本書は、北東アフリカ・スーダン地域のヌエル社会における予言者の歴史的生成過程を明らかにするとともに、内戦後の南スーダンに暮らすヌエルの人びとが、予言を通じていかに歴史的出来事や身の回りの出来事を語り、解釈し、理解していったのかを描き出した優れた民族誌である。ヌエルの人びとのあいだで1世紀以上ものあいだ語り継がれてきた「予言者ングンデンの言ったこと」は、民族集団の境界を越えて広く流通し、多くの人びとの言動に影響を与えてきた。それらの予言は、植民地支配、内戦、新国家独立、そしてさらなる紛争を含む大きな社会変動や政治的動乱のなかで生きてきた人びとが自らの運命や希望を語るすべとなってきたことを、本書はさまざまな視点の絡み合いに目を配りながら、生き生きと描写する。 著者は、予言とその信念を、特定の文化体系における信仰やコスモロジーに還元するのでなく、西欧社会や近隣諸社会との宗教文化的交流や国家の政治軍事情勢の歴史的動態のなかで生まれ変容してきたものとしてとらえる。つまり、予言は、絶えざる社会変動のなかで生じる変化や、そこに現れる外部を自らにとりいれつつ、新しい状況や他者との出会いを自己自身の経験として理解し納得するための、想像力の働きをもたらすのである。それは、経験の隠された領域への気づきを開き、新たな現実の探求へと人びとを向かわせる。 予言は人類学にとって、そしてとくに東アフリカをフィールドとする民族誌にとって、いわば古典的なテーマである。しかし本書の議論はまったく古めかしさを感じさせないどころか、現代世界の課題とまっすぐにつながりつつ、新たな展望をも示すものとなっている。著者は、人間の想像力は、いわゆる伝統社会だけでなく、不確実性に満ちた状況のなかで自らの生を模索する近現代世界においてこそ重要な役割があることを説得的に示している。新たな出来事に直面したとき、既存の現実を疑い、他者の見方を想像しながら、世界を語ろうとすること。そこから新しい生のヴィジョンが生まれてくることを、本書の豊かな叙述は気づかせてくれる。これは、紛争の絶えない南スーダンでの長期フィールドワーク、また各地での歴史資料の渉猟をつうじて、多様な視点から現れる世界の諸相の複雑なからまりあいを著者が丹念に追いかけて記述したからこそ可能になったものである。本書はその意味で、人類学的知の現代的な可能性を新たに示唆するものであり、高く評価できる。 本書は読み物としても、読者を引きこんでいく圧倒的なパワーにあふれている。それは、著者が、現代世界に生きるひとりの探求者として、真摯に問いを提出し、それに答えるために、さまざまな場所に赴き、多くの人に会い、自らの経験を通じて考え抜こうとした知の軌跡が、本書にきわめて印象的な形で刻まれているからではなかろうか。読者はいつしか、その困難で曲がりくねった知の旅路を著者と共に歩いているかのような感慨をもつ。本書は、著者の真摯な問いにもとづき、豊かな感性と鋭い洞察力で、ヌエル社会の過去と現在また文化と政治を、予言の働きを軸に、その多面性や複雑さを犠牲にすることなく一貫したものとして描くことに見事に成功しており、その民族誌的な達成度はきわめて高い。 以上の理由により、選考委員会は全員一致で、橋本栄莉氏の著作を澁澤賞にふさわしいものとして推薦する。
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令和1年12月7日(土)、日本工業倶楽部において授賞式が開催されました。 | |
賞状を受け取る橋本氏 |
左から、清水日本文化人類学会会長、橋本氏、杉本運営委員長 |