欠いており、運動を離脱しやすいと認識する者も多いこと、第二に、確かに、運動参加者には、占拠期間中に連邦政府から配給される「最低生活必要物資」の受給を参加動機とし、定住による配給停止を受けて運動を離脱する者が少なくないこと、第三に、ただし、簡単に離脱するような、こうした人々の移動に依拠せずしては、そもそも参加者の確保がままならず、集団占拠自体が成立しえないことがわかった。
 今後の課題として、人の移動をめぐるメカニズム、及びMSTの公式言説の真偽論に基づいた外的協働関係のみに着目してきた先行研究の批判的考察を通して、MSTの同州における展開を捉えてゆきたい。
西堀 由里子(東京外国語大学大学院総合国際学研究科)
上座仏教における社会参加についての人類学的考察

 本研究の第一義的目的は、本来世俗と離れ、涅槃への到達を目指すため日々の修行に励むとされる上座仏教出家者たちが複雑な現代社会の中で世俗とどのような関係性を築いているのか明らかにすることである。本調査では特に僧侶の教育・福祉における活動に着目した。調査地ミャンマーにおいては、僧院の多くが政府の学校に通うことの出来ない貧しい在家の子供たちに対して学習教室を開き、一つの教育機関として機能している。僧院の中には、在家の子供を対象とした養護施設を開いているケースも多い。調査ではまず養護施設などを統括する社会福祉局において聞き取りと一時資料収集を行った。次にミャンマー最大都市ヤンゴンを対象として僧院が営む養護施設を中心として、政府や他宗教の養護施設にも聞き取り調査をしてまわった。また、積極的に養護施設を訪問しているボランティア団体とも接触し、参与観察とインタビューを行った。調査から、僧侶が運営する養護施設の多くは政府の基準を通った公認施設は数少なく、ほとんどの施設が非公認であることがわかった。また、純粋な福祉活動を行うという意味において政府と一定の距離を保とうとする僧院もあった。さらに政府の運営する養護施設が主に孤児を対象にしているのに対し、僧侶運営養護施設では孤児は少なく、貧しい家庭や辺境の少数民族の子を呼び寄せ、学ばせているケースが多いことが分かった。それぞれの施設は、様々な問題を抱えていることが明らかになったが、在家である子供たちと共同生活を送る上でいかに在家/出家の区分を明確に維持するのかという点が多くの施設において一つの課題となっていることが分かった。その一つの解決策として子供たち全員を受け入れる際に尼僧や沙弥として出家させることが行われていた。今後は個別の施設の活動を追うとともに、辺境の少数民族が養護施設に到達するプロセスを明らかにしたい。
二文字屋 脩(首都大学東京大学院人文科学研究科)
遊動狩猟採集民の社会関係の再編に関する社会人類学的研究―タイ・ムラブリの定住化政策をめぐる社会変容を事例として―

 本研究は、タイ北部の遊動狩猟採集民・ムラブリを対象に、遊動生活に基づく柔軟な社会関係が、定住化政策によってどのように変化し、どのような再編成が試みられているのかについて、外部社会(タイ社会、モン社会)との関係を含め、現地調査に基づき人類学的に明らかにするものである。
 ムラブリはタイとラオスの国境付近一帯に広がる森にて、長らく遊動生活を送ってきた。しかし十数年前に始まる定住化政策により、遊動生活によって担保されてきたその柔軟な社会関係は、定住村において地理的に固定化され、現在では複数の村に分かれて住んでいる。それぞれの村の成立過程は多少異なるものの、しかし定住に至った背景には共通して国家政策としての定住化政策があり、強制的な非自発的定住化が進められた。
 タイ社会において低い社会的位置づけにあるタイ北部の山地民社会のなかでも最も低い位置づけにあるムラブリは、現在、タイ社会への包摂とタイ社会からの排除の渦中にあり、自立的な社会生活の構築を困難とする状況にある。基本的に伝統的な社会関係は、親族関係よりも個々人の社会関係に基づくものであったが、しかし定住化とそれに伴う市場経済への参加によって親族に基づく生産組織と世帯の固定化を招来した。ムラブリ社会では現在でも村を越えた人の往来はあるものの、しかしある特定の土地に根ざす生計の維持ゆえに別の村への移住は難しく、単発的な相互交流があるに留まる。さらに村と森の生産物を交換することで維持されてきた他民族との対等な民族間関係は現在、賃金労働者として他民族への経済的依存が高まるなか、大きな経済的格差を招き、自律的な経済活動に基づく社会生活の構築を制限している。しかしこうした状況において具体的にどのようにして自律性が保持されているのかを明らかにするためには、今後も継続的な調査研究の必要性がある。
野村 奈央(東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻)
ペンシルバニア州ランカスター郡におけるアーミッシュキルトの生産と消費

 本研究の目的は、アメリカ主流社会におけるアーミッシュキルトの消費を通じて、どのように「フォーク」の概念が形成されてきたか、また、それが「フォークアート」の生産者と定義される人々にどのような影響を与えてきたか、ということを考察することである。アーミッシュコミュニティ内におけるキルト作りの現状を知るために、アーミッシュの家庭に滞在することで民族学的調査を行った。具体的には、1)ペンシルバニア州とオハイオ州のアーミッシュコミュニティでの参与観察と聞き取り調査、2)オンタリオ州アーミッシュ歴史図書館での一次資料の収集を実施した。その結果、以下の事柄が明らかになった。
 第一に、アーミッシュコミュニティが観光産業に深く関与するようになった結果、コミュニティ内で使用されるキルト制作が分業化されたことである。1970年代以降、観光客を主な顧客として、アーミッシュによるキルト産業が発展してきた。その過程で、顧客のニーズに応え、品質管理を徹底するために、キルト制作に必要な工程が細分化された。キルト産業には、キルトトップのみを作成する人、キルティングのデザインのみを描く人、キルティングのみを施す人、完成品の販売を担うキルト店を経営する人などによって形成されている。
 第二に、アーミッシュによるキルト産業の顧客層は、観光客だけではなく、コミュニティ内のアーミッシュにも広がっていることである。完成したキルトを購入することは希有ながらも、アーミッシュは、自らも消費者としてキルトトップを購入している。観光客向けに販売されるキルト制作の工程で作られるキルトトップが、商品としてアーミッシュコミュニティ内に流通している。
 今後は、引き続き研究成果の分析を行いながら「フォーク」の概念について考察をすすめつつ、アメリカにおける消費文化の視点から、キルトをはじめとするアーミッシュの物質文化についての博士論文を執筆する。
深海 菊絵(一橋大学大学院社会研究科)
米国における「ポリファミリー(Poly-family)」に関する人類学的研究

 本研究では、米国を中心に展開する「ポリ・ファミリー」を事例として、オルタナティブな家族を生きる人々の恊働関係を検討することを目的とした。具体的には、「ポリ・ファミリー」構成員の個別ライフヒストリーや「ポリ・ファミリー」に関する歴史語りの収集、日々の工夫や問題に関する聞き取り調査、家族会議への参与観察を行った。結果、主に以下の四点が明らかとなった。
  1. 血縁や法的な繋がりのないパートナーシップや親子関係、様々な性的志向の者が混在しているという特徴が観察された。また、誰を家族とするか、という問いに対し、同じ理念を共有する友人やその子供を挙げるケースもみられた。
  2. 「ポリ・ファミリー」内の役割分担は、自分にできることはなにか、を念頭において各々が担当するという特徴が観察された。例えば、血縁関係やジェンダーに関係なく育児を担当する「ビックママ」の存在があげられる。また、異なるジェネレーションのファミリーが共に暮らすグループ・リビングでは、リタイヤした者が働き盛りの親に代わって育児を担当するケースもみられた。
  3. 「ポリ・ファミリー」の抱える問題として、カミングアウトに関する意見の相違、金銭問題、法的に繋がりのないパートナーへの配慮等が挙げられる。これらの問題が話し合われる家族会議への参与観察から、各々がファミリーの置かれた状況を顧み、自身が関与するパートナーシップを「再帰的」に作り出す様相が明らかとなった。
  4. 個人のライフヒストリーや関心事に関する聞き取り調査から、多くの実践者たちが、BDSMやペイガニズム等の他のオルタナティブ・コミュニティと関わりながら生活していることが確認された。
 今後の研究では、実践者たちの恊働関係が築かれる過程に、彼らの知識、倫理そして身体がどのように関係しているかについて調査を進めていく。その際、実践者たちの関心事でもある老後の相互扶助に関する問題に注目していきたい。
吉田 ゆか子(筑波大学大学院人文社会科学研究科)
レプリカの仮面の民族誌−バリ島天女の舞の事例から

 バリ島のパヨガン・アグン寺院(以下P寺院)には、天女の仮面一式が祀られている。P寺院や地元の他の寺院の周年祭では、この仮面を用いた「天女の舞(sang hyang dedari)」が奉納される。天女の舞は、バリ社会から高い価値をおかれ、芸術祭など世俗の舞台にも招待された。このような世俗の舞台で神聖な御神体(仮面)が「汚染」されることを懸念したP寺院は、そのレプリカを作成し、代りに用いた。本研究は、このレプリカの仮面がその後どのように人々と関わり、天女の舞の上演や伝承にいかに作用したのかを考察した。二度の調査から明らかになったのは主に以下の4点。
  1. レプリカは、作成後すぐに神聖化儀礼を施された。レプリカにもオリジナルと同じ敬意を払うよう、天女様からのお告げがあった。またP寺院の僧侶は、神聖化なしには仮面は魅力(taksu)を放たないと考えている。現在オリジナルとレプリカはそれぞれ、「年配の天女様」「子供の天女様」と呼ばれ、「親子」と位置づけられる。
  2. レプリカの仮面が必要となるような、世俗の出演依頼は以降稀であった。他方、P寺院では、レプリカも周年祭での上演に用いるようになった。子供の天女様にも踊る機会があるようにとの配慮である。
  3. 一方で、オリジナルとレプリカは幾つかの点で決定的に区別される。例えば、P寺院の周年祭以外の儀礼では、必ずオリジナルが用いられる。
  4. 一般の村民は、両者を混同することがある。レプリカの存在自体を知らない者もいる。彼らは、P寺院でのレプリカによる上演を、オリジナルの上演として眺める。このような態度もしかし、的外れとは言い難い。何故なら現在P寺院の僧侶も、周年祭でのレプリカを用いた上演は、オリジナルの場合と「機能は同じ」と語るからである。
 研究成果は、昨年12月に国立民族博物館の「みんぱく若手セミナー」にて報告し、セミナー賞を頂いた。

平成22年度

碇 陽子(東京大学大学院総合文化研究科)
希望と欲望の人類学:肥満手術をめぐる文化人類学的研究
 本調査では、カリフォルニア州ベイエリア地区を調査地に、肥満手術経験者へのインタビューを中心として、変化した身体を飼いならす過程で、どういう欲望/希望を抱き、いかなる生を求めるかについて検証することを目的とした。
 肥満手術は、胃への外科的介入により食べたくても胃が受け付けないという状況を作り出すため、減量という点で効果的な手段として見込まれつつある。肥満手術経験者は過去の自己と比べて、外見の劇的な変化と何かができるようになった(例えば、運動)という事実により、理想とする自己/身体を手に入れたと語る者が多い。今回個別のインタビューで得たデータでは、@食物の選択や食べ方、身体の調子(体重の増減具合や体温など)に絶えず敏感であり続けなければならず、それでもなお予期せぬ身体感覚をコントロールする困難さと、これからもそれらをコントロールし続けていかなければならないという途方もないプロセスの中で自己が位置づけられている。A彼らは、例え、体重が激減し、血圧が下がり、糖尿病などの病気が改善したとしても、身体感覚の劇的な変化と身体の不可知性の知覚によって、常に不安定な中で自己知識を更新し続けている。その意味で、手術は、彼らが手術前に抱いていた痩せた健康な身体をもつ未来とは別様の新たな未来の構築を要請するような体験的な出来事である。そして、それらは、手術以外の方法による減量成功者に見られるような自己に対する態度とは明らかに異なっている。
 アメリカの肥満問題では、「自己コントロール」という概念は、未来優位的時間のなかで痩せた身体や健康な身体への「希望」を促すイデオロギーとして機能している。しかし、身体に直結した途方もなさの感覚とその経験の累積のなかで、それでもなおコントロールしたいという欲望が、不安、絶望を越えて彼らを支え続けるものとして、時間的展望に強く影響を与えながら表出することが明らかになった。
大橋 美晴(大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程)
ボリビア・アンデス農村のコムニダにおける先住民の市民化をめぐる教育実践と「パーソンフッド」の「文化生産」
 本研究活動では、ボリビアの農村の先住民共同体(コムニダ)に作られる学校が、「国民化」教育を通じて、国と農村先住民の関係を社会的文化的にどのように形成するのかを明らかにすることを目的に、実際にコムニダの学校ではたらく農村教師の役割に着目し、彼らの教育実践の参与観察を行なった。
 今回は、コムニダで毎年行なわれる学校とコムニダのイベント「インディオの日」と、町から神父が来て行なうカトリック洗礼への参与観察を行なった。コムニダの人びとと同じく農村で生まれ、しかし現在は都市や町に住み、農村先住民の「市民化」あるいは「国民化」の担い手となっている教師たちが、コムニダが持つローカルな文脈でどのような教育実践を行ない、コムニダの人びとと関わっているのかを考察した。また、教師たち一人一人に、教師になるまでの経緯、教師になってからの遍歴、現状の捉え方などについてのインタビューを行ない、農村教師たちが置かれている社会的コンテクストについての調査も行なった。これらの調査を通じて、コムニダの学校が、単に国家プログラムのもと、先住民を変えているだけでなく、コムニダの人びと自らが国家との関わりを形成する上で重要なはたらきを持つことが明らかになった。
 さらに、コムニダの人々の習慣や儀礼を観察することで、人々がコムニダで生活する上でどのような協調関係が重要となっているのかを考察した。今後、コムニダにおいて、どのような人と人との関係が重要になっているか分析をし、国の教育が生み出そうとする自立的な「個人」としての「パーソンフッド」と、コムニダの人びとが人との関係で持つ「パーソンフッド」との間で、結果として教師の教育実践がどのような「パーソンフッド」を生み出しているのか、「文化生産」の過程へのさらなる考察を行なって行く。
小河 久志(国立民族学博物館)
イスラーム復興運動タブリーグをめぐるトランスナショナルなヒト、情報の交流とローカル・イスラームの動態−タイ南部の事例から−
 本研究は、インドを中心にタイを含む90を超える国や地域で草の根レベルの宣教活動を展開するイスラーム復興運動団体タブリーギー・ジャマーアト(以下、タブリーグ)に注目し、それを媒体としたイスラームをめぐるタイとインドのトランスナショナルな連関と、そのタイ・ムスリムへの社会文化的影響の実態を明らかにすることを目的としたものである。
 具体的には、@関連文献の収集・分析、Aバンコクとデリーのタブリーグ関連機関での聞き取り調査、Bタイ南部トラン県のムスリム村落での聞き取り調査と参与観察を実施した。その結果、主に以下の点が明らかになった。
 第一に、タイとインドの間のタブリーグをめぐるヒトの移動や情報の伝達が、定例の会議や宣教活動などを通して、双方向性をもったものとして盛んに行われている。その流れは、タイ国内においても、ヒエラルキカルなネットワークを通してコミュニティ・レベルまで続いている。このタブリーグが持つ組織性の高さは、既存の研究では殆ど指摘されてこなかった点である。
 第二に、タイ南部トラン県の調査地においてタブリーグは、公的宗教機関との連携等を通して支持者を増やし、今日、宗教的な正当性を獲得している。そのことは、これまで広く信仰されてきた民間信仰を否定し衰退させるなど、ムスリム住民の宗教実践が多様化する一因となっている。また、タブリーグの影響は、政治や経済といった調査地社会の公共の領域にも及んでいる。
 今後は、引き続きインドで調査を行い不足する一次資料の収集に努めるとともに、タイ国内の他のムスリム・コミュニティに関する資料を集めて本研究の成果と比較する。また、研究成果の理論化を進め、それを論文や学会発表といった形で公表していく予定である。
小林 宏至(首都大学東京大学院)
中国客家社会における風水言説の生産と消費に関する社会人類学的研究
 近年中国客家社会では、市場経済化に伴いかつて禁止されていた宗教活動が盛んに行われている。その背景には消費財としての福建土楼と消費行為としての風水言説という図式が存在する。農村地帯が観光地化され、海外客家からの投資によって土楼が建てられるようになった現在、福建土楼に居住する人々が、建築物に対する付加価値となる風水の語りをどのように生み出し、自らの語りとして獲得していくかを描き出すのが本研究の主題である。
 福建土楼が点在する現地客家社会は、もともと自らの文化を語る言説を持ち合わせていなかった、否、語る場面に遭遇することが少なかったが、急激な観光地化に伴う生業の変化にあわせて、客家イメージを語り、福建土楼に関する物語を説明する状況が増えるようになった。その際に参照されるのは、旅行会社から配布される観光ガイド用の教材であり、そこには海外メディアによって生成され、UNESCOによって公認された客家イメージの語りが用意されている。このような状況に対して、現地社会の人々はある種の違和感を感じつつも、観光業に従事するなかで「公的」な客家イメージを旅行者や取材陣に対して再生産しているのである。
 本研究はある小規模社会における「民俗知識」を調査対象とし、それがある契機を通して世界的に注目され、グローバルメディアによって表象化されることで、一元的な解釈が付与され、現地社会において再生産される状況を明らかにし、適宜、現地の研究会、雑誌論文で発表してきた。近年、ポストモダン社会における多様性や多元性が盛んに議論されているが、決して文化を一枚岩的に語る「大きな物語」が消失したわけではない。このような状況下で見過ごされることが多い、「大きな物語」に牽引される文化表象や意味生成のプロセスの問題を、再度微視的な視点から考察することが今後必要になるだろう。
鈴木 真弥(慶應義塾大学大学院 社会学研究科社会学専攻 博士課程)
現代インドにおけるカーストと不可触民解放の再考――首都デリーの清掃カーストの事例より――
 【研究の目的】
 近年の著しい経済発展を背景に、国際社会においてインドの存在感が高まるなか、新たなインド社会認識の枠組みが求められている。従来のインド研究では、宗教的な価値体系や社会構造が支配的であるという理解が主流であった。それにたいして、1980年代後半からはインド社会の非歴史性、不変性、特殊化について批判がなされ、より多元的で動態的なプロセスに着目するアプローチが展開されている。本研究の目的は、現代インドにおける不可触民差別、カースト問題の再考である。独立後、民主主義や自由、平等などの新しい価値理念が浸透していくなか、不可触民差別やカーストによる不平等がどのように変わりつつあるのかに焦点を定め、文献調査とフィールド調査に依拠しながらその現状と課題を検討している。
【研究の内容・方法】
 以上の研究目的をふまえ、本研究は、社会変容が顕著に観察される都市にいきる被差別カースト・マイノリティを取り上げる。具体的には、首都デリーを調査地として、インドの不可触民のなかでもとりわけ厳しい差別を受けてきたとされる清掃カーストの事例を検討する。従来の清掃カースト研究では、生活実態調査や政策分析などに着目した研究が多いのに対して、運動やアイデンティティ形成などの動態的側面については十分に解明されてきたとは言えない。とくに、コミュニティとしてのアイデンティティ形成は運動の動員や拡大プロセスにも影響を及ぼし、重要なテーマとなる。そこで、2010年7月から8月にかけて実施した現地調査では、デリーの清掃カーストの間で「新たな」自己認識の形成と展開の中心を担っている「バールミーキ詩聖崇拝」の様子について、参与観察と聞き取り調査を行った。
【結論・考察】
 「バールミーキ詩聖崇拝」をめぐっては、清掃カースト内部に意見の対立がみられながらも、地位向上運動の動員やネットワーク形成の支えになっていること、さらに、清掃カーストの人びとの自尊心の希求に応えていることは確かであり、現状では有効な集団アイデンティティになりつつあることが確認された。同時に、「バールミーキ詩聖崇拝」は清掃カーストのみに限られており、他のカースト集団には受け入れられていないことから、連帯的可能性の限界、カーストの孤立といった問題も明らかになった。この成果に関しては、既に10月の国内学会と研究会、3月の国際シンポジウムにおいて発表を行い、フィードバックを受けた。近いうちに、英語の論文の形で取りまとめる予定である。このようなデリーの清掃カーストに関するまとまった研究は、対象カーストへのアプローチの難しさからいくつかの事例を除き、過去にほとんど実施されたことがない。全体像を理解する手掛かりを得るうえでも、今回の現地調査は大変意義のあるものであった。
ズルエタ・ジョハンナ・オルヒレス(一橋大学)
移動の交差する場所―沖縄におけるリターン・マイグレーション、「home」(故郷)、アイデンティティをめぐって―
 本研究では社会学的な観点から「帰還」移動・移民のプロセスと「帰還」した人々の「home(故郷)」の意識を研究した。さらに、沖縄の「占領」を背景として、このような移動を分析し、アジア太平洋地域に位置する「占領の空間」という観念を取り上げた。そして、本研究では、沖縄に居住している「フィリピン・ウチナーンチュ」「帰還」移民、とりわけフィリピンに移住していた沖縄人女性(一世)と二世(沖縄の女性とフィリピンの男性の間に生まれた者)を分析の対象とした。(当初提出した研究計画にはオキナワン・フィリピノというグループを対象としようと思ったが、インタビューに基づくデーターにより、「ウチナーンチュ」というアイデンティティを強調するゆえに、筆者は「フィリピン・ウチナーンチュ」という言葉を使用した。)
 これらの「フィリピン・ウチナーンチュ」の「帰還」は一時的(transitory)であると論じた。また、それらの「帰還」移民にとっての「home」は、彼ら/彼女らの社会的・構造的・グローバルな状況におけるアイデンティティ形成によって定義されていると考えられる。そして、この一時的な「帰還」は一世と二世のトランスマイグラント的な特徴と関連があり、彼ら/彼女らは国境を越え、各国民国家で活躍するとともに、様々な交流などに自らを織り込んでいる。彼ら/彼女らのトランスマイグラント的な存在は、自らの文化的・社会的資本によって支えている。従って、トランスマイグラント的活動をしているうちに、彼ら/彼女らにとっての「home」は「home」ではなく、「homes」である。
 一方、これらの「帰還」移民は「占領の空間」に巻き込まれていると、筆者は論じた。「占領の空間」は、様々な行為者(国民国家など)が交流し、モノ、ヒト、などの流動の中で、これらの行為者の間の関係は必ずしも平等ではない。そして、経済的な理由からであるとは言っても、「帰還した」二世(ほとんどは米軍基地で働いている者)は、アジア太平洋におけるアメリカのヘゲモニーを維持する、「受動的共謀」(passive complicity)の位置にある。
臺丸谷美幸(お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科ジェンダー学際研究専攻博士後期課程)
蘇生する朝鮮戦争の記憶―現代米国における日系退役軍人の顕彰運動を中心として
 本研究は、朝鮮戦争はなぜ米国において忘却の対象であり続けるかという問題認識から、米国における朝鮮戦争の記憶化について論じるものであり、最終的には朝鮮戦争から見る冷戦史再考を目指している。米国ではベトナム戦争の記憶化に関する研究が盛んな一方で、朝鮮戦争の記憶化を巡る研究に関してはあまり蓄積がない。しかし、1990年代以降、朝鮮戦争の記憶の在り方に変容が見られ、記念碑や博物館建設の構想など再記憶化の動きが全米各地でみられる。本調査は、米国における朝鮮戦争の記憶化についてオーラル・ヒストリーの手法から迫ることを目指し、カリフォルニア州の朝鮮戦争日系人兵士へインタビュー調査を実施した。
 本調査の特徴と成果については、地域性・ジェンダー・顕彰方式という三点から報告したい。はじめに地域性については、昨年までの報告者の調査では、ロサンゼルスを中心とする南部カリフォルニアを対象地域としていたが、本調査では対象地域を北部カリフォルニア(サンフランシスコ、サンノゼ、サクラメント)まで広げ、各地域の日系人社会における朝鮮戦争像を捉えることを目指した。例えば、サンノゼの日系人博物館でボランティア活動する元兵士に従軍経験と現代の顕彰活動への参与についてインタビューできたことは重要である。ジェンダーの問題に関しては、女性の元従軍看護師(米空軍所属)に対するインタビューが実現できた。男性兵士と比べ、女性兵士のインタビューは希少である。最後は、顕彰方式についてである。昨今の博物館や記念碑以外の記憶の伝承方式として、元兵士による自伝が挙げられる。今回の調査を通して、自伝に加え、退役軍人会出版の資料など多くの文書資料が発見できた。今後は、元兵士が「自伝を書く」という個人的体験の意味、朝鮮戦争の集合的記憶に及ぼす影響という視座から分析を進めたい。
 以上の調査結果は、今後、米国カリフォルニア州の日系人兵士の事例にみる朝鮮戦争の記憶論として博士論文にまとめる予定である。
飛内 悠子(上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士後期課程)
キリスト者として生きる:スーダン共和国におけるククの人々と聖公会
 報告者は2010年8月よりスーダン共和国に渡航し、首都ハルツーム、及び南部スーダンの首都ジュバ、研究対象であるクク人の父祖の地であるカジョケジ郡においてククの人々とキリスト教との関係に関する参与観察、およびインタビューを行った。以下その成果について報告する。
 クク人の間での居住地の違いによる宗教実践、宗教観の違いが明らかになった。2009年度までの調査によって雨乞いの祈祷師、魔術師といった存在への信仰が南部スーダンにおいては根強いことが明らかになっていた。そのためこの信仰がいかにキリスト教と共存、もしくは消えているのかを観察した。その結果ハルツームにおいては、在来の信仰はほとんど力を失っており、クク人として南部スーダン在住者との「統合」を図る際のある種の「道具」としてみなされていることが明らかになった。その変化の背景は大きく分けて2つある。一つは日常における避けがたいムスリムとの「遭遇」である。もう一つはクク人が創るエスニック・コミュニティと聖公会のネットワークとの相互作用の影響である。ハルツームにおけるククの威信と名声を保つ場であるクク・コミュニティが、聖公会を強い関係を持つことによって「正しいもの」としてのキリスト教という認識がクク人の間で広がっていた。
 その一方雨乞いの祈祷師、魔術師の存在感は南部スーダン在住クク人の間では大きい。そこには植民地期に始まり現在も続く首長制と雨乞いの祈祷師との関わりなどの影響も見られる。南部スーダンにおいても聖公会は大きな力を持つが、南部スーダン在住のクク人間では対キリスト教観、在来の信仰観に多様性がみられた。だがその多様性のありよう、及びそれが何を背景としているのかに関しての調査は、今後の課題となる。
 なお、研究の整理と発表の都合、および他助成金との兼ね合い上スーダン共和国滞在計画を変更している。
長坂康代(名古屋大学大学院国際開発研究科)
ベトナムの首都ハノイにおけるコミュニティとネットワークに関する都市人類学的研究―ハノイ・ハンホム通りの民衆の生活実践―
 経済発展に伴い社会変容が進むなかでの,出身村や経済格差を超えた都市のネットワークのあり方を解明するために,当初計画していた調査・研究がかなりの程度で実施できた。大きく言えば,ハンホム通りの歴史的文化資源をもちいている塗料販売の仕事から,掛売り,バイクタクシーの共有,従業員の融通といった,同業者同士による有機的な関係が築かれていることを明らかにした。特に,ハンホム通りの塗料販売店でインテンシブな調査・研究をおこなった。その結果,通りの構成する店舗同士の関係,店主と被雇用者(塗料販売員)との関係,店と運搬労働者との関係,それに伴う流通の様態,経済開放・観光化と通りの生業との関係,が明らかになってきた。
@ 塗料販売店の掛売りの状況
同業者間(他店との関係),塗料関係の小売業者,卸会社との取引関係の調査し,掛売りの詳細な実態が明らかになった。
A 店主と塗料販売員の生活構造
ハンホム通りの店主と販売員の生活構造を調査し,店主と販売員それぞれが各結節機関で同業者とコミュニケーションを図っていること,また,それによって各店舗の従業員の融通が行われていることが明らかになった。
B 荷物運搬バイクタクシーの共有
ハンホム通りの塗料販売店で共有する荷物運搬バイクタクシーの斡旋,依頼される店の特定,荷物の運搬先,1日の収入,バイクタクシーになるための情報網やネットワークが明らかになった。
C ハンホム通りにおける人・モノの移動と流通
仕入れ先圏(中小企業,家庭内工業の個人業),仕入先―ハンホム通り塗料販売店―客へのルートの追跡,仕入れネットワーク,国際的なネットワークの有無が明らかになった。
D ハンホム通りの遷移と観光化
ファミリーヒストリーの収集により,街の成り立ちと現在に至る工芸技術の遷移,観光化との関連を把握することができた。
早川 真悠(大阪大学グローバルコラボレーションセンター)
政治・経済危機下のジンバブエにおける外貨のインパクトに関する人類学的研究
  本研究の目的は、政治・経済危機下のジンバブエにおける外貨化の事例から、土着社会における貨幣経済の意味を考察することである。2000年以降、深刻な政治・経済危機に陥ったジンバブエでは、年々インフレが加速し、2008年7月には年間2億%を超える超インフレが起こった。2008年末には現地通貨ジンバブエ・ドルを使うことがほぼ不可能となり、2009年2月には、与野党連立政権が樹立されると同時に、国内の経済活動が外貨で取引されるようになった。
  本研究は、2007年から2009年の2年間に渡る長期調査の継続・補足調査である。長期調査に引き続き、首都ハラレ郊外において携帯電話のプリペイドカードを売る路上商人(以下、カード売り)の経済活動の観察と語りの収集から、外貨化以前・以後の経済活動の変化、外貨を使う実践と外貨に対する認識を明らかにした。
 本調査で明らかになったことは、以下のとおりである。(1)外貨化によりジンバブエの経済活動は全般的に安定した。(2)カード売りは毎日決まった卸商人からカードを購入し、資本の約半分を卸商人から借入れしていた。こうした小売商と卸商人の関係は2008年のインフレ下では見られなかった。(3)2008年のインフレ下では、カード売りは現在よりも自律的に商売をしており、一般公務員などに比べれば相対的に裕福だった。しかし、カード売りは外貨化以降の方がインフレ時よりも好ましいと語った。(4)カード売りは自分に借金があることを自慢げに語った。一方、インフレ時に彼が得意げに語ったのは、誰かから教わった闇市の外貨両替レートなどの情報だった。
 路上商人が望むことは、経済的自立よりも、困ったときに経済的援助を受けられる人間関係の構築である可能性がある。この点を踏まえると、インフレ下で路上商人が経験した不安や困難を理解するには、貨幣価値の急激な減少というインフレの本質的性質よりも、既存の秩序の崩壊という副次的現象に目を向ける必要があることが分かる。
山本文子(大阪大学大学院人間科学研究科)
実在化する精霊――ビルマのナッ信仰における神像の制作・流通過程に着目して――
 本研究はビルマにおけるナッ(精霊)信仰について、ナッの実在性がその神像の制作と流通の過程でいかに構築されるのかに焦点を当てた研究である。本調査から以下のことが明らかになった。
  1. 商人と職人の非対称的関係:多くの場合商人は職人に対し優位にあり、いわば雇用者と被雇用者の関係にある。神像の制作は多くの場合、在庫確保のため、商店の店主が特定の職人に依頼する。商店と職人の結びつきはある程度固定的だが、ときに店主はそれまで依頼していた職人とは別の職人に依頼する。職人の選択には、技術、制作の速さ、料金、商人と職人が親族関係にあるかどうかといった要素が関係する。
  2. 身体(ヨウッ)と精神(ナン)という概念:店頭に並ぶ神像は、その時点ではただのモノであり、身体(ヨウッ)である。購入者はそれに精神(ナン)を注入しなければならない。ただのヨウッである神像は、ナンが注入された神像には決してなされない扱いがなされる。
  3. 神像の唯一性:一度ナンを注入された神像は、基本的には一生その持ち主のものである。金箔が剥がれ落ちるなど、神像が老朽化すると、通常修理に出され、新しく神像を購入することはない。
  4. 神像のデザインの固定性と可変性:木製の場合、彫刻が終わると塗装の段階に入る。彫刻の段階では神像のデザインは決まっているが、塗装の段階では職人のセンスに応じた仕事がなされる。
  5. 材料の変化:店頭では現在では職人の手作りによる木製のものよりも大量生産が容易なプラスチック製のものが主流になりつつある。なぜ材料が変化してきたのか、またなぜそれほど需要があるのかは今後考えなければならない問題である。
 以上は本調査から浮上した論点だが、上記の論点がナッの実在性とどのように関係しているのか、また実在性の構築という概念で捉えることの妥当かどうか、今後検討しなければならない。
吉田 早悠里(名古屋大学大学院文学研究科)
エチオピアの国民国家の形成過程における差別関係の社会的構築に関する人類学的研究
 本研究は、エチオピア南部諸民族州カファ地方に生活する農耕民カファとマンジョの関係に着目し、ローカルな地域の社会・文化的背景に根差した社会関係が、国家の社会・政治・経済的状況、またローカルNGOやキリスト教会の活動のもとでどのように変遷し、再構築されていくのか、またいかにして差別が社会問題として浮上してくるのかを明らかにするものである。なお、エチオピア南部諸民族州カファ地方を中心に約2ヶ月間の現地調査を実施した。明らかになった点は以下の通りである。
 カファ地方では、エチオピアが1974年にエチオピアが社会主義を標榜したデルグ政権になると、政府によってカファとマンジョの関係は不平等であるとみなされ、カファとマンジョの関係改善を試みる政策が実施されるようになった。その後、1991年からの現政権下では、マンジョは「少数派クラン」としてアファーマティブ・アクションの対象とされるようになった。他方、プロテスタント諸派のキリスト教会やローカルNGOは、カファとマンジョの関係を差別であるとみなし、差別の解消にむけた啓蒙活動を行うようになった。以上からは、国家、キリスト教会、ローカルNGOなどによる取り組みのもとで、@カファとマンジョの関係が差別として問題視されるようになったこと、Aマンジョが自らの社会的地位に敏感になり、カファとの関係を差別として認識するようになったこと、B人権、平等、差別という概念がマンジョのなかで浸透していくことにつながったこと、C政治的意識の強いマンジョがそれらの概念を用いて、国家による平等な権利の保障を求め、政治的活動を実施してきたことが明らかになった。
 ただ、日常生活においては、多様な相互関係があり、どのような相互関係を差別と捉えるのかについては立場によって見解が異なる。そこでは、誰が、どのような関係を差別や不平等とみなしているのかについて、具体的に検討する必要がある。また、差別、平等/不平等、人権などの概念が、地域社会でどのように翻訳されているのかについて明らかにすることも今後の課題である。

