松村圭一郎(著)『所有と分配の人類学:エチオピア農村社会の土地と富をめぐる力学』(世界思想社、2008年)は、エチオピア南西部の小農村社会の日常的営みから、現代アフリカ社会の変動を把握し、人間の経済的活動のもつ意味を根源的に問い直そうとする点で、現代人類学の発展に寄与する卓越したエスノグラフィーである。 本書の最大の特徴は、所有に関して人類学的視点にもとづく新たな地平を切りひらいた点にある。それは、人々の生活世界を基点として、生産と分配の現場で生起する多元的で錯綜した諸力の折衝や交渉に注目し読み解くものだ。所有については、これまで人文・社会科学の分野において膨大な研究群が蓄積されている。たとえば土地についていえば、共同所有と私的所有という区分や、後者を究極的に価値づける近代市民社会の構成をめぐる議論は、経済学をはじめ様々なディシプリンで行われてきた。しかし本書は、こうした議論の前提が、「概念としての所有」や「制度としての所有」という枠組に拘束されすぎていることを問題化する。それらは、社会のすべての個人が一元的な法のもとで権利の認定と保障を受けているということを自明とした社会認識に基づいており、本書はそれ自体がじつは自明ではないことを、フィールドからの緻密で詳細なデータによって論証する。現実にある社会のある場面で所有を実現させているのは、不確定で不規則な多元的な力の折衝・交渉であり、国家の法や「慣習法」もその交渉に使用される論理や言い分の一つに過ぎないことが説得的に示される。これは、「一元的な構造をもつ原則」に従って所有と分配を捉えてきたこれまでの議論の観点を根源的に問い直す主張であった。 こうした本書の主張は、従来の文化人類学が隣接諸分野に与えてきた、あるいはそこから期待されてきた貢献とは一線を画するものだ。これまで人類学は、非西洋世界の小社会をフィールドにして、西欧近代が樹立した価値観や制度を相対化する作業を続けてきた。所有の分野においては、私的所有でも共同体的所有でもない、社会に埋め込まれた土着の所有のあり方に注目することで、従来の視点に反省を迫ったのである。しかし本書は、こうした営みは、かえって人類学の可能性を切り縮め、逆に批判対象である西欧近代的制度を補完すると主張する。本書は人類学が、たんに近代の相対化のための知的道具ではなく、人類の日常的営みに即した社会観と歴史観を創造する知的源泉たり得ることを、人類学者以外にも理解できる平易な文章で示すことによって、経済学、政治学、開発研究、思想史などの隣接諸分野に知的刺激を与えることに成功している。 以上の理由にもとづき、選考委員会は全員一致で松村圭一郎氏の著作を澁澤賞にふさわしいものとして推薦する。
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2010年12月4日に日本工業倶楽部にて贈呈式が行われました。 | |
左から、松田選考委員長、松村氏、小野澤運営委員長、渡邊日本文化人類学会長 |
左から、小野澤運営委員長、松村氏 |