中村沙絵 『響応する身体 ― スリランカの老人施設ヴァディヒティ・ニヴァーサの民族誌』(ナカニシヤ出版、2017年)
推薦理由
本書は、スリランカの老人施設ヴァディヒティ・ニヴァーサでの参与観察にもとづき、そこに住む老人たち、施設外のアクター、フロアスタッフらが、施設をとりまく環境や文化装置に媒介されつつ、他者の苦悩を分有する間−身体的な関係に巻き込まれていく様相をとらえた民族誌である。
本書の何よりもの成果は、施設がおかれた歴史・社会・宗教的文脈に十分に目を配り、関連する先行研究と理論を幅広く参照しつつも、文脈化によって了解済みとすることも理論によって裁断することもなく、他でもない施設に参与する者たちが苦しみ、戸惑い、揺れ動きながら日々紡ぎだす関係性の陰翳を、繊細な筆致で描きあげたことにある。施設は、施設外の有志が日々の食事や生活必需品をダーナ(布施)することによって維持されている一方で、布施の受け手たる入居老人たちが配慮に満ちた振舞いをすることで送り手に対し功徳回向儀礼をする場でもあるという(第二部)。また、フロアスタッフにとって「死にゆく」入居者たちは、自身の苦悩を言語化することのない、その意味で理解を越えた「他者」である一方で、間−身体的なレベルでスタッフを巻き込み、自らの生の不確かさと偶有性をもいやおうなく感知させる存在でもあった(第三部)。この配慮の双方向性と生死の相互浸透は、パターナリズムや管理化を批判するこれまでの施設研究が見逃してきた点であり、本書がこうした局面について厚みのある叙述を提示したことには、高い学術的、社会的意義が認められる。
筆者は、フィールドとの出逢いが、戸惑いと違和感に満ちたものであったことを告白している(はじめに)。しかし本書は全体を通じて、入居者とフロアスタッフたちもまた、期待と後悔、希望と諦めのあいだの揺らぎのうちにあること、さらに、この揺らぎのなかにこそ、不安定だがいくつもの小さな可能性があることを提起している。この筆者とフィールドのあいだの響応は、筆者の真摯で成熟した語り口を介して、わたしたち読者をも巻き込んでいく。彼らにとってそうであるのと同様に、私たちにとってもまた、「死にゆく」人々へのケアをめぐる問いは、正解のない問いである。施設のフロアスタッフが入居者たちの苦悩に「さしあたりの」解釈を施しながらケアに従事しているように、私たちもまた「さしあたりの」解釈と実践のうちに小さな可能性を積み重ねていくしかない。そのことを本書は、幅広い読者に問いかけている。
以上の理由により、選考委員会は全員一致で、中村沙絵氏の著作を澁澤賞にふさわしいものとして推薦する。
澁澤賞選考委員会
大杉高司(委員長)、川橋範子
慶田勝彦、鷹木恵子、田辺明生 |
|