平成21年度

井上 真悠子(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科アフリカ地域研究専攻)
アフリカの観光地における「みやげ物絵画」の展開と移動労働者の広域ネットワーク

 本研究の目的は、現代アフリカの観光産業を担うみやげ物商人たちの移動とそのネットワークを、地域を越えたマクロなレベル、および一つの観光地内というミクロなレベルの双方から分析することで、彼らの移動の実態とみやげ物商品の製作・流通・販売の全体像を明らかにすることであった。そのために、南アフリカとタンザニアの観光地において、みやげ物商人たちの経歴と商慣行に関する参与観察と聞き取り調査をおこなった。
 調査の結果、以下の点が明らかになった。まず、南アフリカ・ケープタウンでは露店のみやげ物商のうちの約30%がケニアを中心とした東アフリカからの出稼ぎ商人であり、露店から高級店まで様々なレベルの店にケニア産の商品が流通していた。また南アフリカでは、ケニア以外にもアフリカ全土からみやげ物商人・商品が集まっており、国境を越えた大規模な商人・商品の流入実態が明らかになった。
 次に、タンザニアのザンジバルではみやげ物絵画商人の多くがタンザニア国内出身者であったが、その中でも特に商人たちの核となる数人の年長者がおり、彼らはザンジバルが観光化する以前にケニアなど他地域において観光業を経験している者であることが明らかになった。そしてそのつながりをつたって、現在もケニアから商人がザンジバルを訪れ、絵画をはじめとした様々なみやげ物商品が国境を越えて各観光地に移送・販売されていた。一方で、新規参入の商人たちの多くは同郷者を頼って出稼ぎに来ていることも明らかになった。つまりザンジバルでは、タンザニア国内の同郷者集団など「内」につながるネットワークと、他の土地での観光業経験者たちの「外」につながるネットワークのふたつを併用することによって商人の移動や商品の流通が成立している。そしてみやげ物絵画の製作者たちも、この商人・商品の地域を越えた広域移動のネットワークを利用し、積極的に他地域へ移動していることが明らかになった。
岡部 真由美(総合研究大学院大学・文化科学研究科)
都市部における寺院への居住をめぐる人びとの実践とコミュニティの生成過程−北タイ・チェンマイの事例より−

   本研究は、北タイの中心都市チェンマイにおいて、仏教寺院の所有地に居住するひとびとの実践に着目することによって、都市部におけるコミュニティ生成の過程に宗教がいかに関わっているのかを明らかにすることを目的としてきた。現地調査では、首都バンコクおよびチェンマイにおいて、国家仏教庁や複数の寺院で聞き取り調査を実施した。調査から明らかになったのは、以下の点である。
 第一に、僧侶のいる寺院では、住職と、複数の在家者から成る寺院委員会とが、寺院所有地の利用に関する決定権を有している。国家仏教庁は、僧侶のいない寺院の任務を代行するにとどまり、寺院所有地の利用状況に関する統計的な資料収集を実施してこなかった。
 第二に、チェンマイ市内の複数の寺院では、法的に土地所有権が確定する前から、寺院周辺の土地が、北タイやその他地方出身の移動労働者たちによって居住利用されてきた。所有地の区画を確定する際も、寺院側は居住者たちを排除せず、現在に至るまで、居住や商業を目的とする人びとに、無償あるいは有償で貸与することが一般化している。近年では、寺院側による賃料値上げや、居住者側による高層ビル建設計画などを発端に、両者の衝突もしばしば発生している。
 第三に、第二、第三世代の居住者たちが寺院所有地内での違法行為を重ねるようになると、寺院側が、居住者たちの行為に対する管理や規制を強化する動きがみられる。しかし、居住者たちは、寺院や僧侶がもたらす「福祉」の恩恵を享受しつつも、寺院所有地の内外を隔てる境界にとらわれた閉鎖的コミュニティを形成することなく、既存の周辺コミュニティとの高い連続性のなかで生活実践を営んでいる。
 今後は、通時的かつ共時的な視点から一次資料の収集に努めるとともに、都市における寺院所有地を介した人びとの実践とコミュニティ生成の過程に関する考察を、より理論的に深めることが課題である。
金戸 幸子(東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程)
「琉球」の台湾系移民の生活世界からみる沖縄と台湾の重層的な関係に関する研究

 本研究は、1960年代を中心とする沖縄における台湾系移民の生活世界に着目することにより、沖縄と台湾の関係性を考察することを目的としたものである。
 研究では、統計資料と関連新聞記事の収集・分析に加え、当事者、関係者や関係機関への聞き取り調査および参与観察に基づく結果を駆使しながら、台湾系移民の来沖過程と労働の実態、さらには移動経験について分析を進めた結果、主に次のような点が明らかになった。
 第一に、台湾系移民の沖縄への移動におけるネットワークの重層性である。たとえば、性別や沖縄のなかの移動地域によって移動の際のネットワークの相違がみられ、とくに八重山諸島における台湾系移民と、沖縄本島か八重山諸島かを問わず女性労働者においては、戦前の台湾系移民の台湾での出身地域との共通性や、親族や友人知人のネットワークが作用しているケースも多くみられた。このことから、 1960年代の技術導入による労働者や「パイン女工」は、形式的には琉球政府による中華民国からの労働者導入という政策的移民であったものの、移動の背景には、コロニアリズムな関係性に基づくネットワークも大きく作用していたことが分かる。
 第二に、このような植民地時代との連動性が看取される技術導入や「パイン女工」といった政策的な労働移民も、植民地時代との連動性はそれほど見られない米軍相手のビジネスチャンスを見計らって自発的に来沖してきた自発的な移民も、当時の沖縄では仕事のチャンスが拡大し、出身地である台湾と比べて情勢も比較的安定していたことなどから、沖縄への定住を望む者も少なくなかったことが聞き取り調査から見いだされたことである。これは、 1972年に沖縄で最大のエスニック組織として誕生した「琉球華僑総会」結成の主要な背景のひとつにもなっている。
 本研究では、調査者が秋にインフルエンザに罹患したため、助成対象期間における沖縄での調査を当初の計画よりも減らす形となったが、研究期間全体を通じて、沖縄側においてだけでなく台湾においても、1960年代に「琉球」のパイン工場の労働者として移動経験を持つ台湾人女性からも聞き取り調査を行うことができたことは大きな収穫であった。以上の調査結果について、職業、性別、階層、出身地域といった属性や、移動先による違いにも留意しながら考察を掘り下げていくことが今後の課題である。
香室 結美(熊本大学大学院社会文化科学研究科博士後期課程)
「ナミビア・ヘレロのアイデンティティとドイツ植民地主義に関する人類学的研究」

 ナミビアのヘレロ社会は、ドイツ植民地政府との戦争およびジェノサイド(1904-08年)によって一度崩壊したとされるが、1920年代以降、互助団体の設立や祖先・英雄の墓への巡礼を通した組織化が進められ、21世紀初頭からは政治家でもある「最高首長」リルアコ氏の指導の下で土地の買い戻しを目的の一つとするドイツ政府との補償交渉が行われてきた。本研究の目的は、少数派ヘレロのアイデンティティとドイツ植民地主義との関連性を、土地所有権をめぐる問題から明らかにすることである。現地調査は、伝統的指導者の墓への巡礼が毎年行われるオカハンジャとオマルル、そしてオカカララを中心に行った。
 その結果、補償交渉やジェノサイド被害者の頭蓋骨返還運動といった植民地主義への批判的動きは一般に議論可能な問題に発展しており、人々の反応が多様化していることが明らかになった。少数の白人が国土の約半分を所有するのに対し、国有の共有地で不自由に農牧を営む人々の不満は大きい。そのため、「ユダヤ人には補償金を払うがヘレロやナマには払わない」と指摘されるドイツ政府を訴えることで、先住民としてのヘレロの団結と政治経済的地位向上を図るリルアコ氏の試みが、植民者に対する憎しみや補償の必要性と共に一部のヘレロに支持されていることがわかった。しかし他方では、リルアコ氏のスタンドプレーはヘレロ内部の権力バランスを崩すと同時に他民族との融和を乱す、という主張も存在した。さらに、故郷を離れて都市で働く若者には、ヘレロの組織や権力自体に関心を持たない者も多いことがわかった。また、ヘレロはサンの土地を侵略してきた移住者でもあり、土地所有権の正当性が批判されてもいる。これらから、ヘレロの先住民的団結は未発展だといえるが、社会再建の過去と現在について語る機会が誘発されたことで、ヘレロ・アイデンティティの多様性が可視的状況にあることを指摘した。
藏本 龍介(東京大学大学院 総合文化研究科 超域科学文化専攻)
ミャンマー都市部の「寺院経済」――上座仏教徒社会における布施と布教の関係についての文化人類学的研究

 上座仏教徒社会では、僧の生活、寺院の運営、仏教徒組織などの活動はすべて在家信徒の布施でまかなわれており、市場経済とは別の「寺院経済」と呼びうる経済セクターが存在する。布施という行為は個人的な欲求に動機づけられているが、布施という形で僧・寺院・仏教徒組織などに集中するヒト・モノ・カネは、様々な布教活動において社会に還元され、仏典学習や瞑想といった僧・在家の仏教実践の土台を形成し、しばしば社会福祉的機能をも担っている。しかし村落のような固定的な寺檀関係が存在しない都市部においては、布施の流れの実態は複雑である。そこで本研究ではミャンマー最大都市ヤンゴンにおける「寺院経済」の実態を現地調査によって明らかにすることによって、都市における寺院の活動がどのようなメカニズムで成立・維持されているのかという問題を明らかにすることを目的として行われた。
 その結果明らかになった諸点は以下のとおりである。第一に、都市住民の布施にはそれぞれの趣向に応じて偏りがある。第二に、仏教徒組織の活動は布施の少ない寺院にとってのセーフティーネットとしての役割を果たしているが、こうした布施の偏りを平準化するほどではなかった。したがって第三に、個々の寺院の活動は、布施の集まり方に規定されている側面が強い。つまり寺院の活動は、@自己救済活動(出家者の生活・修行を支える活動)、A他者救済活動(弟子の育成や在家教化といった布教活動)に大別できるが、布施が少ない多くの寺院は@の活動しかできず、布施が集中するごく少数の寺院のみが、Aの活動を行っていた。また、大規模寺院においても、活動規模に見合うだけの布施を安定的に確保し続けられるとは限らず、活動規模の縮小や廃止といった状況がしばしば生じている。他宗教と比べた場合の上座仏教寺院の盛衰の激しさ、動態性は、布施に依拠していることが大きく関係していると考えられる。
櫻田 涼子(筑波大学人文社会科学研究科)
移動の時代における越境する「家」と記憶―マレーシア華人社会における住まいの人類学的研究―

 本研究の目的は人の移動が頻繁にみられる時代において、人はどのように多数の場所からある場所をローカル化し住まう場所に作り変えるのかという問題を、マレーシア華人の移動と住まいの形成の事例から考察することにあった。
 今日、多くのマレーシア華人が都市部の集合住宅に居住し、「故郷」であるマレーシア国内の出身地との間を頻繁に往来する。清明節や旧正月になると高速バスターミナルは「故郷」へ帰る人びとで溢れ、高速道路には車両渋滞の列が長く伸びる。頻繁な住みかえを行うマレーシア華人にとって、生まれ育った「故郷」も都市の住宅も過渡的な場所にすぎないが、彼らは特定の場所を特別な場所(「家」)として認識し愛着を抱く。
 特定の場所に愛着を持ちながらもローカルな場所を越境していくマレーシア華人にとっての「家」とはなにかという点を明らかにするために、本研究では主に1)住宅団地の調査、2)住まい方の聞き取り調査と参与観察、3)都市における住宅販売の調査、4)住宅販売用パンフレットに表れる定型的文章の収集と分析を行った。調査の結果、頻繁な住みかえがみられること、また住宅を取得することに対し高い価値が置かれ、「当面は住みかえないにしても、とりあえず購入しておきたい」とローンを組み、住宅を購入する者も少なくないことが明らかとなった。
 本研究以前に実施した住宅団地の参与観察から明らかになった点はすでに論文等で発表しているが、マレーシア華人は画一的な空間を改築・改造することにより、あるいは使用者の交代による使い方の変更により、住宅を、かけがえのない場所としての家へと作りかえていた。特に、結婚を機に住宅を改造するあるいは部屋の使用者を交代するという事例が見られたため、比較検討を目的とし2010年3月に中国北京を中心に調査を実施した。中国においても結婚を契機に男性が住宅を取得し、大規模な内装工事を実施する事例が数多くあった。今後は、この調査から明らかになった点とマレーシアの事例を基礎として「家」という場所が作られていくプロセスを多角的に明らかにする予定である。
田中 孝枝(東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻文化人類学分野博士課程)
中国人による日本観光の人類学的研究−観光商品の生産・消費過程に関する民族誌的分析−

本研究は、観光商品の生産・消費過程に着目して、現代中国における日本観光が、いかなる文化社会的条件のもとで成立しているかを明らかにすることを目的とした。そのため、中国人の日本観光において、観光客送り出し社会である広東省広州市で長期的フィールドワークを行い、人々がいかに観光客になるのかに関する情報を収集した。
 2009年4〜5月は、語学力向上に努め、新聞、本、テレビ、インターネットなど各種媒体における観光関連情報の流通状況を調査した。6〜8月には、統計収集、広州市における旅行会社概要・特徴の把握、路面店の配置や日本観光ツアーの特徴分析などを行った。また、7月には、アメリカ人類学会東アジア部会(SEAA)(於台湾台北市)において、前年度からの成果を基に'Japanese Reactions to Chinese Tourists: A View from the Perspective of "Value" Rearrangement'を口頭発表した。9〜10月には、中国における観光・移動をめぐる歴史・文化・社会的背景に関わる、中国語文献を収集しつつ、7月のSEAA台北での発表を基に論文(3参照)を執筆した。11〜12月には、日本観光経験者への聞き取りを集中的に行うと同時に、ツアー観光客との違いを明らかにするため、個人観光客にも焦点を当てて、聞き取りをした。2010年1月には、日本観光ツアーに参加し、ガイドや参加者に対して帰国後も継続的な聞き取りを行った。そして、2010年2〜3月には、旅行会社の路面店において、日本ツアーが売買される日常的なやりとりを観察した。
 2009年度は、路面店(販売部門)での観察、日本観光経験者への聞き取り、学会参加や現地文献収集に力を入れたため、当初予定していた商品企画部門でのフィールドワークは、2010年度に継続して行うこととした。
土井 清美(東京大学大学院総合文化研究科文化人類学コース博士課程)
現代スペイン・サンティアゴ・デ・コンポステラへの越境的な徒歩巡礼に関する社会人類学的研究―身体的・社会的運動の側面から

 キリスト教聖地の一つとされるサンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼では近年、徒歩で目的地を目指すカトリック実践者でない人の数が国際的に増大している。本研究は、「動きmovement」に焦点を置き、身体的な移動/活動によって立ち現われる感覚、および巡礼路の活性化に直接的に関わる多様な移動/活動様態の2点を探索することを主たる目的とした。具体的には、徒歩巡礼者と伴に巡礼路を歩きながらの参与観察、巡礼宿においてボランティア活動をしながらの定点聞き取り調査、徒歩巡礼者による写真や日記とそのコメントを用いた分析を行った。調査を通じて、身体的社会的それぞれの側面について主に以下のような成果が得られた。@身体的側面:痛みや苦しみの共有が徒歩巡礼者同士を連帯させるという語りは、字義通りではなく次のようなメタファーとして捉えることができる。「触知性」つまり徒歩巡礼の過程で起こる(予期せぬ)事に身体を通して把握していくことの価値が共有されている。またこの「身体と直結した独特の認知の仕方」は、些細な不測の事態にしか意識化されないものの、堆積することによって、観念的な変容とは異なる「きっと自分の何かが変わったに違いない」という巡礼後の語りに関連していると考えられる。A社会的側面:一般にオスピタレロhospitalerosは巡礼者に対して慈善活動を行う地元の巡礼経験者として説明されてきたが、実際は、その担い手も活動自体も多面的である。例えば、巡礼路沿いのいくつかの公営巡礼宿のオスピタレロは各国の巡礼路愛好会メンバーによって交代制で担われ、巡礼宿は彼らにとっての有意義かつ安価な退職後の短期滞在場所となっている。他方、複数の私営巡礼宿のオスピタレロは数週間から数年の期間雇用された東欧、北アフリカなどからの労働者である。したがって、徒歩巡礼者が経験するホスピタリティの多様性はさることながら、オスピタレロの活動は「地元の」巡礼経験者によるカトリック的慈善だけでなく、トランスナショナルに移動する者によってさまざまな目的の中で行われていることも一つの側面として明らかになった。
 今後も引き続き「動きmovement」に焦点をあて、20世紀後半以降のサンティアゴ徒歩巡礼の隆盛要因について、欧州における労働と余暇の動向の側面から調査を行い、最終的に博士論文の執筆に繋げていく予定である。
飛奈 裕美(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程)
聖地エルサレムのユダヤ化とパレスチナ社会―「町のイメージ」のコントロールをめぐる占領と被占領者の反応

