本書は、現代エジプトのカイロおよび近郊のムスリム女性たちが、ことにジェンダー・セクシュアリティの問題に関してイスラーム言説とどう向き合っているのかについて、様々な実践の場面に即して明らかにした民族誌である。また、本書が扱うイスラーム言説は、シャリーア(イスラーム法)ではなく、それに対するウラマー(イスラーム知識人)の見解たるファトワーである。人々が日常生活において直に接しているのは後者である。その意味で本書は、イスラーム言説の多元的なあり方を、女性・ジェンダーという視点から浮き彫りにした民族誌でもある。 近年エジプトでもイスラーム復興が顕著になっている。本書は、その背景の中うまれてきた市井の女性説教師と、電話でファトワーを提供するという電話相談を、主たる具体的事例として取り上げる。嶺崎は、正統なイスラーム教育を受け女性たちのために活動する女性説教師の存在が、たしかに正統イスラーム言説に取り込まれる一面があるとしても、女性たちがこれまでの抑圧的な慣習と交渉する実践につながっていると評価する。電話相談における問答の詳細な分析でも、そこが女性たちの様々な交渉の場であることを描き出す。その一方で嶺崎は、現代エジプトの法秩序の特性についても考察を展開し、それが国家制定法、シャリーア、慣習法から成る、互いにせめぎあう多元的な法秩序であることを明らかにする。 このことは、現代エジプト社会でムスリムとして生きる人々にとっては、シャリーアを個々の状況に合わせて解釈するファトワーが、非常に大きな意義をもっていることを意味する。そして上記の事例を、この法秩序の中に位置づけて考察し直すことによって、イスラーム言説がそもそも多元的で遂行的であり、その多元的な言説を女性たちは結婚や離婚などの問題に際して巧みに利用巧みに利用していること、ゆえに女性たちにとってもイスラーム言説は重要な資源であることを示す。また、イスラームのジェンダー・セクシュアリティの実相の理解にはそうした多元性に着目することが必要であると主張し、従来の単純な、抑圧されたムスリム女性というイメージを覆す。 本書は、ジェンダー・セクシュアリティをめぐる法規範や慣習の多元性に積極的に注目したという点で、エジプトのムスリム女性という事例を越え、ジェンダー研究全般にとっても寄与するところが大きい。資料のもつ限界性ゆえ考察が途上の部分も見受けられるが、女性たちを取り巻く複雑で多元的な言説状況が丁寧に提示されており、今後の展開・深化が十分に期待される。何よりも、事例の記述の厚さ、資料としての価値は特筆に値する。そして、これまであまり研究対象とされてこなかったファトワーに焦点を当てることによって、シャリーアが具体的に解釈され使われている場面を分析し、国家法や慣習法との関連も視野にいれながらイスラーム法自体がもつ多元性および遂行性を明らかにしたことは、イスラーム研究においても大きな貢献をなすといえる。 今回の選考においては、本書も含めて多くの著作が、その調査対象・手法、論述様式などに関して新たな試みを取り入れていることが印象に残った。本書は、その中でも以上の理由とともに、テーマの妥当性、調査の充実度、論証の明確性、論文全体の明晰性、文化人類学ならびに関連領域の先行研究の適切な把握、学界への貢献度などを総合的に検討した結果、最も優れていると判断した。したがって選考委員会は全員一致で、嶺崎寛子の著作を澁澤賞にふさわしいものとして推薦する。
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平成28年12月3日(土)、日本工業倶楽部において授賞式が開催されました。 | |
賞状を受け取る嶺崎氏 |
左から、杉本運営委員長、嶺崎氏、棚橋日本文化人類学会総務担当理事(会長代理) |