里見龍樹(著)『「海に住まうこと」の民族誌 ― ソロモン諸島マライタ島北部における社会的動態と自然環境』(風響社、2017年)
推薦理由
本書は、ソロモン諸島マライタ島北東部ラウ・ラグーンの人工島および沿岸部で暮らすアシ(海の民)と呼ばれる人々が、「われわれはどこで、どのように住まうべきなのか」をめぐって不断の揺れ動きのうちにあることを、彼らの居住=生活がはらむ緊張にみちた多層性に着目しながら描きだした民族誌である。
全体を貫くのは偶有性の概念である。偶有性は哲学分野で主題化されてきたものの、具体的な生のうちに立ちあらわれる対象として捉えられ、記述され、人類学的な問いとして提起されることは、極めて稀であった。この点から本書が、アシの人々の現在の居住=生活の内部に、それとは別様の居住=生活、すなわち、異なる場所への移動や異なる集落の形成、異なる経済生活などへの想像力がつねに潜在していることを示すことで、偶有性を人類学の主題として新たに提起したことは、挑戦的な試みとして高く評価することができる。
アシの生に内在する偶有性のあり様は、移住伝承、葬制、カスタム、漁労、農耕、植民地時代の想起などの具体から、ひとつずつ丁寧に詳らかにされていく。たとえば本島から人工島、また異なる人工島へと続く移住をめぐる伝承は、現在の居住地が偶発的な出来事の連鎖の帰結にすぎないことを語り、また、死者の頭蓋の人工島をまたいだ移送は、男系氏族の集団原理と女の移動(婚入)の個別原理とが相互に入れ子状の包摂関係にあることを示して、氏族の時間的・空間的同一性を揺るがしているという。さらに、人間を越え、モノや自然環境もまた、彼らの生活の非決定性を徴づけ、過去から未来へわたる想像力のあり様を特有の仕方で枠づけている。使われずに捨て置かれた漁業組合跡地、いつまでも完成しない教会、人工島の茂みは、過去の出来事の物証であるばかりか現在の居住=生活への困惑を生みだし、漁労や焼畑農耕で手をつけずに残される自然環境の「余白」は、経済の現状への両義的評価とかかわりつつも、異なる未来への展開可能性を想起させているという。
筆者は、偶有性という捉えがたい対象を、先行するオセアニア研究との対比を明確にし、かつこうした具体的記述を積み重ねていくことで、鮮やかな輪郭をもって浮かびあげることに成功している。本書はまた、モノや自然を含みこんだ「存在論」のひとつのあり方を高い完成度で提示しており、人類学のあらたな探求の地平の実り豊かさを、読者に確かに予感させている。
以上の理由により、選考委員会は全員一致で、里見龍樹氏の著作を澁澤賞にふさわしいものとして推薦する。
澁澤賞選考委員会
大杉高司(委員長)、川橋範子
慶田勝彦、鷹木恵子、田辺明生 |
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