 本研究の目的は、東エルサレムにおけるイスラエルによるユダヤ化の過程を「町のイメージ」という要素から明らかにすると同時に、そのようなユダヤ化に対するパレスチナ社会におけるリアクションを明らかにすることである。先行研究は、エルサレム旧市街とその周辺での考古学調査や歴史学の分析を通して、イスラエルの考古学や歴史学が「エルサレムはイスラエルの民のものであり続けてきた」という神話を支え、したがってシオニズムのイデオロギーを支えてきたことが明らかにしてきた。本研究は、先行研究を踏まえ、イスラエルの神話が現実に「もの」として形作られていく過程を明らかにするために、東エルサレムにおける都市計画(タウン・プランニング)に注目した。
 都市計画では、エルサレム旧市街とその周辺に「古代都市」を復元することが掲げられている。特にシルワーン村は、旧約聖書にある「ダヴィデの町」があった場所だと主張され、1990年代に国立考古学公園が造られた。国立考古学公園では、古代イスラエルの遺跡とされるものが展示され、エルサレムはユダヤ人に排他的に属するというメッセージが発せられている。国立考古学公園には国内外から観光客が訪れ、イスラエルの学校の校外学習や兵役に就いた若者への教育の場としても用いられている。こうしてイスラエルの神話が「もの」として形成され、観光や教育によって補強されている。
 現在、国立考古学公園を拡張するため、シルワーン村に住むパレスチナ人の住居を破壊し住民を移住させることがイスラエルの国内法に照らして「合法的」に目指されている。これに対して、パレスチナ人住民は、デモ、都市計画の変更を求める嘆願書提出、裁判、メディアを通した意見の主張と協力の訴え等の抗議活動を活発に行っている。これらは、第一に、パレスチナ人が住む家さらには村が破壊されようとする現実の中で、彼らが自らの居住空間すなわち生活を営む上で最低限必要な物理的空間を守ろうとするものである。第二に、パレスチナ人の家が破壊されそこに「ダヴィデの町」を「再現」する国立考古学公園が設立されることは、パレスチナ人のその土地との結びつき、つまり記憶が抹消され、そこに新たな物語が確立されていくことを意味する。パレスチナ人の抗議活動は、パレスチナ人の風景の破壊と記憶の抹消に対する抗議でもある。
永井 リサ(大阪大学大学院経済学研究科)
海を渡った日本の筏:戦前の外地木材流送経験者への聞き取り調査によるオーラルヒストリーの復元及び中国東北における日本式筏の現状について

 戦前の中国東北地域では、鴨緑江をはじめとして、松花江や黒竜江で多くの日本人筏師が木材流筏に従事していた。本研究の目的は、@戦前の鴨緑江を始めとする外地(朝鮮、満州、樺太)に出稼ぎしていた日本人筏師達の記憶を記録することで大陸筏師のオーラルヒストリー作成作業を行い、また、A中国東北地域における日本式筏の展開と現状、特に夏季の黒竜江、松花江、鴨緑江における、観光業の目玉としての筏流しや筏乗り体験等の筏関連レジャーの現状を検証することで、日露戦争を契機として中国東北地域に導入された日本式筏の普及過程と戦後から現在にかけての展開及び現状について明らかにすることにある。
 当初はいわゆる「外地」で流筏に従事した筏師達の聞き取り調査をまず行う予定であったが、2008年7月に中国黒竜江省の林業局より、黒竜江上の木材流送に関する総量規制が出され、木材流送が激減し、丸太を使用した筏観光業そのものが転換期を迎えた為、Aの中国東北における現地調査を優先し、2009年10月より一ヶ月ほど中国黒竜江省の黒竜江沿い都市(同江、名山、撫遠、黒河、)を周り、木材流送状況と筏関連観光の現状を視察した。(1998年の天然林保護プログラム施行により、中国東北の多くの地域で天然林伐採が原則禁止された為、松花江や鴨緑江の木材流送は激減し、ロシア木材が流送される黒竜江だけが木材流送が残っている)その結果、1998年以降の中ロ木材貿易の激増に伴う中国のロシア木材乱伐や密輸に対する国際批判に対応するため、2007年より黒竜江上ロシア側からの木材不正輸出入への取り締まりを強化し、中国林業局が黒竜江上の木材流送量に規制をかけ始めた為、金融危機による木材需要の低迷と重なり黒竜江上の木材流送が激減し、2009年度は同江周辺のみで木材流送が見られたに止まり、他地域では木材流送が途絶した状況にある。
 このような状況の中、日露戦争期に中国東北に導入された日本式筏の伝統は急速に消失しつつある。2002~2003年頃までは鴨緑江上流域でも観光客向け筏乗りが見られたが、現在ではレジャーボートによるラフティングが中心となりつつある。黒竜江、松花江、ウスリー江も同様で、丸太を組んだ観光用筏は姿を消し、高速船や帆船などによるツアーが中心となっており、100年近く使用されてきた日本式筏や日中折衷式筏は、天然林保護プログラムや近年の木材流送規制に伴い消失の危機に瀕している状況である。
比嘉 理麻(筑波大学大学院 人文社会科学研究科)
モダニティが推し進める視覚・聴覚優勢型社会の行方 −沖縄におけるヒトとブタの関係の部分化と並行して−

 本研究の目的は、沖縄における養豚の産業化の過程で推し進められたヒトとブタの「分離」の歴史を人類学的に明らかにすることにあった。戦後、沖縄では屋敷内で1頭から数頭のブタを飼う小規模な世帯養豚から、居住地から離れた施設で100頭から数千頭規模のブタを多頭飼育する企業経営型の養豚へと移行した。ここで注目したいのは、本土復帰から僅か20年間で養豚農家数が10分の1以下に減少したこと、つまり養豚の産業化が短期間のあいだで急速に進められた点である。急速な社会変化の中で、ヒトとブタの関係は村落生活に根ざす日常的なものから、専門家を中心とする分業体制に布置された。
 以上をふまえ、本研究では歴史資料の分析と実地調査の双方からヒトとブタの関係の変化を捉えることを試みた。豚肉産業の成立過程については、現在豚肉産業に従事する生産者を対象に聞き取り調査を行ない、それと並行して都市計画と公衆衛生の資料を収集した。聞き取りと資料の分析からは、ブタが人間の居住地から遠ざけられる具体的な経緯が見えてきた。都市計画と公衆衛生の観点からは、ヒトとブタが居住環境を共にすることが問題視され、諸悪の原因とされた。ブタは悪臭の漂う非衛生的な存在であり、人間の快適な生活を損なう害畜と名指された。
 興味深いのは、ヒトとブタを物理的に引き離す様々な努力が、必要以上に徹底的になされた点である。行政から多額の資金が援助され、屋敷地から離れたところに専用の豚舎を建てた。さらに人間の出入りを制限する閉鎖式豚舎が造られた。そのうえ、ブタのにおいを外に逃がさない密閉式豚舎が導入された。数段階にわたってブタの悪臭を遮断する諸策が講じられたのである。このように、ヒトとブタの分離が徹底化され、消費者に残されたのは衛生化された〈肉〉のみであった。ヒトとブタの分離に始まる豚肉産業の誕生は、生体のブタと肉を分業体制に配置する、ブタと肉の分離を推し進めた。
松岡 陽子(名古屋大学大学院文学研究科)
「ゲサギ」からみる戦後ケニア・エンブ社会の動態――シングルマザー・婚姻・土地を手がかりとして――

 本研究はケニア・エンブ社会の歴史(特にマウマウ戦争)とシングルマザーの出現の関連性を追究するため、2009年7月〜9月にエンブ社会において現地調査を実施した。
 近年、マウマウはケニア国内でようやく合法化され、学識者の間ではマウマウに対する積極的な評価、そして植民地政府に対する否定的な評価が定着しつつあるが、今回エンブ社会で得た語りからは必ずしも村人が当時のマウマウを評価していたとは思えない情報が非常に多く聞かれた。戦時中、植民地政府側の白人やアフリカ人が村の女性たちをレイプしていたことは従来の研究でよく強調されるが、しかし実際はマウマウ側も同様のことを行っていたことはあまり知られていない。またマウマウだけではなく、一般の村の男性も非常事態という混乱に乗じて女性をレイプすることがあり、マウマウ戦争を機に突如多くのシングルマザーが誕生した。彼女たちはエンブ社会でシングルマザーが増大する歴史的過程の初期にあたる人々である。
 戦時中のシングルマザーの出現は一時的な現象ではすまなかった。戦争はエンブ社会に大きな衝撃を与え、経済的疲弊を招き、また戦後すぐに着手された土地改革による大規模な配置変えがクラン制度を崩壊させ、家族や親族の紐帯を弱めた。さらに、戦争から戻ってきた若い男性たちは植民地政府によって酷い拷問を受け、心身ともに衰弱しており、戦後のエンブ社会再興に貢献する力も、家長として「男の責任」を果たす気力もなくなっていた。崩壊する社会のなかで彼らに「男性の役割」を果たすことにプレッシャーをかける者や機関がなく、それが結果的に持続して多くのシングルマザーを生みだすことになったが、今回の調査ではそれを根拠づける現地の人々の語りを得ることができた。
安田 章人(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
カメルーン北部・ベヌエ国立公園地域における狩猟区拡大と土地分割プロジェクトがもたらす住民 生活へのインパクトに関する研究

 西洋人が進出して以来、多くの野生動物が生息するアフリカは、娯楽のための狩猟、いわゆるスポーツハンティングのメッカとされている。近年、スポーツハンティングは観光活動として活発化しており、スポーツハンティングを認める国の数や狩猟区の面積は増加し、同時に、スポーツハンティングは住民参加型保全政策を経済的に支える有効なツールとして注目されている。しかし、アフリカにおけるスポーツハンティングと保護政策の関係は、生態学、歴史学などの分野からも幅広い注目を集めているが、それらがもたらす住民生活への影響について、十分な議論がなされているとはいえない。
 本研究は、カメルーン共和国・ベヌエ国立公園を調査地とし、近年、活発化するスポーツハンティングと自然保護政策が住民生活にもたらすインパクトに注目した。そして、人類にとって緊急的課題とされている地球環境問題において、「地域住民vs.保護政策」などの野生動物の保護と利用を二項対立的にとらえた構図を越え、地域住民の視点からの実証的なアプローチにより、人と野生動物の共存関係のあり方を探ることを研究目的としていた。
 本研究は、スポーツハンティングのための狩猟区の拡大や、スポーツハンティングと住民生活を線引きする土地分割計画について、調査地において補完的なフィールドワークをおこなう予定であった。しかし、指導教員の退官等の理由により2009年度中の学位取得を目指した。そのために、関係する各学会の学術大会において学術的交流を図るとともに、関係する文献を渉猟し、これまでの調査結果と文献研究を融合させることに尽力した。特に、狩猟区の拡大と土地分割計画については、これまでの調査で入手していた膨大な政府関係資料を精読することによって、分析をおこなった。これらの研究成果によって、3編の著書を執筆するとともに、学位論文を完成させ、2010年3月に博士(地域研究)の学位を授与された。

平成20年度


伊藤 敦規(東京都立大学大学院社会科学研究科)
日本国内ホピ・アート市場の実態調査ー先住民アートのプロモーションに向けた公共人類学的アプローチとしてー

 本研究の目的は、現代日本国内で商品として流通する北米先住民ホピのアートの実態を明らかにし、その商品流通状況を類型化することにあった。調査手法はインターネットと雑誌を用いた情報収集による市場データベースの構築と、個別販売店の経営・販売者への聞き取りから構成される。
 調査の結果、日本国内ホピ・アート市場は2009年3月現在、約300軒の個別販売店から成り立っていること、商品分野の内訳は銀製のジュエリーが圧倒的多数であることなどが明らかになった。なお、商品流通は以下の七項目から成り、個々の販売店の買付予算と経営方針、作家や消費者とのネットワークのあり方などが複合的に絡み合った結果として個別の状況が生じていることが判明した。@仕入れ(保留地のギャラリーや個人作家の在庫商品の買付/保留地近郊都市のギャラリーや博物館ショップでの買付/保留地近郊都市開催のアートショーにおける作家からの買付/国際電話・メールなど通信機器を用いた作家への直接オーダー/日本の卸業者からの仕入れ/本店から支店への分配/米国インターネット・オークションでの落札)、A卸し販売(小売店への販売)、B小売り販売(販売店HPやインターネット・オークションへの出品/実店舗での販売)、C日本国内販売店間の金銭の授受を伴わない物々交換、Dサイズ直しと修理、E顧客所有の中古品委託販売、F製造・制作(書籍やHPで公開されたホピ個人作家作品のデザインを流用して機械や手作業で製造・制作)。
 詳細は、受領者が過去に実施した1970年代以降の日本国内ホピ文化消費動向の分析と絡めて英文の報告書にまとめた。それは北米先住民が運営するアート・プロモーションNGO(Council for Indigenous Arts & Culture)に提出済みである。2009年2月、CIAC代表とホピ政府税務局はホピ保留地にて合同で公開式会合を開き、受領者が記した報告書が代読された。今後、研究成果を理論化し、学会発表および論文として順次発表していく予定である。
門田 岳久(東京大学大学院総合文化研究科文化人類学コース博士課程)
対話的ネットワークを通じた「自己」の再定位に関する研究ー過疎地域日本における巡礼者たちの紐帯形成と経験の共有活動を例に

 現代日本の巡礼はかつての伝統的宗教儀礼からツーリズムへと変貌し、参与者にセラピー的効果をもたらす「経験商品」となりつつある。本研究は巡礼者たちが事後的に想起した自らの巡礼経験の語りを素材に、「経験を他者に伝える」という行為が自己(自己アイデンティティ)の形成に及ぼす意味を考察すると共に、対話によって人々が結びついていく現象を、現代社会の人間関係論の素材として加工することを目的とした。以下は調査成果を博士論文の一部に組み込んだ際の分析見通しである。
 @調査は主に新潟・佐渡島で行い、まず巡礼経験者が語りを行う日常の場面を記録することで、語り内容の傾向把握を行った。彼らの語りは単に巡礼や宗教経験を語るのではなく、過去の自分史や家族史の断片的事象を結合させながら自己物語を作ることで、唯一性を持った「私だけの経験」として呈示する傾向が見て取れる。信仰について語る代わりに自己を語ることは過去の巡礼体験記と比較検討した際に顕著な現在の特色であり、「自己の再帰的プロジェクト」(A.Giddens)論を追認する事例である。A一方語りを多数収集していくと、そこに類似性が浮かび上がる。彼らの語りは主観的リアリティーとしては唯一性を持った物語であるが、観察者視点に立つとよく似た「私だけの経験」の物語が複数存在することが見えてくるのである。B調査地で不定期に開かれる、巡礼経験者が経験を語り合う集いは唯一性の物語同士が出会う場であり、偶有性の感覚(「あなたも私と偶然にも同じ経験をしてきたのか」)を媒介することで他者との共感や共同性が発生する場でもある。
 巡礼経験者たちの自己物語から見えてくるものは、人々は自己の唯一性への希求と、自己が他者と繋がれる共同性への希求という一見相矛盾する願望を同時に有しているということである。だがより正確に言うと、共同性(繋がり)の希求はこの場合他者関係における前提的願望というよりも、唯一性の希求の行き着く先であった。この点からは、近年の人類学で価値を帯びつつある概念「繋がり」を、現代社会の人々の基礎的願望として自明視しつつある議論には疑念を呈すものである。
金 良淑(東京大学大学院人文社会系研究科韓国朝鮮文化研究専攻)
韓国巫俗信仰の広がりと変化ー済州島の事例から

韓国の農村地域における巫俗信仰は、「巫俗=女性」、「儒教=男性」という二分法的な信仰の二重構造論に縛られ、固定的でローカルなものとして捉えられてきた。しかし調査者によるこれまでの調査では、クライアントの移住や巫者の出稼ぎによって、国境を越えた日本においても韓国の巫俗儀礼が営まれており、特に済州島の村の聖所である堂(タン)を中心とする信仰が、必ずしも村落に固定されたものではないということがわかってきた。
 そこで本研究では、済州島の一農村における長期フィールド調査を通して、村落を発信源として巫俗信仰が村の外へと広がってゆき、常に相互行為の中で変転、再構築されるものとして捉えなおすことを目的とする。また、信仰の二重構造論を批判的に検討するため、儒教的影響が海村より強いとされる済州島の中山間部落を調査地に選び、堂祭や個別儀礼の観察、済州島の巫者であるシンバンやクライアントへのインタビューを行った。
 その結果、第一に狩猟を生業としていた中山間部落では、今日では行われなくなった狩猟の安全と盛業を祈願するための、原則として男性だけが赴く堂があるなど、男性のクライアントが主体となる信仰実践や、男性巫者の威信が女性巫者に勝るという現象が見られた。第二に、調査地とその周辺村落には、村の守護神を祀った本郷堂の他に、他村から枝分けされた堂が複数あると同時に、調査地の堂も住民の移住によって他村へと枝分けされており、堂を中心とする信仰が空間的に村に固定されたものではなく、流動的で可変的なものであることが明らかとなった。第三に、巫者の都市移住や世襲制の弱化などにより、巫者同士の結びつきや巫者とクライアントとの関係が地縁や血縁に縛られないものへと変化していることがわかった。これらのミクロな事例から、今後は韓国巫俗信仰の再認識への手がかりを探ってゆく予定である。
倉内 美智子(総合研究大学院大学文化科学研究科地域文化学専攻)
故郷の山地と世界をつなぐ人々ースーダン内戦後を生きるヌバ人家族のネットワーク構築ー

 1983年から2005年まで続いたスーダン内戦は、200万人以上の死者、数百万人の国内外への避難民を出した。2005年には平和協定が結ばれ反政府組織であったSPLA/ SPLMが政党となり、北部スーダン政府との間で28%の権力分有が決定され、今日に至っている。
 本研究は、内戦中に激戦地となったヌバ山地(南コルドファン州)出身者を対象とし、内戦後のヌバ人の生活再建の戦略を明らかにすることを目的としている。なお、本調査は首都ハルトゥーム市および近郊のオムドゥルマーン市において行われた。
 本調査では第一に、内戦を機にハルトゥーム州に移動/避難をしたヌバ人に聞き取り調査を実施した。内戦中のヌバ山地は、あらゆるレベルにおいて政府側とSPLA/ SPLM側に分断されたといわれる。今回の調査では、政府軍側を支持したヌバ人からも広くインタビューを行なった。明かになった点は、都市部在住のヌバ山地出身者は「アラブとヌバ」「アフリカン」という重層的なアイデンティティを有しているうえ、各派を支持するヌバ人が今も互いに敵対し続けていることである。今後、「ヌバ人」という語りについて再考することは課題の一つである。第二に、内戦中に「難民」として世界諸地域に移住し企業したヌバ人の、家族への送金、携帯電話による日常的な情報交換、スーダン国外での仕事を通じてヌバ山地復興を目指そうとする行為が見られる。生活再建をめぐるトランスナショナルな戦略として位置付け、これらのヌバ人から聞き取り調査を行った。
 今後も、ヌバ人全体の生活戦略を知るため、都市部在住者、ヌバ山地への帰還民、トランスナショナルなヌバ人の3方向からの調査が必要である。本調査を礎とし、今後の長期調査を通じてさらに詳細な一次資料を収集すると共に、ハルトゥーム大学や公文書館において文献資料も収集し博士論文の作成にあたる。なお、2008年5月11日未明にオムドゥルマーン市で勃発した反政府組織JEMと政府軍との武力衝突により、滞在先および滞在期間を変更した。
黒木 紗緒里(神戸大学大学院総合人間科学研究科博士後期課程)
ブラジルの「人種デモクラシー」再考―近年の黒人運動の影響力とそのひずみー

 本研究は、ブラジルの「人種デモクラシー」や「混血」といった概念のイデオロギー的な効果に着目しながら、それを現代の政治経済、文化産業のコンテクストのもとで批判的に分析することを目的とする。
   「人種デモクラシー」というテーマは現代という時代に即した分析が実はまだ十分なされていない。かつては語ることさえタブーであった人種や人種問題というテーマが、人種的不平等是正策(大学入試の「黒人」枠設置等)導入の是非をめぐる国会議論や、TVドラマ等で積極的に取り上げられるようになったのもここ数年の事である。近年のこのような変化を見れば、かつてブラジルの国民的アイデンティティの一部をなした肯定的概念としての「人種デモクラシー」は過去の幻想に過ぎなかったとして葬り去られてしまったかのようでもある。しかし実際はどうなのか。この点を明らかにするため今回の調査では人種的不平等是正策をめぐる議論やメディアにおける人種表象の問題に着目し、それらがブラジルの人種概念をめぐる世論形成にどのような影響を与えているかについて文献及び北東部バイーアを中心に聞き取り調査を行った。調査の結果、近年政府の政策や一部のメディアで起こっている人種概念導入の流れとは逆に、国民の多くは「これまで存在しなかった異人種間の憎悪を生む」としてブラジルを「白」と「黒」に二分化する考えに反対であり、社会的人種概念不在説(しばしば生物学的概念と混同されてもいる)は国民の間でより堅固なものとなっている事実が明らかになった。一方、一部の黒人系の人々の語りには、彼らを飲み込もうとする「人種デモクラシー」の言説と彼らがいまだ経験する人種差別の現実との折り合いをどのようにつけていくのかということに関する戸惑いや葛藤が垣間見られた。「変わりゆく変わらないもの」としての「人種デモクラシー」、すなわち表面的に見れば状況は改善に向かっているようでも実は基盤は変わらないその言説は、近年の文化産業や経済・政治的流れと絡み合うことで、より巧妙かつ複雑な形で語られ続け、従来のヘゲモニーを維持するための支配的言説として日々再生産されている。
小林 誠(首都大学東京大学院社会科学研究科博士後期課程)
ツバルにおける海面上昇に起因する地形の変化と土地紛争に関する文化人類学的研究

 本研究の目的は、地形の変化に起因する土地紛争に関して調査・分析することである。対象社会として当初、ツバル・フナフチ環礁を予定していたが、土地法廷の記録の閲覧許可が得られなかったため、不足したデータを補うべく同国の北端部に位置するナヌメア環礁においても同様の調査を敢行した。具体的には、1)地図資料の分析による地形の変化の歴史の再構成、2)国立古文書館での文献史資料による植民地行政府やツバル政府による土地政策の分析、3)土地法廷の議事録の閲覧・収集による境界紛争の類型化、4)インタビュー調査による土地紛争の個別事例の検討、を行った。
 その結果、以下の点が明らかになった。ツバルでは、イギリスによる植民地時代から独立を経て今日に至るまで、土地の境界を確定し、それを固定化する政策がとられてきた。特に1980年代後半に作成された地籍図には、土地の境界およびその目印が置かれた地点が詳細に示されており、現在に至るまで土地法廷で利用される有益な資料とみなされている。一方、ツバルをはじめとする極小の面積しかない環礁島においては、微細な海岸地形の変化によって所有する土地の面積が大きく変動し、さらに、近年問題となっている地球温暖化による海面上昇の影響が加わって地形の変化が深刻化しているため、1980年代に作成された地籍図で示された海岸線と現在のものとの差異が明確に現れ始めた。本研究により、地形の変化という環礁島においては恒常的な自然現象が、土地の境界を地図化する政策によって、社会問題として顕在化していった過程が明らかになった。
佐々木 剛二(東京大学大学院総合文化研究科文化人類学)
ブラジル日系社会の「徳」に関する歴史的民族誌:移民知識層の言説と社会構造の変容

 本研究の目的は、ブラジル日系移民社会の形成期から現代までにおいて、(1)日系移民知識層がどのように移民に対する自己言及的な言説を生産し、(2)それが、ブラジル日系社会の構造の変容とどのように結び付いていたのかを明らかにすることであった。そこで、申請者は、ブラジル・サンパウロ州サンパウロ市にて20ヶ月間のフィールド調査(うち2008年4月より12月まで貴基金よりの助成を受けた)を行い、文献資料、面接調査データ、観察記述、写真資料等の収集等を行った。
 調査を通じて以下のような主要な結論が得られた。すなわち、(a) ブラジル移民知識人の活動の原型は1920年代初頭には既に見られた。この時期には、邦字新聞の編集者たちがそれまで一般の農民層に強く見られた「出稼ぎ」意識に抗してブラジル永住論を指導した一方、日本国内で勃興しつつあった民主的農業思想などに基づいて計画的な移住地が作られ、それ以前の移民より教育程度が比較的高く、永住志向の強い移民が動員された。(b)1930年代から1940年代初頭にかけ、移民知識層は、日本の帝国主義的な言説の内側にブラジル移民の使命を見いだそうとしたが、内的にはブラジルへの同化を説く少数の人々と、日本帝国の支配下に入っていた南洋諸島等への再移住論を唱える多くの人々へと分裂した。(c)第二次大戦後以降、「勝ち負け抗争」を経て、戦前に永住・同化主義を説いた人々やその系譜を引き継ぐ人々によって、移民指導層が形成された。(d)戦後の移民知識人たちは、多様な歴史書記の実践を通じて、急激に都市へと進出しつつ立ったブラジル日系移民の共同体を「日系コロニア」と呼び、ブラジルの社会秩序の中に自らを位置づけながら、異境の原野において農業移民としての過酷な闘争を貫く為に必要となった諸「徳性」を体現した存在とするナラティブを形成した。
 今後は、助成期間中に得られた成果を基礎に、移民知識人の言説と活動のより詳細な分析を進めるとともに、日本政府の戦後移民政策においてブラジル日本移民や日系人が位置づけられていった過程について明らかにする予定である。
長谷川 悟郎(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科東南アジア地域研究専攻)
マレーシア・サラワク州における民族伝統染織布の商業展開とイバンの社会・文化的対応

 サラワク州のカピット県区は、1980年代以降、農村の女性開発や観光開発とからめて展開されてきた染織布の商品開発の流れにのり、ユネスコから国際的な賞を受賞するなどの例もでて、もはやイバン伝統染織布の名産地とみなされてきた。しかしイバンにとって機織りは、収入を本格的にもとめて選ぶ職業とは至らず、焼畑による米づくりを生活の経済基盤としたロングハウスに居住する女性が農耕の合間に取り組む程度のものに留まっている。
 本研究は、特につぎの2つに注目した。1)伝統的「染匠」(植物染料を用いるためのンガールとよばれる媒染の儀礼工程を司る唯一の女性)は、ロングハウス社会内の女性リーダーと慕われ、各種儀礼執行の際には要所において重要な役割を担うが、1950年代以降、化学染料の使用が普及したカピットにおいてこの社会・儀礼的役割はどのように変化したか。2)これまで商品として流通するなかで蔑ろにされてきた、織り手が布の模様意匠に付す「ジュロッ」(julok)とよばれる「作品タイトル」について。
 1)では、現在多くの織り手が化学染料の手軽さを享受するが、依然最良と見なす植物染料の根強い使用状況を把握した。染匠は、相対的に人口は減少したとはいえ、ロングハウスによってはまだ存在する。全体的に織り手の数自体も減少するなか、かつてコミュニティ単位でおこなわれた媒染儀礼は、親族関係をもつほかの村と統合するかたちでおこなわれる。
 2)では、これまで2003年にその論理について体系的な説明が試みられたものの、まだ多分にあいまいさが残された課題であった。これまでの「ジュロッ」に対し、今回の調査では「ペジュロッ」との語彙表現を新しく確認し地域的多様性を詳細に明らかにした。さらにペジュロッは、これまで説明されてきたような重要(霊的に強力)とみなす模様だけに付されるわけでなく、織り手それぞれが自由に創案することのできる短文詩であることをつきとめた。
比嘉 夏子(京都大学大学院人間環境学研究科)
贈与・交換の「場」における立ち振る舞いートンガ社会の寄付行為にみる個人の戦略と共同性

 本研究は、調査地であるトンガ王国トンガタプ島にてさまざまな機会に開催される「寄付金集めの行事」を事例として、多額の寄付を集める経済活動の「場」で繰りひろげられる人びとの相互行為がどのように構成されているのか分析し、人類学における贈与交換論に行為者レベルのミクロな視座を提示することを目的とした。
 2008年9月からハワイ大学にてオセアニアの贈与/交換儀礼に関する映像資料および文献資料の収集と分析を行った後、2009年3月下旬にトンガでの現地調査を実施し、寄付集めの行事を映像として記録した。そこで得られたデータを詳細に分析することで明らかになったのは、以下の点である。
 1.「コンサート」と呼ばれる寄付金集めの行事に参加する人びとは、パフォーマー/オーディエンスの境界を縦横無尽に動きながら振る舞い合い、この場はコミュニティの共同性が可視化され実現されていくプロセスとして重要な役割を担っている。
 2.この「場」には一定の儀礼的構造と、寄付金を集めるという明確な経済的目的が存在するが、そのなかにおいて、参加者の行為、各々の参与のしかたは、いくつもの選択肢に開かれている。具体的には、パフォーマーとして行うダンスの多様性や、オーディエンスによる、パフォーマーの身体に紙幣を貼りつけるという行為が人びとによってそのつど選び取られている。この選択のしかたによって、一連の流れの中で社会的空間にどのように自己を位置づけるのか、またコミュニティの成員としての互いを認識し合うか、が決定されていく。
 本研究の成果は現在論文として執筆、投稿予定であり、また2009年12月アメリカ人類学会にて発表を行う。
日野 智豪(上智大学大学院外国語学研究科博士後期課程)
北部タイ・HIV/AIDS感染者の意思決定プロセスー女性の再婚・妊娠・出産をめぐって

 本研究の目的は北部タイにおけるHIV/AIDS感染者女性の@再婚、A妊娠、B出産をめぐる意思決定プロセスを批判的医療人類学の視座から検討することであった。そこで、本研究においては2000年代に入り、タイ政府のポピュリズム的医療政策の実施、非政府組織の抗HIVウィルス薬配布プロジェクトなどにより農村社会に属するHIV/AIDS感染者に対する医療状況が変化し、それにともなって感染者組織への帰属意識が薄れていくなかで、感染者女性がどのように自己像を再定義するのかに着目した。具体的には2007年11月から1年間、北部タイ・チェンマイ県の郡立病院を軸とした周辺村落における定着調査を実施した。
 今回の定着調査から@感染者女性の再婚の多様化(感染者組織内部での感染者同士の再婚から感染者の移動を経て他地域のひととの再婚へ、また感染者と非感染者の再婚へ)、A一連の女性の意思決定プロセスにおける「女性」の身体と「男性」の論理の衝突、それを打破するために女性がおこなうしたたかな駆引き(中絶/出産をめぐって女性は一旦男性の意見を尊重するが、次からは自身の意思を通すため、他者を巻き込むかたちで男性と交渉をおこなうなど)、B受け入れ社会の意識変容、C感染、非感染を問わず、男性の家族計画、および性感染症に対する認識、関心の低さ、D感染者女性の帰属意識の変容(感染者組織のメンバーとしての自己から村人としての自己へ、また「感染者」としての自己から「女性」としての自己へ)が明らかとなった。
 今後は感染者女性の「生殖」と「生命倫理」の視点から今回の調査結果を再考し、学会発表および論文投稿をおこないつつ、博士論文執筆へとつなげていきたいと考える。
松浦 直毅(京都大学大学院理学研究科生物科学専攻)
ポスト狩猟採集民の国家参入とアイデンティティ形成に関する人類学的研究

 中部アフリカのピグミーは、熱帯林に暮らす狩猟採集民として知られているが、近年では定住化、国家システムへの参入が進みつつあり、「ポスト狩猟採集民」ともみなされている。本研究の目的は、ポスト狩猟採集民であるピグミーが国家システムへと参入する過程で、どのようにアイデンティティを形成しているかを明らかにすることである。そこで、ピグミーのなかでも社会変容が進んでいるガボン南部のバボンゴを対象にし、とくに都市で生活している人々に焦点を当てて調査をおこなった。
 現地調査によって明らかになったのは、以下の点である。1. ガボンの地方都市には、多くのバボンゴが暮らしている。彼らは、バンツー系民族との婚姻や出稼ぎによって都市へとやってきている。2. 主な生業として農耕をおこなっており、大工仕事や商店の手伝いによって少額の現金収入を得ている。
 なかでも注目すべき点は、彼らがピグミーであることに対してネガティヴな感情をもっており、それを隠すか、少なくとも積極的には表明しないことである。都市生活者に対してピグミーについて尋ねると、政治的に劣位であり、都市生活になじまない「森の人々」という表象が語られる。このような差別的なイメージによって、都市で暮らすバボンゴは、その出自や民族を隠したり偽ったりすることを余儀なくさせられているのである。
 一方で人々のあいだでは、ピグミーが伝統医療の能力をもち、フェティッシュとしての役割を果たすことが知られている。都市で暮らすバボンゴのもとには伝統医療の依頼者が訪れ、その謝金が彼らの重要な収入源となっている。また選挙期間には、政治的な有力者が当選を祈願して儀礼を依頼しにやってくる。
 このように相反する二つのイメージのはざまで、都市で暮らすバボンゴは、狩猟採集民とも都市生活者とも異なる新たなアイデンティティを形成しつつあるといえる。
松嶋 健(京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程)
地域精神保健における医療とケアの次元の分離と統合に関する文化医療臨床人類学的研究ーイタリア・ウンブリア州の精神保健センターの活動を中心にー

 イタリアにおける精神医療と言えば、1978年5月に成立した法律180号、通称バザーリア法が、全土の公立精神病院の閉鎖を決めたものとして世界的に知られているが、本研究によって、同年12月に制定された法律833号が、実践的な見地からすると大変重要であるということが見えてきた。一般に国民健康保健サービス法と呼ばれるこの新法による保健システム全体の変革によって、精神医療も含めたすべての医療・保健サービスが各州の地域保健機構のもとに統轄されることになった。これは一方で、精神病院から地域精神医療へ、という流れを後押しするものであったが、同時にまた、精神医療が一般医療システムの中の一セクションとして統合されることによって、精神医療の特異性を見失っていく傾向に拍車をかけることともなった。とりわけ精神科専門看護師としての教育を受けた世代と、一般看護師としての教育しか受けていない若い世代の看護師との間には、看護師としての専門性や役割をめぐってコンフリクトが生じていた。その背景には、医療化の大きな流れの中で精神医療を生物医学の枠内で一般医療化しようとする傾向と、その帰結として医療とケアの専門性の棲み分けを明確にしようとする動きがある。
 しかしながら精神医療には、それを一般医療システムに組み込むことに抗する特異性が存する。その特異性こそが、「精神病」という枠組みそのものに対する批判を可能にし、さらには医療化と心理学化の流れに対するクリティカル・ポイントを形成するのである。精神保健センターにおける参与観察と、とりわけ第一世代の精神科専門看護師への聞き取り調査により、精神医療の特異性の現代的意味が明らかになってきたと同時に、精神科における看護師の技術が、実践知としてきわめて興味深いものであることも見えてきた。
 なお調査許可の関係で当初の予定を変更し、2008年12月から3ヶ月間の現地調査を行なった。
村野 正景(九州大学大学院比較社会文化学府博士後期課程)
エルサルバドル共和国チャルチュアパ市におけるパブリックアーケオロジーの実践的研究−市民と考古学者の持続的関係のあり方を求めて−

 本研究では、考古学者・文化遺産と一般市民の持続可能な関係構築にむけて、両者間に存在する問題点の把握と同時に、問題に対する考古学側の対応について考察し、具体的な活動の企画・実施を目的とした。
 しかし活動中、考古部部長の突然の辞職や調査対象地域の博物館の館長解任などがおき、当初計画した事業は縮小せざるをえなかった。それでも、当地の村落開発支援の一環として活動が続けられたことは幸いであり、以下にその成果を記す。
 さて、当国は中米の中でもメスチソの総人口に対する割合が高く、86%に達する。さらに、1930年代の経済危機に端を発するインディヘナへの虐殺を伴う抑圧、79〜92年の内戦時の伝統・文化の破壊という現代史は、一般市民の文化遺産に対する意識の動態に強い影響を及ぼしている。象徴的な意識として、先スペイン期の文化遺産は我々には関係がない、我々には文化がない/なくなってしまった、という言説がある。この歴史の断絶の意識は、盗掘や盗品の不法売買を比較的気軽におこなう原因の一部をなすと考えられる。しかし、一方では伝統復興のため隣国のインディヘナを招いてワークショップや博物館・遺跡訪問による自己学習を行なう人々の存在も把握でき、改めて文化遺産に対する一般市民の見解・態度の多様性が明らかになった。こうした活動を考古学側から意識的に支援することは少なく、本研究では一つの試みとして、「古代の製陶技術復元と新たな民芸品・教材開発プロジェクト」を企画・実施した。これは結果を一方的に教授するのではなく、研究過程に一般市民の参加を求め、情報の共有とさらなる活動の開発を行なうのである。具体的には、考古学的技術研究の中でも、復元実験に陶芸家や地域の人々が参加するもので、現在も継続中である。従来の考古学的研究にはない意見の広がりや一般市民の文化遺産へのまなざしの強化を観察でき、一つの文化プロジェクトの事例となると考える。

平成19年度

オリベラ ウッスイ 新垣 アルベス デ(大阪大学大学院人間科学研究科)
トランスナショナルな時代における憑依儀礼

 日本には現在、30万人の日系ブラジル人が暮らしている。彼らはトランスナショナルなブラジル人コミュニティーを形成している。そこではスーパーマーケットや肉や、レストラン、バー、ビデオレンタル店、ディスコ、旅行会社、学校、教会など、日常生活に必要なものを整えられており、ブラジル人を対象としたサービスが提供されている。
 本研究テーマである宗教は、上記のようなトランスナショナルなブラジル人コミュニティーの主要な要素の一つとなっている。私はウンバンダを実践する三つのグループでフィールドワークを行った。三つのグループはブラジル人が集住する岐阜県と愛知県にある。
 ウンバンダは20世紀初頭にブラジルで始まった諸教混合宗教である。混血や黒人の精霊に憑依を受ける宗教実践を行っている。本研究のもっとも重要な点の一つは、ブラジルと日本で実践されているウンバンダの違いを明らかにすることである。そのため、ブラジルでの調査を行い、両国のウンバンダ実践の差異を調べた。ブラジルのウンバンダ儀式では、豊富な物品が儀式に欠かせないものとして使用されている。ハーブや蝋燭、香炉、火薬などのうち、日本で手に入らないものは、家族や友人のネットワークを通じて輸送されている。
 特記すべき大きな違いは、日本での儀式では日本の精霊が憑依することである。日本のウンバンダでは、通常のウンバンダと同様ブラジルの精霊が憑依するが、「僧の精霊」も現れる。僧の精霊はクーラとよばれる治癒のための行為に現れる。また、「サムライの精霊」はブラジルの精霊exuとともに現れ、集会所の保護を行う。以上のことから、ウンバンダはブラジル人移民と祖国との絆を強め、日本に暮らすブラジル人の国民意識を確立させるブラジルの宗教という側面がある反面、日本社会やその文化に非常に柔軟に適応し、変容しているといえる。相反する二つの現実を象徴的に統合し調和させることで、日系ブラジル人が日本社会での困難を再記述し、再解釈することが可能となっている。
飯國 有佳子(国立民族学博物館 外来研究員)
現代ビルマにおける呪術再考 −都市部における霊媒カルトを中心に−

   「グローバル化に抗する国」と評されたビルマ(ミャンマー)においても、1990年以降経済自由化が進み、今世紀に入りグローバル化は着実に進行している。こうしたなか本研究では、都市部における霊媒カルトに焦点を当て、現代ビルマ社会における呪術的実践をとおして、人々にとっての近代化やグローバル化の経験を明らかにするとともに、ローカルな側から近代を相対化することで、従来の呪術研究枠組みの見直しを図ることを目的としていた。
 現地調査によって明らかになったのは、90年代以降の政治・経済的変化とグローバル化の進展が、都市の霊媒カルトにおける諸実践とジェンダー規範の再編を迫るものであったという点である。第1に、職業的霊媒の主な担い手が年配女性からトランスジェンダー(TG)の男性へと変化していたが、この傾向は資本主義的原則の導入以後徐々に進み、グローバル化に伴い爆発的に増加したことが聞き取りからわかった。第2に、通常成巫過程では心身の異常は精霊からの招命とみなされ、修行をとおして霊媒としての新たな生が獲得されるといわれるが、TGの霊媒は精神的・肉体的苦悩を表明せず、自らの信仰心や趣味趣向によって職業的霊媒という生き方を主体的に選択していた。こうした変化は、病気と精霊との関連についての民俗知識が近代化に伴い変容していることに加え、現実を操作する技法としての呪術的実践が医療という枠のみでは捉えきれないことを示唆している。また、これまで成巫過程で不可欠とされてきた霊媒と精霊との「結婚式」が現在あまり行われていないことや、職業的霊媒を宗教的職能者ではなく芸能従事者として登録させる政治的統制が強化されていること等も明らかとなった。近代化やグローバル化の経験をより明確にするためにも、今後は通時的視点に立脚した研究を進めていく予定である。
 なお、2007年9月に発生した民主化デモの余波等から現地調査の実施が困難であったため、当初の予定を変更し2008年3月に約1ヶ月間の調査を実施した。
田口 亜紗(成城大学民俗学研究所)
現代日本の学校制度における保健室の機能とその利用実践

 本研究は日本独自の学校保健室の機能とその利用実践を、文献調査と学校関係者への聞き取り、保健室での参与観察によって明らかにするものである。助成期間中は、近年の学校への心理主義化の浸透が保健室機能や養護教諭の役割、空間利用の仕方にどう影響しているかに焦点を当てた調査を行なった。
 保健室制度は1990年代以降大きく変容する。不登校やいじめ、自傷など子どもをめぐる社会問題への対応が学校内外から唱えられ、行政はスクールカウンセラーの配備など心理学的知見に基づく制度を整備した。この動向を受けて養護教諭はカウンセリングスキルや専門性の欠如を指摘されるようになるが、この批判に対抗するように、人材育成者や研究者は心理学を援用し、行政や学会活動で養護教諭独自の「ヘルスカウンセリング」業務を提言しはじめた。保健室空間も「心の居場所」機能が付加され、そこでの問題の早期発見や対応が目指されている。このように、保健室制度もまた心理主義化の傾向が強まっているが、それは総じて社会問題に合理的・科学的に対処しようとする行政や研究者側の一方的な提言によるものであり、現場のニーズは取り残されている感がある。
 一方の現場の養護教諭たちは、カウンセラーを含め多くの学校関係者との連携や総合的なマネージメントによって生徒の抱える具体的な問題に対応している。そこでは自身の専門性を問題にするよりは、むしろ「生徒の為になること」を第一義に多様な方途が編み出され、問題解決や管理、啓蒙といった目的のみに終始しない関係者たちの空間共有や、「スキル」に依らない養護教諭と生徒との豊かな身体的コミュニケーションがみられた。こうした現場関係者の日々の実践と間身体的対話が学校内での共同性構築に寄与していることや、心理主義化の浸透によってそれらの実践が否定されあるいは新たなマニュアル化に向かう傾向について今後考察を進める。その成果は学会発表と博士論文で明らかにする。
田所 聖志(立正大学文学部 非常勤講師)
パプアニューギニアにおける環境開発とエスニック・アイデンティティの相互作用についての人類学的研究
―石油開発計画の進行下におけるアンガ系諸集団の日常的実践を例として―

 本研究の目的は、パプアニューギニアの周辺世界において進む環境開発と、地域住民のエスニック・アイデンティティの相互作用を検討することであった。従来の研究では、鉱山開発などの環境開発によってエスニック・アイデンティティが喚起された事例が報告されてきたものの、具体的なプロセスは検討されなかった。そこで本研究では、2003年より石油会社によって石油の試掘が開始されたガルフ州、東部高地州、モロベ州に分散して居住する、12の言語集団からなるアンガ系諸集団を調査対象とし、「アンガ」という名乗りの多層的な実態の分析を試みた。
 具体的には、@試掘地域に近いテワーダの人びとと、Aメニャムニャ近辺住民の2カ所での聞き取り調査を行った。調査にあたり、次の三点を重点的に調査した。1)石油の試掘を契機として、いかなる行動が両地域の人びとによって行われたのか、2)それぞれの人びとが開発についてどのように語るのか、3)それぞれの地域における「アンガ」という名乗りに対する認識の差異はどのようなものか。
 調査の結果明らかになったのは次の諸点である。1)土地所有法に基づき、テワーダの人びととメニャムニャ近辺住民の間で、それぞれ別の土地所有法人が形成された。また、多数の言語・文化集団が併存しているメニャムニャ近辺では、一部の集団のみが土地所有法人を形成した。2)土地所有法人を介して、テワーダの人びとが一つの集団意識を形成し始め、石油試掘が地域開発に繋がるという期待感を持つ一方、メニャムニャの人びとは石油試掘をめぐって分化の傾向が見られる。3)「アンガ」という名称がメニャムニャ近辺住民によって名乗られる一方、テワーダの間では明確にそれに対する反発が生じている。
 今後の課題は、「アンガ」という名称の成立過程についての歴史的分析と、テワーダの人びとによる石油試掘および開発に関する認識についてさらに調査を進めることである。
椿原 敦子(大阪大学大学院人間科学研究科)
「共同体」再考:ロサンゼルスにおけるイラン系商店の事業展開とネットワーク

 本研究はアメリカ・ロサンゼルス市を調査地として、イラン系商店の集中するウエストウッド、ピコ、ダウンタウン地区への商店集中のプロセスを明らかにするため、商店経営者を対象に、以下の調査を行った:(1)商店同士の日常的な協力、あるいは対立関係についての参与観察、(2)事業展開に関する聞き取り調査、及び(3)調査地域の不動産の所有状況に関する行政資料の収集。
 本調査からイラン系商店の集中は、既に当該地において店舗を持っている商店主が家族や親族、同郷者へ周辺の空き店舗を紹介する連鎖移住と、近隣の店舗同士でインフォーマルに行われる交流の両方から成り立っていることが明らかになった。しかし、商店経営者のネットワークは相互扶助のための安定した紐帯ではない。いずれの調査地区にも地域のイラン系商店者の組合や同業者組織は存在せず、商店経営者たちの関係は、恒常的な助け合いや連帯と、敵対や競合のどちらでもなく、ある対象―商店者同士、客、警察、ホームレス、卸売人など―と対峙したときに初めて決まるものである。
 先行研究では、ユダヤ人などイランにおける民族=宗教マイノリティは、移住先のLAではイラン人というナショナルなアイデンティティよりは民族=宗教に基く帰属意識を強く持ち、それぞれ分かれて経済活動を行っているといわれてきた。しかし調査では例えば店舗オーナーと借り手が同じ民族=宗教的帰属の場合でも関係が希薄なのに対して、商店経営者は民族=宗教的帰属に関りなくイラン出身者同士で頻繁な往来を行っていた。更には被雇用者や取引先の選択には特にイラン出身者であることも同一の民族=宗教的帰属であることにも拘らない傾向が見られた。この結果は、商店経営者たちがナショナルな枠組みの中での集団意識を持ちながらも経済階層によって分かたれた紐帯を形成している可能性を示唆しており、先行研究への再考を促すものである。
根本 雅也(一橋大学大学院社会学研究科博士課程)
広島原爆被害についての記憶の形成過程―戦争と記憶の文化人類学

 本研究は、広島における原爆被害の経験に対して、広島市などの諸組織が描く表象および取り組みと原爆被爆者の持つ記憶の間にどのような動的な相互作用があるのかを明らかにすることを目的とした。今回は、@原爆の体験を語り伝える活動を中心にすえた組織が1980年代に増加した背景、Aその活動は被爆者にどのような影響を及ぼしていったのか、Bそうした組織の増加は「記憶を語る」ということに何をもたらしたのかを主に調査した。
 @1980年代前半は、広島を訪れることに関心が集まっていた時期であった。反核平和運動が世界的に盛り上がっていたことに加え、交通のアクセスが容易になり、広島市行政などが平和学習と観光を結びつけて促進したことなどが、人々を広島に引き付けたのである。訪れてくる人々に対して、被爆者は話をするように周囲から働きかけられた。そして、体験を話した被爆者が、その重要性を自認し組織化していったのである。
 A原爆の体験を伝える活動(「証言」活動)は、それを行う被爆者と組織に自ら「証言」を洗練させていくことを促した。上手く話せなかったという反省が工夫を生み出した。また、体験を話すときには歴史的・科学的「事実」を踏まえる必要があるとされ、勉強会などが各組織で行われたりした。つまり、原爆の体験を語る被爆者は、もとから「証言者」であったのではなく、「証言者」になっていったのである。
 B体験を語る活動を行う組織の増加は、Aのように被爆者を「記憶の語り手」として主体化させていく一方、各組織同士のつながりを生み出し、「証言」活動を一層推し進めていった。広島を訪れる人々も増加し、「証言者」である被爆者は知人・友人を誘って「証言者」を増やしていった。こうして、「記憶を語る」行為は定着し、組織と個人が絡み合う動的な制度として制度化されていったといえる。
渡部 瑞希(一橋大学大学院 社会学研究科)
ネパール首都、カトマンズの観光市場における宝飾商人の信用取引関係

 本調査では、カトマンズの観光市場であるダルバール・マルグ、ジョチェ、タメルにおいて、宝飾商人の出自民族構成とそれぞれの市場の特徴を明らかにした。これらの市場のうち、宝飾商人の多民族構成が最も顕著で、宝石類の信用取引が盛んに行われているタメルを調査拠点とした。具体的には、報告者自らも店舗で従業員として商取引に参加しつつ、取引過程から垣間見える商人間の関係に着目した。
 まず、観光市場で頻繁に行われている宝石類の信用取引として、「ウダール(Udhaar)」、「ジャカル(Jakhar)」、「商品の貸し借り」を確認した。ウダールとは、分割払いであるにもかかわらず、無利子で支払い期間も取引者の個別的な関係や事情で決められる。ジャカルとは商品を無料で委ねるシステムで、ウダールと異なり返品が可能である。また、「商品の貸し借り」では、顧客が求める商品が自店にない場合、他店から未払いで借りることができる、仮に商品が売れれば未払い分を他店に支払い、売れなかった場合には商品を返品する。
 これらは、与え手(売り手)にとっては商売がなくなる状態を防ぎ、買い手にとっては高額な宝石の購入に対するリスクを軽減するという意味で、信頼関係に基づく互酬的な取引であるといえる。しかし報告者は、これらの信用取引を行うことと、売り手と買い手が完全な信頼関係にあることが必然ではない状況を取引過程において確認した。具体的には、買い手が支払期間を利用して、卸売業者や職人、小売業者や、顧客といった第三者を交えながら、受け取った宝石の価格や品質に関する「適切な」情報を収集する状況である。これは、商品に関する知識の差や情報の不均衡を利用した、悪質な商法にかからないためにとられる策である。今後の調査では、こうした個々の取引過程の事例を量化し、商品交換に関する人類学理論の貢献に寄与したいと考えている。

平成18年度

井家 晴子(東京大学大学院総合文化研究科)
医療知識を巡る社会的交渉―モロッコの出産における民族知識と近代医療の葛藤と結合―

 出産に関する人類学の先行研究を概観すると、「近代」が「伝統」を飲み込むという単線的なスタイルで描かれてきたもの、ある特定の地域の文化内で限定して調査したものが多く、近代医療との関連は十分には検討されてこなかった。そこで本研究では、現在、出産の近代医療化の過渡期にある、モロッコ王国を調査地域として、近代医療化を単線的なものではなく、個々人の記憶と体験から多層的に生成するものとして分析を進めた。加えて、「近代」と「伝統」の交錯地帯を記述する分析の枠組みをつくることを目的とした。
 具体的には、モロッコ政府が出産の近代医療化への呼びかけとして住民たちに対して指導している「ハイリスク妊娠」という概念に焦点をあてた。近代医学では、「ハイリスク妊娠」の兆候にあてはまる妊婦は、母児のいずれか、または両者に重大な予後が予想されると考えられ、専門家に妊娠の経過を管理された上で、リスクに対応可能な高次医療施設で分娩することが好ましいとされる。しかし、モロッコ王国の農村部では、人々は長年、行政から指導を受けているにも関わらず、産前検診にも訪れず自宅での分娩を好むものが多い。そこで、筆者は人々に対して妊娠・出産の異常事態に対し、どのように対処し、そこに近代医療の利用はいかに結びついてきたのか聞き取り調査を行った。
 その結果、「ハイリスク妊娠」という医学的な概念と、地域住民たちが考える出産の「異常」「困難」といった概念をいったん分けて検討する必要があることが明らかになった。両者には、危険を意識する際の症状としては共通のものが多く見られるものの、その認識基盤となる歴史、文化的な背景、知識の構造が異っているからである。本研究では、この両者の間で起こる葛藤、交渉といった錯綜地帯を様々な要素から調査、分析し、モロッコの出産の近代医療化を多層的に描き出した。
上田 達(大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程)
マレーシアにおける都市共同体とエスニシティに関する人類学的研究―ルクン・トゥタンガの事例から―

 本研究は現代マレーシアの都市部で導入されつつある住民自治組織「ルクン・トゥタンガ(Rukun Tetangga)」の活動に焦点を当てて、都市部におけるエスニシティの動態について考察することを主たる目的とする。ルクン・トゥタンガは国家統合・マレーシア社会開発省(Kementerian Perpaduan Negara dan Pembangunan Masyarakat)が主導する都市部における住民組織で、マレーシアを特徴づける多民族的が混在する都市部において民族集団を越えた連帯をつくり出すことを理念とし、「マレーシア人」を創出する各種のアジェンダの一つに数えられる。筆者は2006年7月から2006年9月までマレーシアに滞在して、ルクン・トゥタンガに関する資料収集および実施状況についての現地調査を実施した。クアラルンプールの文書館およびマレーシア国民大学の図書館で行い、同省が刊行するサーキュラーや書誌、新聞資料などを収集し、ルクン・トゥタンガの実施の概観と歴史的な背景について補足的なデータを得ることができた。現地調査はコタキナバル都市部にある集落において実施するとともに、コタキナバル近郊の地区にも赴き、実施の概況を得た。主に調査を行った集落は「ドゥスン族」が多く住む集落で、同集落に隣接する諸民族が混在する住宅地域とを包接する形でルクン・トゥタンガが設置されている。ここでは「統一幼稚園」という就学前の児童のための教育および各種文化行事が実施・運営されていることがわかった。集落の住民の多くがルクン・トゥタンガの理念について賛同する一方で、特定のエスニシティが集住する地区を超えた他の民族集団との協同作業については懐疑的で、たとえば幼児教育機関以外の文化行事への参与は稀であった。都市集落という、いずれは政府に接収される一時的な場においてもエスニシティが再定義され、人々にとって意味のある場所となりつつあることが明らかとなった。
緒方 宏海(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)
漁村の社会構造と地域形成に関する社会人類学的研究 ―中国遼寧省長山諸島を中心にして―

 本研究は、遼東半島近辺の黄海に浮かぶ長山諸島において、改革開放後、漁村に生きる人々の生活実態と地域社会が抱える今日的諸問題を明らかにすることを目的としたものである。長山諸島は黄海上に散在する122の島々からなり、中国で唯一の島嶼の国境県である。調査者は人が居住している25の島のうち5つの比較的狭小性の一島一村を対象に調査を実施し、その結果次のことが明らかになった。@改革開放後漁業体制の改革や水産物価の全面的な自由化によって、漁業生産高が増加し個人経営を促進させた。漁業経済の発展と収入が増えたことで人々は経済収入をより島内に求め、島を出る人々が少なくなる一方で、内陸部からの出稼ぎによって漁業労働者が倍増した。A個人経営の規模と漁船数も増加し、これによって島の経済生活における最も基本的な単位である世帯に、他の世帯との漁業をめぐる競合性が生まれ、海洋資源の減少の問題をもたらしている。B人々が市場経済に大きく依存している一方で、直面している海洋資源の減少について対応できないでいる。海洋資源の保護に向けて、国や行政による取り組みも不可欠であるが、人々が資源の減少について対応できないでいるのは、日本植民地期以前にまでさかのぼる島嶼社会、漁村の独特の社会構築原理(世帯にとって宗族である父系血縁集団とのコアリッション的な関係、「貧苦漁」(貧しい漁民)、「漁工」、「魚覇」(農村の地主に相当)の階層的な社会関係の認識、網や船を共同購入するクレジットアソシエーション的な役割を果たす「挿?組織」にみられる独特の金融システム)にも起因している。とはいえ、こうした歴史的に形成されてきた社会構築原理が市場経済的活動と相容れないとは必ずしも言いきれない。今後は詳細な家計の調査から、漁業をめぐる世帯間の競合性をモデル化することにより、海洋資源の負荷軽減を目的とした島嶼社会の漁村の地域づくりについて、世界各地の関連研究をも視野に入れて研究を進めていく所存である。
小川 さやか(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科/現在、京都大学大学院文学研究科/日本学術振興会特別研究員(PD))
アフリカ都市零細商人の社会的連帯と規範にかんする都市人類学的研究

 本研究は、独立後から現在に至る急激な社会経済変容のなかで、タンザニアの都市路上商人たちがユニークな商規範・共同性を構築してきた過程にどのような権力/社会関係が関与していたのかを明らかにすることを目的とした。調査は、ムワンザ市にて、路上商人と、@地方行政、Aインド系卸売商、B都市部消費者の3者との相互関係史を、独立から現在までを4期にわけて調査した。
 @各時期の地方行政による取締りと路上商人による暴動を調査した結果、行政という共通の「敵」が存在するからといって路上商人たちが一面的に連帯するわけではなく、むしろ行政側への抵抗や暴動を契機に、路上商人内部に生じた負債(賄賂のカンパや没収された商品代金の肩代わりなど)を、ときには関係を解消し、流動化(独立経営化)するためにも活用することでビジネスを再編するための実践へと転化してきたことが明らかとなった。A商業部門の上層部を寡占するインド系卸売商との相互関係史を調査した結果、インド系商人と路上商人は自由化直後、大規模な信用取引を通じて連携していたが、逆に路上商人たち同士の連携を強める頃には敵対的な関係になっていたこと、現在、輸入税の増額に対してストを起こしたインド系商人がふたたび一部の大規模なアフリカ系商人と連携を強め、路上商人間に階層化と組織化が進展しつつあることが明らかとなった。B都市居住民による路上商人の評価は、常に肯定的/否定的な評価を併せ持っており、路上商人たちは両義的な評価を仲間意識の醸成だけでなく、仲間から突出することにも利用しながら、自らのイメージを操作してきたことが明らかとなった。これらをまとめて、路上商人たちが「群れあうけれどなれあわない」という都市的共同性を構築し、独自の商慣行を発展させてきた過程には、都市を形成する諸アクターとの親密性を操作する技法があることを指摘した。
杉本 敦(東北大学大学院文学研究科博士後期課程)
ルーマニアの伝統的な「家」ゴスポダリエに関する文化人類学的研究―農村社会におけるイデオロギーと現実―

 ルーマニアのゴスポダリエは、伝統的には物質的な家を指すとともに、共住する家族のメタファーであり、成員のアイデンティティの基盤でもあり、物質財と非物質財からなる一個の経営体をも意味していた。当初、本研究ではゴスポダリエの内的構造とイデオロギーの現状と変遷の過程を明らかにすることを目的としていた。しかし、対象とした村落では、都市からの居住者、別宅を持ち週末やバカンスに来訪する都市居住者が多数存在し、様々な生活様式や考え方を持つ人々が混在するという状況が特色として見られた。そこで、村落の全体像を把握すること、その中でゴスポダリエがどのような現代的意味を持つのかを明らかにすることに焦点を移して研究を進めた。
 対象村落において、昔からの居住者の多くは家畜や農地を所有し農牧業を行っているが、その生産物を市場に流すことはなく、自家消費を基本としている。彼らにとって、ゴスポダリエはサブシスタンスの基盤として重要な経済的意義を持っているのである。一方、都市からの移住者、別宅所持者にとって、そのようなゴスポダリエの生活は彼らが求める「伝統的でルーラルな世界」のイメージを担う存在でもある。特に家畜の群れや積みわらなどはそのシンボルとして認識され、彼らは村人から手作りの衣服や乳製品を購入することを楽しみにしている。しかしながら、両者の直接的なコミュニケーションは制限される傾向にある。すべてを購入し都市的な生活を続ける移住者は、「金持ち」として村人に距離を置かれるし、移住者自身も村人の農牧業に参与することはない。また大抵の場合、村落の教会行事は昔からの村人のみで行われる。
 今後は、異なる生活様式や考え方を持つ人々がどのように関与しあうのかに注目し、一つの農村社会がどのような実体、イメージを持つ世界として構成されているのか、農村社会がどう変化しているのかを明らかにしていくつもりである。
高橋 隆太(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
アフリカにおける貧困削減政策と住民組織−セネガル河下流域の稲作地帯を事例として−

 本研究は、貧困削減に関する研究が注目されるなかで、農村開発の現状およびそれと農村社会の関わりを分析することで、セネガル河下流域における村人の貧困からの脱却のあり方を検討することを目的としている。現地調査では、特に農民だけで組織されている農民組合に着目して、農民組合が仲介業務を行なっている個別農家向けの農業融資事業と、農民組合が行なった新田開発事業と畑地の拡大・割替事業、畑地の灌漑事業について観察し、これらの事業と農村社会内部の社会関係との関連を分析した。
 他のアフリカ諸国では、このような融資事業への返済率が低く破綻してしまう事例が多く報告されているにもかかわらず、この地域では比較的高い返済率を維持している。その理由は、融資を受けた農民が収穫後に籾で返納し、農民組合がその籾を販売して得た利益を未完済者の返納の不足分に充当するというメカニズムが働いているからである。すなわち、収穫量の多かった農民が、収穫量が少なくクレジットを完済できていない農民の未返済分を補填するという相互扶助的な機能を読み取ることができる。さらに、農民組合が行なった新田開発事業と畑地の拡大・割替事業にも相互扶助的な機能が読み取れる。いずれも、農地を持たない若年既婚男性の救済を対象とした事業であり、生計基盤の脆弱な世帯に対する村落全体での相互扶助的な対応を読み取ることができる。同時に、新田開発と畑地の拡大・割替は農村の農業基盤を拡大する活動であり、農民組合の開発主体としての機能の発現とみなせる。また、畑地灌漑事業が周辺地域に先駆けて行なわれており、新たな生産機会と現金稼得機会の創出につながった。これらのメカニズムが働く背景には、共食による寡婦世帯の扶養やザカート(イスラームの喜捨)による貧者の救済など、村人の食事を保障するような日常的な相互扶助的な慣行と社会関係がある。その結果として、農村全体で脆弱な村人を救済していると考えられる。今後は、他地域との地域間比較を通して、セネガル河下流域の一般性と特殊性を浮き彫りにしていく必要があると考えている。
長沼 さやか(総合研究大学院大学文化科学研究科)
中国共産党政権下における水上居民の陸地定着にともなう自他意識の変容―珠江デルタを中心に―

 本研究は、1949年の新中国成立以降、共産党の各政策のもとで陸地定着をとげてきた広東の水上居民の自己意識、および他者である陸上居民との境界に、いかなる変容が生じてきたのかを考察するものである。
 広東の水上居民はかつて蛋家と呼ばれた。蛋家は船上生活の特異性ゆえに、有識者などから非漢族と称されることもあったが、1953年の民族識別工作以降、漢族と認定された。その際、蛋家という呼称は蔑称であるとして、水上人という呼び名が用いられるようになった。このことからも分かるように、蛋家とは他称である。蛋家と呼ばれた人々自身は、従事する生業に基づき、漁民、船民(水運業者)、農民と自称するのが普通であった。その一方で、陸上居民は自分たちより遅い時代にその土地に到り、船あるいは水辺の小屋で流動性の高い生活を営んでいた人々を、ひとくくりに蛋家と称した。こうした状況に大きな転換をもたらしたのが、50年代末から実施された職業ごとの集団化政策である。人々を土地や組織に帰属させることを基本とした集団化政策は、水上人の定住化を促しただけでなく、彼らを漁民、船民、農民として識別する契機ともなった。その結果、水上人はかつて自称していたように、各職業従事者として認識されることとなった。すなわち水陸の境界は集団化を経て、職業の差異へと変化したことが指摘できる。
 80年代の改革開放以降から現在にかけて、状況はさらに変化している。職業選択が比較的自由になった現在、水上人に限らず村を離れて働く人が増加した。また、2000年ごろから中山市においては、かつての水上人の風俗習慣を水郷文化と称し、観光資源として活用する動きが出てきている。こうした動向と相まって水郷、すなわち農村に居住する人々を水上人の末裔と見なす認識が、都市部を中心に浸透しつつある。つまり、職業の多様化を経て、農村部の人々の生活範囲が広がったことにより、水陸の境界は都市と農村の対比に置き換わりつつある。このことからも水上人は、陸上居民との差異、あるいは対比によって生じる境界によって括られた人々であるといえる。今後は、これらの成果を博士論文としてまとめる予定である。
浜田 明範(一橋大学大学院社会学研究科)
多元的医療状況における薬剤の使用実践―ガーナ共和国イースタン州を事例として―

 本研究では、ガーナ南部の農村地帯における薬剤の流通・使用状況とガーナ政府の薬剤政策の関係性について重点的に調査を行った。2006年7月から2007年1月にかけて行なった現地調査の結果、ガーナ南部における薬剤の流通状況は、従来、サブサハラアフリカで一般的とされている状況とは、大きく異なっていることが明らかになった。
 ガーナ南部における薬剤の流通状況は、@無認可の薬剤商人が少数であること、A病院やヘルスセンターが薬剤不足に陥らずに機能していること、Bケミカルセラーという政府公認の薬剤商人が重要な役割を担っていること、という三つの特徴を持つ。更に、ケミカルセラーとヘルスセンターにおける薬剤の流通状況を仔細に分析した結果、ケミカルセラーとヘルスセンターは、薬剤供給者として相補的な関係にあることが明らかになった。ヘルスセンターの8倍強の人に利用されているケミカルセラーは、ヘルスセンターに患者が殺到することを防ぐフィルターの役目を果たしている。また、ケミカルセラーでは、解熱剤などの対処療法に使用される薬剤が多く販売され、ヘルスセンターでは抗生物質や抗マラリア薬が多く処方されている。このような、ガーナ南部における薬剤の流通状況の背景には、無認可の薬剤商人を取り締まり、薬剤の流通体制を整備し、ケミカルセラーに便宜を図る、ガーナ政府の薬剤政策がある。
 今後の研究では、薬剤の流通状況と医療政策、医療制度、生物医学的知識の関係性を分析していくとともに、当該地域で暮らす人々の薬剤に関する知識についても更なる調査を進めていく。
深田 淳太郎(一橋大学大学院社会学研究科)
パプアニューギニア、トーライ社会における二つの貨幣の共存に関する人類学的研究

 本研究では、貝貨タブと法定通貨キナの二つの貨幣がトーライ社会においてどのように関係し、共存しているのかという問いに対し、二つの方向からアプローチをおこなった。
【アプローチ1:タブとキナの互換的使用をめぐる現在の状況と今後の動向】
 東ニューブリテン州では現在、法定通貨キナを補完する通貨として貝貨キナを使用する計画を推進している。2005年の時点で、すでに税金や学校の授業料等をタブで支払うことが可能になっている。またタブとキナの交換所も民間で設立されており、この計画は順調に進んでいるように見える。しかしその一方で、タブとキナを互換的使用はトーライの伝統に反するという批判も一部には存在し、また二つの貨幣の間の互換性が高まることで、法貨キナでの金持ちがさらに貝貨タブにおいても豊かになり、逆にキナを持たない人がタブまで失っていくという深刻な社会の二極化を生じさせる可能性も見て取れた。この計画がどのような方向に進み、社会のあり方にどのような影響を与えるのかについては、今後も注視が必要である。
【アプローチ2:交換媒体としてのタブとキナの共存の様態】
 タブとキナは様々な日常的なモノの売買の場面において同時に使用される。その中でも最も盛んに二つの貨幣を同時に用いて取引が行われるのは葬式などの儀礼の会場での露店においてである。税金の支払いなどの場面では二つの貨幣の間には交換レートが設定されているのに対して、この儀礼の会場においては、様々な商品の価格は交換レートには関係なく、不整合な価格で売買されている。やもすると、この不整合な関係は交換レートに代表される合理的・整合的な関係に徐々に取って代わられていくものと考えられがちである。しかし人々のモノの売買の実態を見ていくと必ずしもそうではなく、むしろ整合的な関係と不整合な関係が同時に存在することがトーライ社会における二つの貨幣の共存の様態の重要な特徴であるということが分かった。
増田 和也(京都大学大学院 人間・環境学研究科 博士後期課程)
森林をめぐる国家・共同体・個人の相克についての人類学的研究−―インドネシア・リアウ州の事例から−―

 本研究では、インドネシア・リアウ州のプタランガン社会を事例に、森林開発が進展する過程で生じる相克を、国家-地域社会間と住民間というふたつのレベルから検討した。
 まず、開発政策に対する地域社会の対応として、外部社会に向けた「伝統文化」の表象に注目した。1970年代のプタランガン社会では、中央政府による行政システムが整うなかで、慣習的組織は衰退化していたが、1980年代に現地知識人の働きかけで慣習組織は再興された。そして、1980年代後半からアブラヤシ・プランテーション開発が本格化する過程では、慣習組織は「伝統文化」を強調して「プタランガン社会」を表象しながら、外部社会に対しては「慣習」という点から森林への権利を主張するようになった。
 いっぽう住民の間では、1990年代に土地の商品化が進むと、開発から残された土地をめぐり、土地争いが生じるようになった。1990年代前半までのプタランガン社会では、移動型焼畑を中心とする森林の利用は慣習により規定され、複数の者が同じ場所を入れ替わるかたちで利用してきた。土地争いの事例をみると、当事者に応じて慣習はさまざまに再解釈され、ときには無効のものとされていた。そして、1990年代後半にはプランテーションに対して土地への補償を求めるデモが、慣習組織ではなく、住民によって起こされようになった。そこでは慣習的土地ではなく、個々人の土地に対する補償問題が論点となった。
 このように、慣習組織と一般住民の間では、森林や土地への権利を主張する際の立脚点が異なるとともに、慣習の位置づけも異なることがわかった。また、慣習リーダーは、外部社会と地域住民のそれぞれに対して、慣習についての異なる解釈を使い分けながら、さまざまに土地にアクセスしていた。
 なお、当初の現地調査の計画は、事情により2回に分けて実施した。

平成17年度

石垣 直(東京都立大学大学院社会科学研究科)
現代台湾社会における先住民
――ブヌン社会における〈部落地図〉作成運動に関する社会人類学的研究――

 本研究の目的は、現代台湾において〈原住民〉(先住民)を自称するオーストロネシア語族系住民(調査対象はブヌン族)のアイデンティティを検討することにある。この問題を論じるに際し調査者は、彼らが権利回復の一環として進めている地図作成に着目した。この種の地図作成は、北米先住民が1960年代から始めたもので、台湾には研究者や原住民エリートを通じて1990年代後半から紹介されたものである。調査者はすでに台湾原住民による地図作成運動の一端を報告してきた。今回の現地調査ではとくに、中央行政レベルで同調査を推進する地理学者および生態学者とローカルなレベルでの推進者、地図作成運動推進者と非参加者、ならびに各エスニック・グループ間での認識の齟齬を明らかにすべく、研究機関に籍を置く学者からローカルなレベルで地図作成を進める人々、さらには同調査研究に積極的には参加していない村落部の人々および都市原住民らに対してもインタビュー調査を行った。そこから明らかになったのは、@外来の研究者に対する現地の調査員からの不信感、A非参加者らの無関心、B「〈伝統領域〉の確定」という調査目標が各村落(或いはエスニック・グループ)間の権利主張の衝突を誘発する可能性であった。@およびAに関しては、地図や地図作成という「西洋近代」の観念や手法が導入された際の現地社会からの反発、ならびにそれが現地社会にもたらす対立関係として理解できる。他方でAは、こうした外来の観念や手法に対する需要の度合いが、現地社会においても決して一様ではないという現実を示すものだと考えられる。今後の研究ではさらに、さまざまな社会的立場に立つブヌン個々人にとって「土地」が持つ意味とは何なのか、また「土地とアイデンティティ」との関係とはいかなるものなのか、さらにはこうした土地との関係性の歴史的変遷を、世界各地の関連研究をも視野に入れて明らかにして行きたい。
市野澤 潤平(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)
タイにおける日本人観光客とホスピタリティ産業の関わりについての人類学的研究

 本研究の計画段階では、タイ観光におけるホスピタリティ事業者と日本人旅行者の行動に注目し、独特の市場環境のなかで、旅行者たちの観光活動がマスツーリズム的な定型から逸脱していく過程を描出することを目的としたが、2004年12月26日のインド洋大津波により、タイ南部の観光地にも甚大な被害が出たことを受け、特にプーケット島の観光関連産業への長期的な影響の実態を主に調査することとした。  ビーチリゾートなどの観光産業集積が大規模な災害に見舞われた場合、生活基盤の破壊と同時に経済基盤の崩壊をもたらし、また主に観光客の激減という形での間接被害が深刻となる点が浮き彫りになった。本調査を通じて、明らかになったのは以下の諸点である。@災害後の観光客の減少は避けられないが、報道や関係者の対応が不充分な点が多々あるため、事前に適切なガイドラインを設けておけば、被害を減らすことが可能であると思われる。A観光客の減少は、ホテルなどの大規模事業者ではなく、個人事業主やインフォーマルセクターなどに顕著に打撃を与えるため、これらの弱者を対象にしたセーフティネットの構築が必要。B災害の経済的悪影響は、世間からはビジネスの問題と見られるため、財政的な支援を受けにくい。プーケットを訪れた社会科学系の研究者のほとんども、この問題は素通りして壊滅した近隣の漁村などに目を向ける。自然災害は瞬発的な物理的被害というだけでなく経済的社会的な二次被害を常に伴うこと、そして二次被害に対しても適切な防止策と支援策が必要であることついて、一層の理解を求めていくことが不可欠である。
稲山 円(東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程)
イランにおける「ジェンダー」概念の再検討−男女の宗教実践を視座に

 本研究は、イランにおける男女の宗教実践のあり方や、宗教実践に関する男女の行動規範・イデオロギー・言説を探ることによって、イラン人ムスリムにとって「ジェンダー」とは何であるかを明らかにすることを目的とした。イランの首都・テヘランにおいて調査を実施し、宗教集会、礼拝、聖地参詣を中心とした女性たちの宗教実践に着目し、そこで見出される男女によって異なる一定の行動規範を観察した。そして、イスラーム法学を基盤とした一般信徒の信仰生活上の指針の書である『諸問題の解説』など、男女の宗教実践に関する規定を記したイスラーム法学の資料や、イラン国内でイラン人読者を想定して出版される、女性の性質、役割、義務、位置付けなどに関する文献を分析し、イスラームの言説のレヴェルやイランの国家イデオロギーのレヴェルにおける男女観や男女の行動規範を明らかにした。更にそれらと、現地調査で観察した男女の宗教実践に関わる行動規範との相互関係について考察した。例えば礼拝の場合、モスクで行われる集団礼拝に参加するのは圧倒的に男性が多く、女性は家で礼拝を行うことが多いことが観察された。このことは、『諸問題の解説』において女性は家で礼拝を行うことを奨励されていることに一致する。しかし女性たちにインタビューを行い、なぜモスクへ行かないのか、家の中で礼拝を行うのか聞くと、イスラーム法の規定を理由として挙げる女性はおらず、多くの女性は家事の合間にモスクへ行くことは困難である、子供を家に置いて出掛けられないと答えた。このように実際の宗教実践の多くは宗教規定に一致しているが、それは女性たちの現実的な問題に対する対応である場合が多く、必ずしも宗教規定が実際の実践を規定し、「ジェンダー」を作り上げているのではないことが明らかとなった。
今関 光雄(成城大学民俗学研究所共同研究員)
現代日本の都市におけるメディアを利用した友人関係構築の人類学的研究

 助成期間において主に以下二点の研究を行った。第一に、筆者がこれまで対象としてきたラジオリスナーの参与調査を継続した。その中心は、あるラジオ番組のリスナーが番組を利用して告知し公園などで集会を開く「集い」である。関東のラジオリスナーにとって、より長く番組が続いている「集いの本場」である東海ラジオ圏:名古屋での「集い」に参加した。以前の調査において、「名古屋では(手本とすべき、関東より)楽しい集いが行われている」という意見が聞かれたが、しかし初対面同様かつ各人の行動を強制できないという条件に伴う関東と同様の軋轢も観察された。
 第二に、ウェブで日記などを公開したり、サークル活動を展開できるソーシャル・ネットワーキング・サービス、特に「ミクシィ」である。その特徴は、まず通常のホームページやブログなどと異なり、つながりの単位が孤立した個人ではなく、複数の人間関係であることである。つまり、インディビジュアルではなく、ソーシャルをつないでゆく。また、自分のページを訪れた人が記録される「足あと」機能である。結果として、たとえ仮名であっても同定はされるという関係、いわば<特定/匿名性>が生じる。これはインターネットの否定的側面として語られがちな匿名性によるモラルの低下あるいは急速に仲がよくなったり悪くなったりする関係の極端さを回避していると考えられる。
 <特定/匿名性>に注目すると「ミクシィ」と「集い」の共通点がみえる。友人関係を距離を詰めることに例えれば、距離を詰めていいものか判断する時空間を確保することが肝要である。<特定/匿名性>は繋がりを保ちながらも距離を制御しやすくする。それは新たに人びとを受け入れてゆく都市の作法にも敷衍できるものであろう。今後もそういった機会を確保するようなメディアの利用に注目して研究を進めていく。
鈴木 勝己(千葉大学大学院社会文化科学研究科)
ラオス人民民主共和国サワンナケート県村落社会における心身症についての医療人類学的考察

研究では、ラオス村落社会における人々の病気の知識に関する聴き取り調査を行い、病気の社会文化的背景を明らかにした。調査対象村落は、ラオス国内での偏差を明らかにしていくため、南部サワンナケート県村落に加えて北部ポンサリー県村落も調査対象に加えている。そのため本年度の調査活動は、北部少数民族であるシナ=チベット語族ロロ族村落が中心となった。調査村落バーンサワンは、中国国境に程近い山間に位置し、世帯数は約35世帯、住人は約230人ほどである。ロロ族は父系制クランに基づく族内婚が基本であるが、バーンサワンでは他民族への婚出入があるためホー族などとの混血が進んでいる。一般に山岳少数民族は、低地平野部への移住に伴い、ラオス全土における宿命的な3大疾患(マラリア、急性呼吸器疾患、下痢症)に罹患するようになったが、健康希求行動の6割以上が土着の宗教観に根ざした自己治療であった。ロロ族の宗教は、祖霊信仰およびアニミズムであり、邪霊への畏怖や祖先霊に対する強い敬意が病気治療と深くかかわっているのである。同時にバーンサワンの人々は、中国商人との接触によって近代医療に関する情報を持ち、十分な医薬品があれば病気を治せるとも考えている。したがってバーンサワンの人々の病識は、従来からの祖霊信仰や薬草を利用した伝統的医療と絶えず流入してくる近代医療の相克の中に置かれた社会的苦悩を意味していた。医療資源の乏しいバーンサワンでは、重篤な病気の存在そのものが心理的な不安要素であった。3大疾患は、単に身体生理学的な身体の不調を意味するだけではなく、村落の社会構造の変化や住人の心理的側面を考慮しなければならない社会文化的な心身症、すなわちソシオソマティクスという病態であることが理解された。今後は南部サワンナケート村落社会における事例との比較分析を進めていく予定である。
CHU XUAN GIAO (チュ・スワン・ザオ)(東京外国語大学大学院地域文化研究科・博士後期課程)
民間信仰と近代 - 九州の一地方の事例から -

本研究は、日本の民間信仰を地域固有の不変の文化あるいは基層文化の表象として捉える先行研究の視点を批判的に再検討し、民間信仰が、様々な外部のシステム−特に近代的な宗教編制−の侵入、あるいはそれとの接触、交渉のなかで不断に変化を被り、構築されてきたものであることを、長期のフィールド調査による具体的な事例研究を通して示すことを目的とする。これまで1年7ヵ月にわたり、九州福岡の近郊村での現地調査を行ってきたが、今回の調査では、前回の調査でまだ充分に明らかにすることができなかった、近代以降に成立した外部社会の制度や装置がいかに「民間信仰」を規定してきたかという部分について、第1には、国家神道と地方の民間信仰との関わり−具体的には「稲荷信仰」の成立過程−、第2には、メディア、−特に地方新聞−という2つの点に絞って考察する。
福岡県糸島郡二丈町及び関係のところでの7週間程度の補足調査を行った。特に、稲荷信仰と共同体に関して、信者の自宅や各地区の公民館で保存されている主に近世期文書の収集(デジタルカメラにより撮影・記録)と解読、分析。およびそれに関連して、現地の人々の認識についてインタビュー調査も行い、史料にかかれていることと、人々の解釈との間の異同も明らかにする。また、地方紙『糸島新聞』(1917年創刊)の調査。新聞記事の中の民間信仰(暦、年中行事、伝説、青年団などの団体と年中行事、戦争期とその関係の信仰など)について、集中的に資料を収集し、当時の宗教政策の実態や、メディア及びそれを担う地域のエリート層の当時の信仰への見方、また地域の人々のそのような外部社会の認識・介入に対しての反応を明らかにする。
豊平 豪(大阪大学大学院人間科学研究科人間科学専攻)
政治的領域の生成:フィジーの民主主義と首長制

 本研究はフィジー諸島共和国を事例に、選挙制度そのものの特異性を首長制との関連のなかで改めて検討するものだった。
 選挙制度は、投票権を与えることで従来のアクセス権がなかった人々へ「国民」としての政治的行為への参加可能性を与える。フィジー諸島共和国においては、独立以降も、政治の中核を東部地域の「伝統」的首長が担う植民地期からの権力構造に変化はないとされてきた。しかし、選挙制度の導入により、インド系フィジー人や西部・内陸部の先住フィジー人らが政治的行為への参加可能性を手に入れたことの意味は大きい。参加可能性の拡大は現地における首長制の在り方にどのような影響を与えてきたのだろうか。
 当初の計画では、議会資料の分析と独立後政治家となった首長たちへのインタビューを中心に、歴史人類学的な視点からこの問題に取り組む予定であったが、資料上の限界に加えて、首長たちへの接触が想定以上に困難だったこともあり、考察の中心を2006年5月に実施予定の総選挙に関する諸実践へと移し、主にタイレブ地方キウヴァ村落を中心にして調査に着手した。キウヴァ村落に注目した理由としては、第一に現首相ライセニア・ガラセの「統一フィジー党(SDL)」の政策に対して、軍隊を背景に異議を唱えている国防軍司令官フランク・バイニマラマの出身村落である点であると同時に、現副大統領であるマンドライウィウィの出身地域であるという点である。彼らの動きは、現在、国政の重要な争点になっており、2006年度実施予定の総選挙の結果を左右する重要な要素と考えられる。調査のなかで見えてきたのは、総選挙に関する実践のなかで首長制概念が再定義されていく過程である。引き続き、キウヴァ村落での現地調査を通じて2006年度の総選挙の考察を行うことで、国政レベルに留まっていた選挙制度の研究を村落レベルの研究と結びつけ、議会制民主主義に関する研究に新たな視点を提供できるのではないかと思われる。
内藤 順子(九州大学大学院人間環境学府博士課程)
貧困空間を生きる身体に関する文化人類学的研究
――貧困概念の問い直しから概念の自明性を生み出す身体の解明にむけて

 本助成をうけて2005年7月28日より90日間にわたりチリ・サンチャゴ市ペニャロレン区のスラム地区における現地調査を行った。
 その際に、様ざまな指数や属性などに着目する従来の貧困概念は一時棚上げにし、貧困者の身体とその環境の総和をとらえていくことを試みた。外部者の視点から本質化され、自明化されてきた貧困(概念)を問い直すためである。もう一つ重要なことは、貧困者たちを日々自己の環境世界に関わって生きる身体として見ること、そしてその関わりを身体化(embody)していく身体としてみることである。
 貧困を問い直すもう一つのアプローチとして、貧困空間の外部に生きる者(行政の担当者やソーシャルワーカー等)が貧困に関わるプロセスと、そこで生み出されていく貧困概念を明らかにすることがあげられるが、それを通してあらわになる、「貧困空間を見る」者と「貧困空間を生きる」者との間の貧困空間の身体化や現れ方の違いこそが、貧困(概念)をとらえ直す作業の鍵となった。
 具体的には、@調査スラム地区において、これまでの調査で不十分であったデータを補った。貧困者の日常生活パターン・サイクルの参与観察と、彼らが思い描く貧困像や貧困克服にかんするイメージなどの聞き取り事例収集。また同区行政担当者およびソーシャルワーカーの聞き取りから、政府の貧困克服計画や障害者対策などについて、外部者=社会的強者の側の貧困概念の諸相を表すデータを収集した。Aこれらのデータについて、すでに交流のあるチリの社会学者・人類学者とともに分析、検討し、「社会的弱者」である貧困者側と、社会的強者である政府、行政、開発者側それぞれの論理を明らかにした。B調査終了後06年4月を目処に、収集した全資料をもとに、貧困空間の内的構成の分析をすすめ、「貧困空間の人類学」の構想の明確化、専門知の自明性生成についての考察を行った。その成果を学会誌論文に発表する。また、博士論文の一部としてまとめる。
中村 香子(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
東アフリカの牧畜民サンブルの年齢体系の変容に関する人類学的研究:
未婚の若者のあいだにみられる恋愛の「個人化」や結婚の「個人化」現象の分析から

 東アフリカの牧畜社会には社会の統合原理として広く年齢体系が存在するが、サンブルはそのなかでも比較的つよくこの体系を維持している社会のひとつである。本研究では、従来の研究では社会の周縁に位置づけられてきた青年を中心に据え、彼らの恋愛と結婚の「個人化」という事態を焦点化することによって、年齢体系の変容の動態を新たな視座から明らかにすることを試みた。
 サンブルの男性は、割礼と結婚によって「少年(生後〜割礼)」「モラン(戦士)(割礼〜結婚)」「長老(結婚〜)」という三つの年齢階梯に分けられる。年齢組の更新は約15年に一度行われ、このときに集団で割礼を受けた少年たちが新しい年齢組を組織してモラン階梯を形成し、それまでモランだったものはその前後数年のうち結婚する。このタイミングや儀礼的な手続きはすべて長老によって決定される。しかし近年では、出稼ぎや家畜の売買で得た現金によって婚資を調達したモランが個人的に結婚するなど、年齢体系の規制を遵守しないものが増えている。同時に、かつては未婚期の男女のほとんどすべてが社会的に公認された恋人関係を結んでおり、それを通してモランを中心とする若者たちの結束も強化されていたが、現在の未婚期の男女はそれを放棄して個人的な恋愛をしている。本研究ではこうした傾向を、過去約60年間にわたる4つの年齢組の男性350人に関する個人データ(割礼の時期/結婚の時期/公認の恋人関係の有無)を整理・分析することにより実証的に明らかにした。
 現地では、年齢組の更新にともなう少年たちの通過儀礼に参加するとともに、モラン階梯にいたものたちの結婚の状況も調査した。また、集団からの逸脱や規範の不履行といった現象に対する人々の評価や、そうした決断に至る意思決定のプロセスに関する事例を収集した。これらの言説や事例を、上記の変容傾向に関する分析結果と照合することによって、恋愛と結婚の「個人化」という現象について、人々がどのような解釈を下しているのかを分析した。
西垣 有(大阪大学大学院人間科学研究科人類学研究室)
ポスト社会主義圏における「都市」の生成:モンゴル・ウランバートル市のゲル地区から

 本研究の目的は、モンゴル国の首都・ウランバートル市の周縁部に散在する「ゲル地区」(ゲルは移動式天幕)を事例として、そこに生活する住民の生活と、行政、都市計画など「上からの視点」の介入との絡み合いに焦点を当て、都市がいかに秩序化され、生きられる場所として成立しているかを明らかにすることにある。
 ポスト社会主義圏に属するモンゴル国では、現在IMFや世銀の指導の下、国有財産の民営化が進行している。2003年には土地の私有化が開始され、最初にその対象とされたのが、首都ウランバートル市の「ゲル地区」であった。ゲル地区は90年以降急増しているウランバートル市への移住者の受け皿となっており、その人口は流動的である。ゲル地区における土地の私有化は首都への人口流入を維持したまま、住民の流動性に歯止めをかけようとするものであり、そこでは都市化・定住化の流れは不可避的なものとして前提とされている。しかし、他方でゲル地区は、都市計画研究所による2020年までの長期計画においてクリアランスの対象とされている。ゲル地区は一方で都市を支える基盤として管理の対象とされ、他方で都市を脅かす「汚れ」として排除の対象とされている。
 以上のような「上」からの介入は都市移住者の都市への住みつきの条件に変化を与えている一方、逆に「ゲル地区」自体が、都市化されるべき場所として「上」からの実践を組織する条件ともなっている。このような事態を踏まえ、本研究ではゲル地区でのフィールド調査(特に都市移住後の移動の経路や土地所有の申請状況に関する聞き取り)と、都市計画研究所での継続的な聞き取り調査を並行して実施することによって、都市化におけるこの両視点の立ち上がり方、共通の前提、および両者の相互関係を明かにし、生きられる場所と管理の対象としての空間の分化のメカニズムの解明をこころみた。
藤澤 冬詩(大阪大学大学院人間科学研究科)
グローバル・エコノミー下における「ラオス文化」の動態
――少数民族の織物生産にみる「国民文化」からの多方向的な差異化――

 本研究では、1986年の自由主義経済導入以後、大きな社会変化を経験しているラオスにおいて、市場経済導入を契機とする社会/文化的動態をミクロなレベルから明らかにすることを目的としている。具体的には、手織物産業への参与を契機として人々が市場経済システムにいかに対応・適応しているのかに焦点をあてた。多くの発展途上国では、「伝統工芸」が市場経済に編入される過程で、製品の構成や様式が業者やNGO、観光客らの嗜好・要求により変化していくとともに様々な技術革新が生じていることが報告されている。ラオスにおいても、「伝統工芸」の商品化や技術革新は多くの地域や分野で生じている。また国内に大きな産業のないラオスにとって「伝統工芸」製品は、常に海外へ「ラオス」をアピールする際の重要なファクターとなっている。「国民文化」として選択される要素には、国内のマジョリティ・ラオ族のものだけでなく、少数民族の「手工芸」も含まれる。そのため、「伝統工芸」のひとつである手織物業を調査対象とすることで、ラオスの「国民文化」形成過程をも視野に入れた研究を行えると考えた。
 調査地・サバナケット県Z村では、98年からラオス人実業家が織り子を組織し、日本人による染織指導および販路開拓のサポートを受け、主に日本に輸出を行っている。また、それに刺激されるかのように、村内の手織り布生産・販売が活発になり、上記の実業家とは別に織り子を組織して販売を行う者、織りの下請けに従事する者、個人で少量の布を売る者と、村人は「資金のある」度合いに応じてそれぞれ機織りを行っている。そこでは、他人の技法を真似る、縁者をキーとして販売ルートを開くなど、様々な戦術がとられている。すなわち上記の実業家のようにグローバルエコノミーに裏打ちされた技術・生産、・販売という展開の一方で、地域の内部ではより個々の環境に対応した錯綜した戦術が実践されていることを明らかにできた。

平成16年度

市川 哲(立教大学大学院文学研究科地理学専攻博士課程後期)
トランスナショナルな企業活動に伴う華人アイデンティティの再構築
―パプアニューギニアにおけるマレーシア系林業企業の華人従業員の日常的実践を事例として―

 本研究は華人のトランスナショナルな活動が、逆説的に各国の華人のローカルなアイデンティティを強化するという現象を、現地調査に基づく視点から動態的に把握することを目的としている。そのための事例として、本研究はパプアニューギニアに移住し、活動するマレーシア系林業企業の華人従業員に注目した。パプアニューギニアには植民地時代から華人社会が存在していたが、現在ではそれ以外にも東・東南アジア諸国から「華人ニューカマー」が移住して来ている。マレーシア華人はその大多数を占める。マレーシア系の林業企業の多くは、乱伐によるマレーシア国内の環境問題の発生等の理由により、1980年代以降、森林資源も豊富なパプアニューギニアで操業を行うようになった。これに伴い、従業員の大部分を占めるマレーシア華人がパプアニューギニアに到来してコミュニティーを形成するようになった。これらのマレーシア華人は植民地期から居住する「華人オールドカマー」との絶えざる相互交渉下に置かれている。このような状況は、グローバルな華人アイデンティティを発露させると同時に、マレーシア出身華人としてのローカルなアイデンティティを再構築させる契機にもなっている。本研究助成に基づく現地調査では、こうしたトランスナショナルな企業活動がもたらしたパプアニューギニアにおけるマレーシア華人のアイデンティティの再構築の過程を、華人の具体的な事業実践に注目した。当初はパプアニューギニアとマレーシアの両地域で現地調査を行う予定であったが、実際の調査はマレーシアのサラワク州でのみ行った。サラワク州には多くの華人系林業企業が本拠地を置いており、パプアニューギニアに華人送り出し、同時に帰国した華人が居住する地域である。そのため当該地域におけるパプアニューギニアからの帰国華人のコミュニティ活動やネットワークの諸相を対象とし、トランスナショナルな企業活動が華人個々人のローカルなアイデンティティに与える影響についての現地調査を行った。
川口 幸大(東北大学大学院文学研究科博士課程後期)
現代中国における伝統文化の再評価と共産党政府の文化政策についての研究
−珠●移住伝説をめぐる広東省南雄県の観光地化を題材に−

 本研究は、広東人の間で語られる「珠●巷移住伝説」を題材にした観光地化プロジェクトに注目し、現代中国において伝統文化がいかなる意味づけにおいて復興しているのかを考察しようとするものである。
 目下、南雄珠●巷には、歴史博物館のほか、30あまりの宗族の祠堂が建てられている。各祠堂は、南雄にルーツを持つことを主張する広東省内の宗族や、香港・マカオあるいは海外の華人からの寄付によって完成したものである。祠堂内には、各宗族の歴史や、著名な成員のプロフィールが展示されており、また、新に編纂された族譜が販売されている。珠●巷は、週末や休暇期間ともなれば、広東省内外からの多くの訪問者を引きつけ、「尋根」すなわち「自らのルーツを尋ねる」ことをテーマとした、一大観光地としてのにぎわいを見せている。
 一方、各村落レベルの宗族にとっても、自らの履歴を珠●巷と接合させることは、1980年代からさかんになり始めた宗族復興のための重要な作業のひとつとなっている。珠●巷ルーツを主張できることは、彼らが中原に祖を持つ正統な漢人の子孫であることを立証するばかりでなく、祖先を同じくする広東一円の他の宗族とのネットワークが構築できることをも意味するからである。
 その一事例として、広州市番禺区D村の陳氏は、村レベルでの宗族復興を果たしたあと、珠●巷における陳氏大宗祠の建設にさいして寄付を行い、さらに広東始祖を同じくする各地の宗族とともに上位宗族レベルの族譜を編纂した。毎年9月の重陽節には、広州、番禺、東莞、順徳など他地域の陳氏とともに、始祖の墓前において祖先祭祀を行うようになった。
 このように、移住伝説は、観光地としての珠●巷、そこに訪れる人々、そして各村落の宗族にとり、正統な「歴史」としての重要な意味をもっている。中華人民共和国の建国のあと断絶させざるを得なかった過去との紐帯は、今日の中国における様々なレベルで再構築されようとしているのである。その背景には、これらいわゆる「伝統文化」を再評価しようという共産党政府の政策があるのは間違いないが、より重要なことは、あまねくすべての伝統が正統と見なされて復興を奨励されているわけではないということである。その観点からみれば、珠●巷移住伝説は、観光地としての当地の開発に寄与し、さらに宗族的な紐帯は、道徳教育的な価値、ひいては漢民族の本質性に訴えたナショナリズム高揚の手段としての価値を有している。今後はこの点について、「歴史資本」という枠組みを導入し、分析を進めてゆこうと考えている。
※ ●はインターネットで表示出来ません。悪しからずご了承ください。
竹村 嘉晃(大阪大学大学院人間科学研究科)
身体文化の多元的解釈とアイデンティティ掲載―南インド・ケーララ州のテイヤム儀礼をめぐって錯綜する主体と言説に関する研究

 本研究の目的は、南インド・ケーララ州のテイヤムを事例に、地方の伝統的な身体文化が本来のローカルな儀礼的文脈から逸脱した複数の場所に再生産されている現代的事象を照射し、それらを受容・消費する人々の様々な価値観と担い手たちの社会との繋がり方を考察することにあった。
 多様なメディア媒体によって情報が氾濫する現代社会では、「民族的なるもの」が日常の生活世界でも際限なく再生産されている。今日、テイヤムは新聞や雑誌等の文字媒体に限らず、映画やテレビドラマ、観光案内のパンフレットや商品の宣伝広告、政治集会の看板やウェブサイトの他、ホテルのショーや国内外の文化イベント或いは中東の移民社会等に顕現している。本研究では、それらの表象を享受する人々の消費動向や言説の分析を通じて、テイヤムを取り巻く複数の主体とそれに伴う「解釈共同体」の実像を明らかにした。また上位カーストとの衝突や融和、報酬や権利をめぐる集団間の軋轢や仲違いを繰り返しながら、イメージが流用され続ける現況と折り合う担い手たちの姿が浮き彫りになった。
 本研究の活動内容は、2004年3〜4月に予備調査を実施し、その成果を同年6月の第4回舞踊学会定例研究会にて報告した。また、多元化したテイヤムの表象について文献・映像資料を収集する傍ら、大阪と東京のインド舞踊教室を訪問し、身体文化の脱領域的な受容に関する聞き取り調査を行った。同年12月には、国立民族学博物館共同研究『音楽と身体に関する民族美学的研究』にて、マルチメディア時代における身体文化の表象と著作権をめぐる研究発表を行った。さらに2005年2〜3月には、インド・ケーララ州カンヌ−ル県を中心に現地調査を実施し、共産党員や右派団体、州政府行政官や観光業者、儀礼の担い手や参列者への聞き取り調査を行った。なお、本研究の成果の一部は、2005年5月末の民族藝術学会全国大会にて発表する予定である。
田中 大介(東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻文化人類学分野博士課程)
現代日本における死の変容に関する研究:葬儀産業からみる「死ぬこと」の実践

 本研究は葬儀産業、即ち葬儀社とその周辺業種の活動に注目して、現代日本における死への観念と実践がいかなる社会的条件のもとに設定されているかという点を把握しようとするものであり、また高度産業化と高齢化が進行する社会において、「死への対処」がいかに浸潤していくかという問題を探究することを目的としたものである。この目的に沿って、本研究ではまず東京都にある葬儀社に従業員としてフルタイムで勤務しつつ調査を行うというフィールドワークを行い、葬儀産業内部の業務内容の把握につとめた。また、このフィールドワークの間隙を縫って新潟県及び大阪府に所在を置く複数の葬儀社及び互助会に対する出張調査を実施し、村落部及び東京地区以外の大都市における葬儀実践の比較情報を捕捉することを試みた。これらの調査の結果として、現代日本においては葬儀という機会における「わたしらしさ=わたしらしい葬儀」の強い表現、そしてそれを可能にする新しいサービスの開発という2つの要素が、産業システムのなかで強化されているという様相が観察された。また、現代においては葬儀が商品・サービスとして捉えられつつあり、その枠組みのなかで消費者でもある「わたし」という存在を葬儀において表現したいという欲求が社会のなかで増大しつつあることが、本研究により明らかにされた点として述べられる。
 尚、新潟県における調査日数は当初予定より減ずることとなったが、これは2004年10月23日及びそれ以降に発生した新潟県中越地震が調査地に与えた影響に配慮し、新潟県での調査予定日数を大阪府における調査に振り替えたことによるものである。
永井 泉(九州大学大学院比較社会文化学府博士後期課程)
旧社会主義国における民族文化の変容 ―モンゴル国カザフ社会を事例として―

 当初、長期間の現地調査を行なう予定であったが、平成16年4月より非常勤講師として勤務することになったため計画を変更し、秋季に現地での文献収集と調査をおこない、それ以外の期間は日本において理論的研究をおこなった。
 本研究は、モンゴル国に居住するカザフ人を対象として、旧社会主義国家における民族文化の形成過程と、人々が如何にして民族文化を認識、流用しているかを調査する。モンゴルや中央アジア諸国等の旧社会主義国では、社会主義思想の衰退後、その空隙を埋めるために宗教や、民族的主張が台頭してきている。時として民族間関係の緊張が高まることもあり、社会主義時代とは異なった文脈において、民族文化が重要視され、影響力を持ち始めている。秋季調査では文献収集の他に、鷹匠の祭を中心として調査し、その場においてカザフ人の民族文化や、彼らの民族文化に対する意識が如何に表現されているかを観察した。鷹匠の祭は近年に始められた祭典で、カザフ民族の象徴とも言うべき犬鷲を使用して狩を行なう鷹匠達の祭である。2000年度に開催されて以来、参加者の数は鷹匠、観光客ともに、徐々に増えてきている。また、現地には鷹匠協会も設立され、鷲の保護活動や鷹匠の生活支援を行なっている。このように鷹匠という民族文化の保存に対する関心は高まりつつある。また、旅行会社と提携し、この祭典を観光資源として利用し、外国人観光客を誘致するということも行なっている。その他に、道路の名前にカザフ人の名前を新たにつけたり、カザフ人の著名人の石碑を立てるといった行動も観察された。本研究を通して、カザフ人達が民族文化に対して、社会主義時代とは異なる認識を持ち、社会体制移行期の困難な時期に、民族文化を積極的に活用している状況をみることができた。
丹羽 典生(東京都立大学大学院社会科学研究科)
フィジー諸島共和国における開発主義と生活改善運動――協同組合集団の社会人類学的研究

 本研究はフィジー諸島共和国における協同組合を自発的開発運動のあり方として記述・考察することを目的としている。今回は特に、かつてフィジー人にとっての開発モデル村落とされた協同組合運動の存在しているタイレヴ地方のダク村落の調査を敢行した。
 ダク村落における経済開発の実験は、その伝統的指導者ラトゥ・エモシ・サウララと切り離すことができない。1907年生まれの彼は、1920年代にダヴイレヴの学校にて、宗教や建造技術、帳簿作成などについての初歩的な知識を得たという。その後、フィジー各地での経験から、フィジー人の村落が近代技術と貨幣経済に慣れることの必要性を痛感した。
 以上の経験を背景に、彼は出身村落ダクにて先進的な開発運動を推進する。1937年1月12日に開始されたダク運動は、1)村落内の埋め立てと家屋の配置整備、2)ヤシ・プランテーションの開墾、3)薪の販売、4)製パン所の経営、5)船の製造などを中心としていた。それ以外にも、村落民自らの手で教会、学校の他、2つの衛星村落が作り出されるなど画期的な成果を生みだした。1950年代半ばには近代的なフィジー人指導者の存在する村落としてフィジーでは注目の的であった。事業のいくつかは協同組合活動として政府の部門に引き継がれている。
 ただし、彼の開発運動に問題がなかったわけではない。指導者たる彼自身、健康上の問題を抱えていた。また、1947年には、エモシの命令に従わなかったダク村落内のカソリックを追放した。1967年にも、ダクの運動に非協力的な家族の家屋を焼却している。本調査では、こうしたダク運動に関する口頭伝承を住み込み調査に基づいて採集すると同時に、ダク村落に関連する資料を古文書館にて収集したうえで、その活動展開と現状の一側面を解明した。
深山 直子(東京都立大学大学院社会科学研究科社会人類学専攻)
ニュージーランド大都市圏におけるマオリ部族法人の誕生と先住性の主張

 本研究の計画段階では、調査対象として西オークランドを拠点とする都市マオリ法人テ・ファーナウ・オ・ワイパレイラを挙げていたが、研究者がニュージーランド滞在中に当組織の元CEOであるマオリ国会議員の金銭的スキャンダルによって、接近することが困難となった。そのため、調査対象を多少変更し、伝統的な祭祀・集会所マラエの管理・運営を軸に、法人化あるいは組織化を果たしている都市マオリ集団を事例に、「都市の先住性」を分析することとした。
 マラエは以前、マオリ社会を構成する伝統的部族集団各々が、物理的・精神的中核として管理・運営する公共空間としてあり続けてきた。しかし1950年代以降の急激な都市化のなかで、都市に移入したマオリは、出身部族集団への帰還が困難な環境のなか、伝統的なマラエとの紐帯を弱めることとなった。そして近年では、従来の部族集団とは異なった原理で新たに結集された都市マオリ集団が、新たなマラエの建設、管理・運営、そこでの多様な活動を軸に展開している。本研究では、このような集団4つを事例に具体的な実態調査を進めた。そしてそれらが、出身部族集団の部族性あるいは汎マオリ性・脱部族性のどちらかを強調することによって、都市マオリ・アイデンティティを形成し、「都市の先住性」主張の根拠としている事実を明らかにした。さらに各集団の組織化過程では、当該地域のタンガタ・フェヌア(「土地の人」)との関係性と、マラエの土地と建築物に対する所有権の所在が、常に考慮されるべき問題として認識されていることがわかった。
森田 敦郎(東京大学大学院総合文化研究科)
タイにおける農業機械産業発展の人類学的研究―技能形成・技術開発の社会的プロセスと地域社会・生態系の相互作用―

 これまでの人類学においては、工業化のような「近代的な」現象は、調査対象となるローカルな社会に対して「外から」影響を与える抽象的なプロセスとして取り扱われてきた。本研究では、東北タイ最大の都市コラートの地場工業である農業機械産業を事例に、こうした通説に反論し、地域社会と工業および技術をともにローカルなプロセスとして描き出すことを試みた。
 本研究では、工業現場における労働の実践とそこで用いられる知識や技能が形成される学習の過程に焦点を当てた。タイの地場工業では、土着的に発展した徒弟制度が見られ、労働者の多くは現場労働への参加を通して技能を身につける。こうした労働者のほとんどは最終的に起業独立することを目指しており、その中には結婚を機に東北タイの妻方居住の慣行に従って農村に移住して工場を開設するものが多く見られる。ここでは、技能形成の過程を媒介として、伝統的な慣習やライフコースのパターンが、現場の労働組織、労働現場の生産過程を構成する原料や道具類、歴史的に形成された独特の工場間分業と結びつけられているのを見ることができる。
 さらに農業機械自体が農民と工場の共同作業の産物である。タイの農業機械は、輸入品を基にしながら農民からの要求に応じた改良を通して独自の発展を遂げてきた。ここでは圃場での試運転などでの工場と農民の交渉を通して、農民が持つ農業に関する知識が工場側に伝えられ、技術的解決策へと翻訳されている。
 このようにタイの地場機械工業は、労働者集団と徒弟制度、機械や原料となる鋼材といった人工物、工場間の分業システム、妻方居住制度、の民、試運転で機械に影響を与える圃場の環境といった極めて多様な要素が結びつけられた一種のネットワークとして理解することができる。このようなネットワークは、新たな人類学のフロンティアとなりうるのではないだろうか。
山崎 剛(南山大学大学院)
各宗主国における熱帯医学の形成と植民地医療実践に関する比較考察
−アジア・太平洋地域を対象とした20世紀医療・衛生史の試み−

 今日、国際保健というかたちで国家を超えて展開される医療協力は、人類学が主に対象とするような周辺地域では、特によく目にするものとなっている。では、こうしたグローバルな医療のネットワークは、どのような歴史的背景を持っており、どのような過程を経て成立したのだろうか。本研究は、こうした問題を20世紀半ばのWHOの創設以前にまで遡り、西欧の植民地拡張とともに発達した熱帯医学の誕生時期である19世紀末から始め、20世紀を通じて進展した医療の世界拡張と組織化の過程を、人類学と歴史学の方法を利用して考察を試みたものである。
 具体的な考察の対象は、当初の研究計画では、日本の旧植民地を対象とした医療政策に関する考察を予定していたが、資料上の限界もあり、関連分野の研究者の方々からアドバイスを頂き、20世紀前半の時期にアジアの各地でおこなわれた極東熱帯医学会を考察の対象とすることにした。この熱帯医学の国際学会は、第一回目が1910年にマニラで開催され、その後、香港、サイゴン、バタビア、シンガポール、東京、カルカッタ、バンコク、南京、ハノイの順で1938年まで続いた。この学会を考察することの意味は、まず第一に戦間期アジアの国際秩序の問題を医学という独自の観点から考察するということにあるが、加えて各植民地の宗主国であったアメリカ、イギリス、フランス、オランダ、日本といった国々がもつネットワークと利害関係という領域を見ていく上でも非常に重要な考察対象であると言える。これまで資料の整理をおこなうことで見えてきたのは、インドやオーストラリアその他の植民地で、重要な医療上の政策に関わった医師たちが、この学会で互いに顔を合わせていたということである。ひき続き収集した資料の整理とその考察をおこなうことで、これまで地域ごとに試みられてきた研究成果を結び合わせる新たな視点が提供できるのではないかと考えている。

平成15年度

岩谷 彩子(京都大学人文科学研究所)
南インドの商業流浪民ヴァギリにみられる夢の語りと主体生成

 本研究は、南インドのヴァギリという人々の夢の語りを通して、彼らを取り巻く社会環境の変化と主体の生成について明らかにしようとするものである。彼らはこれまで、狩猟採集と行商を営みながら移動生活を常としてきた。それが1970年代以降、定住化によって他集団との接触と特定圏内の自集団への依存が強まり、新たな人間関係の軋轢に直面している。また1990年代以降、グローバルな市場経済への参入により、ヴァギリ社会内で経済格差が生じている。そのような社会環境の変化を受け、彼らの夢に現れるリネージ神表象と神の同定の形式にも変化がみられる。
 従来ヴァギリの夢に現れる様々な主体は、想起され他者に語られる過程で換喩的に結合し、リネージ神儀礼を促してきた。そこでは、人、神、動物、リネージやカーストの差異が前提となりつつも、認識の次元で相互に乗り入れが生じていた(「私」の夢に現れた神は、文脈によっては「あなた」のリネージの神でもありうる)。そして神に呼びかけられる主体である「私」も、他者と区別される存在として特化することはなかった。今日でもなお多くのヴァギリにとって、夢はそれを語るという行為も含め、何らかの行為実践を構成することで成立するものである。夢に現れる主体やそれを語る主体の一貫性は問題にされていない。
 ところが近年彼らの夢には、特定の形をとった地域のヒンドゥー神やキリスト教の神が現れ始めている。新しい神の夢を頻繁に見るヴァギリは、従来ヴァギリ社会に存在しなかった職能的宗教者としての主体、あるいは神と排他的に関係を結ぶ主体を獲得しつつある。彼らの語りでは「語るに値する夢」が区別され、夢における集団間の差異は流動性を減じ、語り手は前後する時間概念の中に位置づけられていた。複数の主体の結合を日常的にもたらしていた夢の語りは限定され、他から差異づけられた主体が新たな信仰実践を呼び込むことになったのである。
国弘 暁子(お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程)
トランスジェンダー研究―インド・グラジャートのヒジュラに関する身体からの考察―

 本件級は、インド・グラジャート州村落において、ヒジュラと生活を共にした参与観察を実施し、ヒジュラのジェンダーに関する議論を再考するものである。19世紀以降、ヒジュラは主として性に係わる観点から、両性具有者、去勢男性集団、制度化された同性愛者などと総括的に表象され、我々とは異なる逸脱した存在として主題化される傾向にあった。1980年代に入り、その流れに反したアメリカの人類学者セルナ=ナンダは、ヒジュラ自身の視座をも含む研究に取り組み、ジェンダー役割という観点から、ボンベイのスラム街に住むヒジュラに深くコミットした長期調査を行った。ナンダは「男でもなく女でもない」ヒジュラを、西洋文化圏では見られないもう一つのジェンダー役割とし、その存在が西洋におけるジェンダー二分法の普遍性を否定するものであると主張した。その後に、ヒジュラをもう一つのジェンダーとする見方に反する意見も登場し、独立したというよりはむしろ二分されたジェンダー枠組みの内側に存在すると指摘する。確かに、本調査により明白となった擬似的親族関係により構成される集団内部や、身近な他者と結ばれる擬似的兄弟関係等において、ヒジュラは男でもあり女でもあり、二つのジェンダーにより構成される枠組み内部を行き来していることがわかる。しかし、ヒジュラと遠い他者とが出会う宗教の場に着目すると、ヒジュラを二分化のジェンダー枠組のみで捕らえることが難しくなる。つまり、女神の信徒とされるヒジュラが、宗教的実践により聖と俗の境界域と切り結ばれる時、ヒジュラは「男でもなく女でもない」両義的な存在として、人々を二分化するジェンダーの次元を超越したところに生きられているのである。ヒジュラの身体が組み込まれる宗教の場や、去勢や異性装により所与のジェンダー役割を捨ててこの世に自らを再投錨するヒジュラの内面に係わる分析をさらに押し進めて投稿論文にて発表する。
小池 郁子(京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程)
アメリカ合衆国フロリダ州マイアミにおけるアフリカ由来の宗教、サンテリア―人種・信仰を横断する文化実践の文化人類学的研究―

 本研究の目的は、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミにおいて人種(民族)や信仰を問わず広く実践されているアフリカ由来の宗教、サンテリア(オリチャ、オチャ、パロマヨンベを含む)を文化人類学的調査にもとづいて分析することで、民族、階級、信仰、文化が錯綜する場・空間としてのサンテリア文化のダイナミズムを捉えなおし、民族や信仰を横断する宗教文化の性質とその可能性および限界をオリシャ崇拝との比較的視点から考究することであった。サンテリアは大西洋奴隷貿易によって西アフリカから移動を迫られた奴隷の宗教文化が、新世界での宗教弾圧や迫害のもとでカトリックと融合して誕生したと一般的には理解されている。米国には主にキューバ革命前後のキューバ移民によってもたらされた。
 サンテリアはアフリカ系アメリカ人(アメリカ黒人)によって1950年代後半から米国で実践されてきた、ヨルバの伝統復興を唱えかつ排他的な社会宗教運動であるオリシャ崇拝の成立過程に大きく影響を与えた。しかしながらサンテリアの実践者の社会背景をみると以下にあげるように、マイアミ社会の多様で複雑な社会環境と同様に非常に多様性に富んでいる。マイアミのサンテリア実践者には「1)社会階層:下層階級の新参移民から高等教育を受けた中流上層階級まで、2)民族:キューバ人(ヨーロッパ系、アジア系、アフリカ系キューバ人)、ハイチ人、プエルト・リコ人、アフリカ系アメリカ人、その他ラテンアメリカ諸国出身者、3)思想:移民の出身地域の文化維持、米国社会への対抗、米国・アフリカ関係の構築、アフリカ帰還、4)信仰:カトリック、オリシャ崇拝、イスラム教」が含まれる。ただし、マイアミでの調査からはサンテリア実践者同士の交流はゴッド・ファミリー(宗教上の家族)内では盛んであるが、ゴッド・ファミリーを超えた交流はボタニカ(宗教儀礼用具店)でのィファ託宣や供犠用の動物売買、イニシエーションを受けるための司祭紹介などの情報交換に限られる。また各々のゴッドファミリーはサンテリア実践者の出身地域と民族背景によって細かくわかれており互いに独立して活動をおこなっている。さらにサンテリアでもちいる祈祷、儀礼の用語やそれが示す概念ならびに儀礼の過程もゴッド・ファミリーによって大きく異なることが明らかになった。
 なお本研究の成果の一部は、"Orisa Worship in Florida: "Anti-White/Christian" Ideology and Relationships with "Africa" in the Yoruba American Socio-Religious Movement."としてAfrica in Florida (edited by Robin Poynor. Gainesville: University Press of Florida.[編集中])に所収される。 
佐藤 まゆら(東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻文化人類学)
現代カトリック社会マルタにおけるジェンダー問題に関する文化人類学的研究

 本研究は当初、敬虔なカトリック社会として知られる地中海の極小島嶼国家マルタにおける女性と宗教の関係性を明らかにすることを目的として始められた。現地調査前の文献研究の段階ではマルタにおいても他のヨーロッパ・キリスト教社会同様、女性の方が男性と比較すると宗教心が強く実践にも熱心だという情報を得ていたのだが、2003年5月から2004年2月末まで約10ヶ月間にわたって行った現地調査から得た全体的印象は先行研究にある統計やインタビュー結果とはやや異なるものであった。まず宗教への関心が低い男性に質問すると女性の方が熱心だと答える者もいるのだが、それ以外、すなわちインタビュー対象となった大半の人々からは一概には言えないとの答えが返ってきた。実際に主な調査拠点となったThe Millennium Chapelや若者が主体である一般信徒組織The Youth Fellowshipにおける人々の活動状況を参与観察してみると、これまで言われてきたほど顕著な男女差は見受けられなかった。むしろ目立ったのは夫婦、あるいは未婚の場合カップルでこうした活動に参加する人々の姿であった。これには「家族」を神聖視するカトリック教会の伝統的教義の影響もあるだろうが、特に若いカップルが毎週土曜の夜共に着飾って礼拝に参加し、その後ディスコやバーに繰り出す姿からは、伝統と現代的感性を柔軟に組み合わせる新しい信徒像が浮かび上がってきた。今後はヨーロッパ連合加盟などでこれからも大きな社会変化が予測されるマルタにおいて、特に世代間の差異に注目しながら新しい宗教の「かたち」が形成されていくプロセスについて研究を進めていきたい。
田沼 幸子(大阪大学大学院人間科学研究科博士課程後期)
20世紀におけるキューバ人と外国人の結婚の系譜学―セクシュアリティと国民の境界に関する研究

 調査をするうちに、外国人と結婚したキューバ人の事例だけを取り上げるよりも、ある家族の通史のなかで、どのようにそういった例が捉えられてきたかをあげたほうが、その具体的な像がつかみやすいことが分った。このため、2家族を中心として、その各々の成員が、どのような経緯でどういった相手とどのように交際し、結婚したり離婚したりしているかを聞き取り調査した。その結果、先行研究では、19世紀(植民地期)/20世紀前半(共和期・米国の実質的な保護領時代)/20世紀後半(革命期)という時代区分や、支配者階級/サバルタン、白人/混血/黒人という枠組みで分割されて研究されてきた対象事例が、実はそれほど明確に区別できるものではないことが明らかになった。こうした対立するかに見える時代区分や社会的地位の異なる人々が、「家族」という装置を通じてゆるやかなつながりを保つことによって、「キューバ国民」の境界そのものも揺らいでしまう。このジレンマを抱えたまま、1959年の革命以来、「革命」的で「国際主義的」な「国民国家」を建設するという二律背反的な試みがなされてきた。他の社会主義諸国でも、家族の機能を解体する試みが行われてきたが、国の再生産に必要なため、挫折してきた。しかもその新しい「家族」を形成するきっかけとなる「セクシュアリティ」は、革命の理念によれば、「自由」でなければいけない。とはいえ、革命政府の望む統御の範囲を超える「自由」を許すことはできないため、次第に政府は生活のあらゆる側面において監視と統制を強めていった。その最たるものが、革命に従事する国民の流出を促す「外国人との結婚」であった。人々が、革命による変化の恩恵を享受しつつ、統制に抵抗する様々なやり方を報告することによって、「革命」「解放」「抑圧」の様々な解釈を明らかにしていきたい。
松尾 瑞穂(総合研究大学院大学)
公衆衛生の普及とローカルな実践知の変容―天然痘の女神Sitala信仰を中心に―

 本研究の目的は、インドにおける植民地期以降に導入された公衆衛生の展開に伴なう人々の疾病観や身体観の変容について、特に身体への働きかけのひとつとしての女神信仰に焦点をあてて両者の相互関係から考察することにあった。近代的医療空間においては、合理性、科学性という名のもとに、地域で共有され実践されてきたローカルノレッジは、必然的に排除される傾向にある。例えば、天然痘に代表される疱瘡系の疾病は、女神(devi)の憑依によるものと信じられ、患者の身体は浄性を帯びたものとして、puja(儀礼)やお祈りの対象となる。その反面、月経中、妊娠中の女性などはケガレのために、患者に近寄ってはならない、とされている。また、女神が憑依することで、患者の身体は「熱く」なるため、それを「冷やす」ために、NeemやTulsiなどの植物の葉を床に敷く、額にあてる等の治療が実施されることになる。天然痘は1978年にWHO(世界保健機構)により全世界からの撲滅が宣言されて以来、当然のことながらインドにおいても完全撲滅されているが、水疱瘡、麻疹といった類似の疾病が、天然痘と同一視されて残っている。
 助成金受給年度に行った研究活動は、以下の通りである。文献資料の収集のため、2003年4月−5月にイギリス・ロンドンに滞在し、大英図書館及びWelcome Trust Libraryにおいて特に天然痘の予防接種及び対処方法が植民地期のインドにもたらされる過程に関して、行政資料・医学雑誌を中心に収集を行った。さらに、2003年8月より3月末まで(現在も継続中)、インド西部マハーラシュトラ州プネー県の農村部(マラティー語圏)において長期の現地調査を実施した。特にそこでは、農村の全戸調査およびPHC(Primary Health Center)、保健省など関連機関への聞き取り調査・参与観察を行った。また、プネー市内の病院においても同様の調査を実施した。2003年11月末には、ゴア州で開催された第5回「全マハーラシュトラ・オリエンタル学会」において、'Immunization of Smallpox in British India: A Historical Perspective'というトピックで研究発表を行った。今後、研究の成果は学会および論文として順次発表される予定である。
丸山 淳子(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科5年一貫性博士課程)
「平等主義」の再検討―再定住地におけるサンのマイクロ・ポリティクスと経済活動の分析をとおして―

 カラハリ地域で狩猟採集生活を営んできたサンは、近年、ボツワナ政府による再定住(resettlement)政策によって、従来とは異なる生態・社会的環境での生活を余儀なくされている。本研究は、これまでサンの生活や文化を支えてきた「平等主義」が、再定住を契機とした社会関係の再編成の過程において、いかに維持、あるいは変化しているのかについて動的に把握することを目的とする。現地調査は2003年10月より翌年3月まで、ボツワナ共和国最大の再定住地、コエンシャケネで実施した。サンの「平等原理」、とくに「生産の協働と平等な分配」と「政治権力の欠如」の変容に着目し、再定住地の具体的な経済・政治的な活動の両側面について調査を行った。
 その結果、政府主導の開発計画により経済活動が多様化し、家畜、耕地、就業機会などへのアクセスに偏りが生じ始めていることや、平等分配が同じ出身地の者どうしなど比較的閉じた範囲内で行われがちになり、サンのあいだで持つ者と持たざる者の格差があらわになりつつあることが明らかになった。またサンどうしでも、かつて近隣のバントゥ系農牧民との間で築かれた「パトロンークライアント」関係を模した物資の交換形態が観察された。一方、再定住地の社会的軋轢の解消や意思決定には、遊動生活時代のようにおしゃべりや頻繁な転居だけでなく、農牧民社会に由来する村落議会や裁判などが重要な役割を持つようになり、再定住地の政治的指導者の選出に際しては、農牧民の有力者との系譜関係などを重視するようになってきていることがわかった。
 こうしたことから、再定住地においては、それまで比較的均質な生活をおくってきたサンの人々のあいだで経済的・政治的な差異化が進行していること、また数世代にわたるサンと近隣農牧民との相互作用の歴史が、新たな意味を持ち始めていることが指摘できる。今後は、こうした視点から、サン社会の「平等主義」について再検討をすすめ、博士論文の一部としてまとめる予定である。
森田 良成(大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程)
大阪駅周辺で生活するホームレスの日常的実践

 本研究では、大阪駅周辺におけるホームレスの生活の実践について、彼らの具体的なモノのやりとりに焦点を当てて分析を行う。
 ホームレスは社会批判・政治批判の文脈で記述されることが多い。そこでは、社会の恩恵へのフリー・ライダーとしてのイメージを払拭するために、彼らの姿は哀れな犠牲者として、あるいは働くことにあくまでこだわりを持ち続ける労働者として描かれる。
 ここでは、ホームレスの内面に踏み込み、彼らにかえって高い道徳的価値を見出そうとするいわば良心的な記述とは異なり、彼らがやりとりする具体的な金銭や物品といったモノにまず注目する。彼らは生活に必要なモノの多くを、都市が生み出す廃棄物から得る。彼らと社会とを贈与の関係でとらえるならば、贈与されるホームレスは、より多くを返報するどころか単なるお返しもできかねる、一方的に獲得するだけの人々なのである。本研究では、このような一方的な獲得によっていかなる関係が構築されていくのかを検討した。
 聞き取り調査は、大阪駅周辺で行った。また、収容施設の建設や生活保護適用の拡充などの施策の結果、「自律を重んじる日雇労働者の町」から「生活を国に依存する生活保護者の町」へと変わったとされる横浜市・寿町においても聞き取りを行った。
 モノのやりとりを中心に彼らのライフストーリーを分析することによって、彼ら自身の過去と現在という意味も含め、ホームレスと非ホームレスとの間に厳然と存在するかに見える境界をたやすく横断する交換の行為と関係を記述することが可能となった。
藤原 久仁子(日本学術振興会)
マリア崇敬運動の展開に関する宗教人類学的研究―マルタとイタリアとの比較研究―

 世界各地の「宗教復興」現象を比較検討するための分析概念として、これまでに「ファンダメンタリズム」という用語の有効性を問う研究が進められてきた。ただし、キリスト教世界の事例では専らプロテスタントの動向が「ファンダメンタリズム」の枠組みにおいて中心的に議論され、カトリック社会を対象にした研究はほとんど行われてこなかった。「ファンダメンタリズム」が聖典に根拠のある教えを厳格に守る「非寛容的」立場として想定されるために、キリスト教の文脈においては、同時に反カトリシズム的傾向を持つものとして暗に設定されてきたことに因ると思われる。そのため、例えば1970年代以降の南ヨーロッパ・カトリック社会における、「マリア出現」や「マリア像の奇跡」等の報告例の増加やそれに伴う巡礼地の形成、マリア祝祭の活性化等の特徴は、「マリア崇敬心の隆盛」という、「ファンダメンタリズム」とは別個の宗教社会的事象として捉えられてきた。
 しかし、マリア崇敬者は他のカトリックの人々によって「カトリック・ファンダメンタリスト」と評される場合があること、人々が用いる「ファンダメンタリズム/ファンダメンタリスト」という用語にはその他にも多様な含意があること、かつ時と場合に応じた使い分けが見られることが本課題研究により明らかにされた。分析概念と現地概念としての「ファンダメンタリズム」の差異を明らかにすることは、「ファンダメンタリズム」論の再検討と分析枠組みの再構築への道を開く一助になると考える。
古川 優貴(一橋大学大学院社会学研究科博士課程)
障害・障害者認識の相互作用をめぐる人類学的考察―ケニア西部ナンディ社会の人々の語りを中心に―

 本研究では、ケニア西部ナンディ地区の寄宿制プライマリ聾学校、K聾学校を調査地とし、2003年8月から2004年2月にかけて調査を行った。
 当学校では、全教職員が手話を中心としたコミュニケーションで生徒と意思疎通をはかることができ、年少の学級では、手話が母語として教育されている。また、敷地内に定住する、一部の教職員の家族も、多かれ少なかれ、手話を用いて、生徒とコミュニケーションをとることが可能である。そのため、「耳が聞こえないから、何かができない」という発想は、教職員やその家族にも、また生徒自身にも、ほとんど見て取ることができなかった。調査の初期段階からこのことが明らかとなったため、その後は、別の視点で参与観察及び聞き取り調査を行うことにした。特に注目したのは、出身地の違いをめぐる、大人と子供の語りの相違についてである。
 当学校は、教職員約30名のうち、ルヤ人1名、キシイ人1名を除いて、全てがナンディ人であり、また、学校側によると、90名近くの生徒のうち、約2割の生徒が、遠方出身の非ナンディ人である。教職員の間では「ナンディ人であるか否か」「何がナンディ文化であるか」といった語りが頻繁に、しばしば強調されて展開されるのに対し、生徒など敷地内に住む子供の間では、そういった話題はほとんど見られないことがわかった。
 今後は、地域のプライマリ学校に通う生徒と、周囲の大人の間でも、こうした語りの相違が出てくるかどうかについても視野に入れつつ、引き続き当聾学校で、学校教育のどの時点で地域ごとの「文化」や「民族」の違いが教育されるか、また生徒の家庭ではそういった話題が出るのかどうかに注目する。その上で、聾学校の子供たちが何を話題にどう語るかを綿密に調査することにより、聾学校に住む子供(生徒ならびに教職員の子供)にとっての社会のあり方を明らかにしたい。

平成14年度

飯高 伸五(東京都立大学大学院 社会科学研究科社会人類学専攻博士課程1年)
パラオ共和国における国家形成と人口移動―海洋小島嶼国家の政治経済過程と地域的適応戦略に関する社会人類学的研究―

 ミクロネシアのパラオ共和国は1994年に独立したばかりの海洋小島嶼国家である。本研究では、アメリカとの自由連合協定下でレント型収入に依存する国民経済のなかで、パラオの地域社会で人々が繰り広げる社会文化的適応のあり方を検討した。調査を行ったオギワル州のA村落では、行政サービスを求めた首都コロールへの転居、さらにはグアム、ハワイ、アメリカ本土への海外移民が認められる。そればかりか、従来コロールで家政婦やサービス業に就くことが多かった東南アジア系の外国人労働者が、農作業に従事し、居住している。A村落を離れた海外移民は、シュウカンと呼ばれる親族間の贈答慣行や葬儀の際には、送金を行ったり時には帰郷して参加したりすることもある。しかし海外移民による定期的な送金はほとんど認められなかった。一方で、建設中のコンパクト・ロードによる道路網の整備、2004年に予定されているマルキヨクへの首都移転計画に伴い、コロールの生活で要求される土地のリース料を負担に思うA村落出身者の中には、母村に戻ろうと計画する者もいた。同時に、地域社会の伝統を再構築しようとする国家主導の文化政策では、パラオ歴史家協会(Palau Historian Society)によるオーラル・ヒストリーの収集やパラオ歴史保存計画(Palau Historic Preservation Program)による史跡の指定が行われている。こうした動きと連動しながら、A村落では、アメリカでの就学・就労を経て村落に戻った還流移民の教員を中心として、独自の史跡保存活動やシュウカンの再検討が行われている。グローバル化による人口流出に直面しながらもパラオの地域社会は、海外移民との関係保持、道路建設と首都移転を契機としたコロール居住者の帰郷計画、還流移民による伝統の再構築などを通じて、グローバル化に抗する反システム運動が展開されているといえよう。
植村 清加(成城大学大学院 文学研究科 博士課程後期 単位取得退学)
フランスの「郊外」におけるマグレブ系移民第二世代の多民族的な共同性と日常的実践

 2002年9月末より、フランス・パリ市およびパリ市郊外にて約6ヶ月間、主にマグレブ系の世代の異なる人々にライフヒストリーに関する聞き取りと、彼らの日常的実践およびそれを支える関係性に関する現地調査を実施した。また、1970年代以降の郊外問題や移民第二世代問題に関するメディア・文献資料、それらの問題対策として出てきた郊外の街および住民の「再構築化」に関するメディア・文献資料の収集、パリ市郊外における市レベルの都市政策・住民政策に関する資料の収集、関連施設における聞き取り調査、施設を利用しているマグレブ系の移民の子供たちの日常的・多民族的相互関係に関する参与観察を実施した。
 現地調査から、第一に、1970年代以降のフランスにおける移民政策は、移民やマグレブといったエスニックな同質性を解体し、彼らを「市民社会」に「統合」し、「混成社会」を構築しようという都市・住民政策でもあり、とりわけ同質的共同体を解体するように意図的に住民を「混合」させる生活空間の再編成の試みは、彼らの日常生活に重大な影響を与えていること、第二に、ライフヒストリーの聞き取り調査から、人々がそのような変化を、苦痛を伴う「デラシネ」的経験として想起しながらも、これら「新しい」空間を「私たちの暮らしの場所」として捉えなおし、「近代的」な新しい居住施設に慣れていくと同時に、多民族的な住民関係・友人関係のなかで日常的な<つながり>を再構築し、それらの変化に対応してきたことが明らかになった。またそのような対応が、移民や郊外住民の統合に関する支配的な言説によって指示される個人化=市民化にかならずしもつながらずに、市レベルの都市住民施策が作り出した空間をも活用しながら、日常的な生活空間における身近な人々との関係のなかで、差異のある多民族的な<つながり>がつくられていることもみえてきた。具体的な内容に関する研究成果は、論文として発表する。
大庭 竜太(京都大学大学院 アジア・アフリカ地域研究研究科東南アジア地域研究専攻)
クルド・ナショナリズムへの視座の構築に向けて―ヌルジュ運動における民族性とイスラームの現況から―

 本研究では、現代トルコにおけるクルド・ナショナリズムについて、既存の国民国家体制からの分離/自治の要求を導く世俗主義的な民族主義思想として理解する立場から脱却し、その思想形成に対するイスラームの影響を再評価することを試みた。具体的には、クルド人思想家サイード・ヌルスィー(Said Nursi, 1876-1960)のナショナリズム論と、彼の思想を信仰の指針としている現代のクルド系ヌルジュ運動に注目した。  ヌルスィーのナショナリズム論は、そのクルアーン注釈書『リサーレイ・ヌル』Risale-i Nurにおいて展開されている。彼は、イスラームと調和的な関係において形成されるナショナリズムの属性を説き、多元的共生社会としてのウンマ(イスラーム共同体)と、これと不可分なクルド人社会の再興に努めた。クルド系ヌルジュ運動においては、このようなヌルスィーの思想が特に強調されることによって、ヌルジュ運動の他グループでは見られないイスラーム理解(『リサーレイ・ヌル』解釈)が提示されている。そして、クルド人の固有な民族性を、排他的なトルコ・ナショナリズム、あるいはイスラームの普遍主義の下に、埋没・矮小化させる試みに対抗する思想が形成されている。
 文献・資料の分析と現地調査の成果として、以上におけるヌルスィーおよびクルド系ヌルジュ運動の思想が確認された。研究の次のステップとしては、現状のクルド人問題を解決するための具体的な構想が、クルド系ヌルジュ運動の担い手たちにおいて、どのように描かれているのかということを明らかにしたい。このことを今後の課題として挙げて、研究の区切りとしたい。
岡本 雅博(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程(アジア・アフリカ地域研究専攻))
ザンベジ川氾濫原におけるロジ王国の政治機構と民族間関係の動態に関する生態史的研究

 中南部アフリカを流れるザンベジ川の上流域には、約8000平方キロメートルの面積をもつザンベジ川氾濫原が形成され、その周囲にはカラハリサンドに覆われた疎開林帯がひろがっている。このような生態環境の特性を背景として、氾濫原を中心にロジ王国が成立し、疎開林帯を居住域とする複数の民族集団を包含する他民族社会が形成された。氾濫原ではロジによる農牧漁を基軸とした複合的な生業形態が発達し、周辺の疎開林帯においては耐乾性が高いキャッサバを栽培する焼畑農耕が展開している。
 本研究では、ザンベジ川氾濫原が位置するザンビア西部洲モング県を拠点として、氾濫原と疎開林帯における村落形成、氾濫原の漁撈活動、氾濫原と疎開林帯のあいだの公益や牛の委託、旧王制の政治機構の維持などに関して、約三ヶ月間の現地調査を実施した。その結果、1)疎開林帯では、1950年代より西隣のアンゴラを出自とする民族集団の村落が数多く形成され、2)アンゴラ系住民の増加をひとつの契機として、氾濫原の路地から疎開林帯居住者への牛の委託放牧が普及し、3)また、近年にはザンビア政府によってインフラ整備が拡充されたことにともない、氾濫原の漁獲と疎開林のキャッサバを中心とする物々交換が活発化していることなどが明らかになった。
 かつてのロジ王国の領域に相当するザンビア西部地域の人びとは、19世紀末から現在にかけて、英国による保護領化、ザンビアの独立、アンゴラ内紛にともなう他民族の流入など大きな社会変化を経験してきた。その過程において、氾濫原と疎開林帯という異なる生態環境における民族集団の棲みわけが進展し、住民間の相互依存的な関係が再構築されてきたとみることができる。またその背景には、国家の制度と並存しながら、土地制度や慣習法といった旧王国の諸制度が現在でも維持されていることがあると考えられる。
織田 竜也(慶應義塾大学大学院 社会学研究科社会学専攻(文化人類学)博士課程単位取得退学
「交換と境界」に関する文化人類学的研究−スペインカタルーニャにおける「地域通貨」の活動を中心に−

 近年世界中で増加する「地域通貨」とは、現金とは異なる計量システムを使用した、交換のネットワークである。本研究で調査したスペイン・カタルーニャ自治州では、約50の団体が活動を行っている。最も古くから活動を続ける「ラ・トロッカ」のメンバーとのインタビューから、自らの活動を「対抗資本主義」の一環として位置づける発言が聞かれた。「資本主義」に対抗する活動とは、具体的にどのような思考の過程を経て想像されるのだろうか。彼らが活動するバルセロナ近郊の街の共同性を核として、カタルーニャというまとまりからスペイン国家への対抗意識、さらにはEUへの参加意識などが混交する中で、グローバリズムへの反発感情が生成する。だが日常生活の次元では、仕事への不満や市場経済への不自由が発見され、こうした個別の問題が「資本主義」という曖昧な対象への攻撃性を創造すると分析される。また彼らの意識では交換の活性化を志向しつつも、製品の生産地域へのこだわりが存在する。しかしながら同時に、現金収入の増加を誰もが希求しているのは明らかであり、彼らが想像する「境界」は観念の次元で止揚してしまう。観念的な「境界」を強化する「地域通貨」活動が、「資本主義」への対抗意識から生まれてくることは理論的には矛盾しない。だがその実践は「資本主義」が包摂する欲望を取り込むことが難しく、擬似的な資本主義として機能することによって、活動が縮小していく結果を生んでしまう。本研究ではこうしたジレンマを認識の次元でモデル化し、「地域通貨」活動が「資本主義」とセットで生まれてくる様子を分析した。したがって今後「地域通貨」活動を活性化するためには従来の地域的境界から自由になることが必要であり、「資本主義」との関係では、対抗意識よりもむしろ、接合可能性を模索する態度が不可欠であると結論される。
倉田 誠(神戸大学大学院総合人間科学研究科人間文化科学専攻 博士課程後期)
多元的医療社会における疾病経験の構築―太平洋島嶼地域における医療システムの変動に関する人類学的研究―

 本研究は、一般に近代医療や代替医療として区分けされることが多い多元的な医療が存在する社会において、実際に「病む」人々がどのようにそれら医療と係わり合い、個々の「病む」という経験を形づくっていくのかを、マクロな医療政策の歴史的動向を踏まえて人類学的支店から考察することをいとしたものである。このような目的のもと、2002年4月7日から2003年3月15日までのおよそ11ヶ月間に渡って、南太平洋のサモアで長期実地調査がなされた。本調査は、サモアの村落部における医療実践の参与観察を主軸とし、そのデータを補完するために行われた近隣の医療機関や中核病院での聞き取りや保健省・図書館での資料収集によって構成されている。
 調査の課程では、従来指摘されてきた「近代医療の疾病には近代医療、伝統医療の病気には伝統医療」といった結果論な対応関係を、「病む」という経験が形成されてゆくプロセスを溯って再検討することに重点をおいた。結果、病院などでの医療実践と「病む」人々が日常的に関わる医療実践においては症状・症候や出来事を「病い」として組み立てる際の原理に包摂不可能な差異があること、また世界規模の思潮を反映した医療政策の転換は後者を排除・包摂することを意図しながらもむしろその差異を人々に明示する傾向があることなどが明らかになった。また、様々なエージェントを通して「病い」経験を再構築する方法(憑霊など)は、医療政策の側から全く疎外されているにも関わらず「病む」人々の側から「病い」を理解する方法として存続し、「病む」という経験の根源にある「世界の自然さ」と「人間の主体性」との危機的な係り合いを問うための重要な課題として浮かび上がってきた。
新吉楽図 シンジルト(一橋大学大学院社会学研究科地域社会研究博士後期課程)
チベット地域におけるマイノリティとしてのモンゴル族の民族意識の動態―中国・青海省・河南蒙古族自治県における日常実践、言語復活、土地紛争―

 当初提出した研究計画は、博士論文の研究を補完する目的で計画したものであったが、博士論文の提出が平成14年3月末となり、本助成金は博士論文研究をさらに発展させるための研究調査に使用された。助成期間の前半においては理論研究、後半においては現地調査を含む地域研究に専念してきた。
 理論研究においては、主に人類学的方法論で行ってきた中国国内民族研究の状況を4段階に分けて考察を試みた。@清末から共和国設立までの民族政策における民族や中華民族の変遷過程を概観しつつ、民族学研究において「族団」を初めとする民族理論の形成過程とその特色を分析する。A共和国以降、民族の法制化過程において最重要な一環である民族識別事業とそれに纏わる民族理論の展開に言及しつつ、「中華民族多元一体論」を必要とした社会時代背景に触れた上、当理論自体の特色とそれがもたらした学問的社会的な反響を検討した。B民族の名を破棄しながら民族を問おうとする民族をめぐる新たな動向である「族群」理論の生成過程とその性格を考察した。C「旧来」の民族理論と「新興」の族群論との整合関係を研究史的な角度とその研究者がおかれる政治的状況の2つの側面から明らかにした。
 地域研究としては、平成14年末から平成15年始にかけて青海省などの地域で以下の2点を中心に現地調査を行った。@河南蒙古族自治県においてはインタービュー調査を通じて、モンゴル語教育運動と牧地紛争などの事象を中心に新たな情報を収集した。Aその他の地方自治体や研究機関(大学や古文書館)においては自治県周辺地域の歴史、社会、文化、民俗に関する文献資料や研究情報を入手した。
 上記の理論研究と地域研究で得られた新たな見解とデータを基づき、修正と加筆をしながら博士論文の出版に向かって研究作業を進めており、尚出版社は風響社で出版時期は平成15年7月の予定である。
田中 正隆(一橋大学大学院社会学研究科博士課程)
民営メディアおよび文化振興機関をとおした近代的国家政策と地域主義の葛藤・変動状況―西アフリカ・ベナン共和国南西部および隣接地域の事例研究から―

 ベナン共和国は1960年の植民地体制からの独立以降、マルクス-レーニズム体制による近代国家統一を企図してきたが、90年代以降、民主化路線へと転じた。政治システムが国民議会主導の複数政党制へ移行し、アフリカの民主化プロセスのモデルとなってきた。こうした政治的変遷に加えて注目されるのは、奴隷交易の拠点という歴史性とカリブ海地域で再編された伝統宗教ヴォドゥンの中心地であるという文化表象をめぐる動きである。本研究では、現代西アフリカ社会において胎動する民主化政策として、伝統文化振興政策をとりあげ、近年活発化しつつある民営メディアと地域アソシエーション組織の活動から、相互に自国の文化的表象をめぐって、いかなる状況にあるのかを、現地調査をもととした実証的研究をおこなった。上半期では、現地調査に先立つ理論研究の整理と、現地との交信などによる調査準備を行った。以前の研究成果の分析をもとに、日本アフリカ学会第39回学術大会にて「神とものをめぐる祭祀複合の一形態-ベナン共和国アジャ社会におけるヴォドゥン祭祀の今日的実践」という主題で報告を行った。現地調査の遂行にあたっては、ベナン国立大学人文科学学科、アボメ歴史民俗資料館など現地研究機関をとおして地域情報資料の収集・分析を行った。また都市部において、ガルフFM、ラジオ・ベナン、テレビ・ベナン(ORTB)などの現地放送媒体諸機関、非政府系新聞社に接触、調査、資料収集を行った。帰国後、資料の分析を進める中で、民主化以降、軍や諜報機関などによる強制的な支持層の強化が困難になった現在、政治機関においても、また宗教集団においても、言説や記念行為のもつ「文化」性にかける比重を増大してゆく状況が浮かび上がってきた。下半期の活動では、こうした調査結果をまとめ、一橋論叢、リトルワールド研究報告、民族学研究などの機関紙に順次成果を投稿、公表してきている。
馬場 淳(東京都立大学大学院 社会科学研究科 社会人類学専攻博士過程
 「家族計画」における男性の避妊実施と生殖観―パプアニューギニア、マヌスにおける性と生殖の社会人類学的研究

 本調査研究はパプアニューギニア・マヌス州マヌス島の北岸中央部一帯に居住するクルティ語圏の諸村にて行われた(2002年8月〜2003年1月)。助成金受領者は国家主導で推進される家族計画に対する男性の意識や態度を通じて、社会変化の中にある生殖観や避妊実践の現状や問題点を考察した。男性の生殖観において最も重要な位置を占めるのは、子供の価値である。現地の家族生活において子供は労働力、土地所有、学業の修了に伴う出稼ぎと送金、老後の世話など社会経済的に価値づけられている。この点は現地の貨幣経済化や人の移動に伴う現代の社会経済変化を反映しており、男女間の一致した見解でもある。しかし、問題は子供の価値によって正当化されるのが男性の家族計画への非協力的態度のみであり、家族計画が産む身体をもつ「女の仕事」であり続ける点である。男性の語りのなかでは、子供のもつ社会経済上の効用が可視的である一方で、女性が一身に引き受ける妊娠・出産という身体レベルの問題はほとんど触れられない。伝統的な拡大家族的居住形態の変容・崩壊に伴い夫婦間コミュニケーションは親密かつ増大したかに思えるが、性交時における避妊や家族計画はほとんど話題にあがらないようである。出産や育児をはじめ家庭内の仕事は女性の領域とする伝統的な態度は依然として強いものの、むしろ着目すべきは子供の社会経済的価値を前面に押し出すことにより、避妊や家族計画を女性の担当領域に押し留めたまま、男性の性行動は社会的再生産として自明視され、避妊を軽視する結果を生んでいる点である。こうして、本調査では社会経済変化に伴う子供の経済的価値を強調する語りが身体レベルの問題を回避・隠蔽しつつ、家族計画に対する性のダブルスタンダードを維持し、助長していることを明らかにした。
福浦 一男(京都大学大学院 文学研究科社会学専修博士後期課程)
チェンマイの守護精霊崇拝の現在(Tutelary Spirit Worship Today in Chiang Mai)

「ラック・ムアン」派の霊媒集団---北タイ・チェンマイの精霊憑依
 北タイのチェンマイには、チェディ・ルアン寺で行われるインタキン祭の儀礼復古への霊媒による関わりの記憶を保持し、インタキン祭に関わる一連の精霊憑依儀礼を実践している霊媒集団がある。
 「インタキン」とはヒンドゥー教のインドラ神の柱という意味であり、「ラック・ムアン」、すなわち当該都市全体の象徴としての柱と同義である。神話は、その柱への崇拝が危機に瀕したチェンマイを救出した経緯を物語っている。現在では上座部仏教が支配的なインタキン祭の主な行事は「柱」のために花盆の中に花を捧げ入れることである。
 今もインタキンと精霊憑依とのつながりを強調する「ラック・ムアン」派の霊媒集団は、独自の諸儀礼において花盆と花を同様に用いる。また、おおよそ12月から7月末の入安居までの間、霊媒たちによって行われる「師の霊への崇拝」儀礼によって、それらの儀礼によって創造される儀礼的な価値は、チェンマイ及びその近郊の広い範囲へと展開されてゆくことになる。「師の霊への崇拝」儀礼では、100人以上の霊媒たちがトランスに入り主催霊媒の師の霊へとダンスを捧げる。
 「ラック・ムアン」派の霊媒集団は、グローバリライゼーションの中でローカルな力を維持するための戦略を有している、と理解することが可能である。  概して、現代世界にあって周縁化された社会の中で、ローカル性によるローカルな決定のための社会的な装置として、ローカルな儀礼は再発見され実践されることが可能である。そのプロセスの中で再発見されたローカル性を馴致することも同様に可能であり、かくして社会は再組織化され、ローカル性として普遍性を帯びるに至る。このように、北タイの「ラック・ムアン」派の霊媒集団の宗教的実践は、民衆文化の活発な現状を如実に示すものである。
藤掛 洋子(お茶の水女子大学大学院 人間文化研究科人間発達科学専攻博士後期課程
農村女性の主体構築に関する考察―パラグアイ共和国S村の住民女が実施した生活改善プロジェクトの事例より―

 開発人類学では、開発を善か悪かという二元論の図式として捉えない新たな議論がなされている。また、開発の場で生起する事象について、「場の一部」を取り出して論じることに検討がなされている。
 報告者は、開発対象地域の人々は多様な人間関係の網の目の中でジェンダーに影響を受けながら生活をしているが、「外部からの開発」を自己の文脈に取り込み、異化させる過程でジェンダーにより公徳された主体を脱(/再)構築しているのではないかという仮説を立て、パラグアイ共和国S村の住民女性の生活改善プロジェクトの事例を考察した。現地調査は1994年より2002年まで断続的に3年3ヶ月間実施した。2002年度はプロジェクトの実施過程において導き出された女性たちの「性と生殖に関する意識や行動の変化」を詳細に分析するとともに、対象地域におけるジェンダー構造の変革の萌芽を示した。また、筆者は国際協力事業団短期技術協力専門家としてパラグアイ厚生省に派遣された経験があり、S村というミクロなレベルと政策策定・実施機関というマクロなレベルでの双方との関わりを通じ、これまで充分に論じられ得てこなっかた同国の保健政策と農村女性との関係と課題を提示した。
 本研究では、性と生殖に関する社会の言説に対するS村の女性たちの「対抗言説」と「対抗空間」の生成を明らかにすることを通し、女性たちの性と生殖に関する意識や行動は、これまで論じられてきた文化相対主義や普遍的人権主義の議論には当てはまらないことを指摘した。また、地域や国家、国際社会で論じられる近代の権利言説としてのリプロダクティブ・ヘルス/ライツの議論とも齟齬があることをしめした。
 ジェンダー支店に立った開発人類学の視座を開発協力に取り入れることは、「場の一部」を切り取ることなく対象地域で生起する事象をジェンダー視点に立ち分析・考察することを可能とし、二元論の図式ではない新たな開発協力のあり方を提示することになると考える。
松川 恭子(大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程)
現代インド・ゴアの言語を介した集団間境界維持と集団を越えた「ゴア文化」に関する研究

 本研究の目的は、インドのゴア州における様々な社会・言語的諸集団が諸言語を通じて集団間の境界・差異を維持、表現している一方で、各集団の相違を超えた「ゴア文化」が、地域語であるコンクーニー語(Konkani)言語ナショナリズムを通じて語られる様相を民族誌的に記述することであった。
 この調査を行う歴史的背景として以下のことが挙げられる。1510年〜1961年の「解放」に至るまでポルトガル植民地であったゴアでは、ポルトガル語が植民地政府公用語であり、高言語の地位を有していた。ポルトガル語は、特にクリスチャン(カトリック)の高カーストと結びつき、中には家庭内でポルトガル語を用いる人々もいた(る)。その一方で、ヒンドゥー教徒の間では、隣接地域マハーラーシュトラの言葉、マラーティ語が宗教儀礼や文学作品に用いられる高言語として認識されていた。コーンクニー語は常に「話し言葉」と考えられ、クリスチャン、ヒンドゥー教徒を問わず、高カーストが召使いとの会話を行うという意味での「キッチン・ランゲージ」という呼び名さえある。  本研究調査では、ゴアにおけるクリスチャン/ヒンドゥー教徒、高/低カースト、地主(バトカール)/小作人(ムンドカール)といった属性を持つ人々がコーンクニー語、ポルトガル語、マラーティ語、英語等を使用する状況について調査を行った。クリスチャンに関しては、教会の儀礼や個人的な集まりでの言語使用状況を参与観察した。ヒンドゥー教徒に関しては、ヒンドゥー寺院での祭礼や日常生活における言語使用状況を参与観察した。同時に、宗教的差異のみならず、カーストの違い、経済的地位(地主であるか小作人であるか)により、言語使用状況に差異があるかにも注意を払った。
 村落レベルでの、言語による集団間境界維持の観察に加え、集団を越えた「ゴア文化」をコーンクニー語の地位向上を通して表現しようとする動きを明らかにするために、1985〜87年に州公用語化運動を担ったコーンクニー文学者グループの主要メンバーに当時の活動についてインタビューを行った。また、現在コーンクニー語の普及活動・研究活動を担っているコーンクニー言語協会、政府の機関であるゴア・コーンクニー・アカデミー、イエズス会経営のトマス・スティーブンス・コンクーニー・ケンドラ(センター)の活動について調査を行った。更に、コーンクニー語運動の象徴として語られる、コーンクニー文学の先駆者、シェノイ・ゴエンバブに関する調査、彼の作品収集を行った。