公益信託澁澤民族学振興基金運営委員
本書は、近代日本における養蚕業の展開過程を、養蚕に係わる女性の身体と信仰的世界、そこで働く民俗的想像力にまで踏み込み、立体的かつ批判的に描いた労作である。 二部構成を採る本書の第一部では、明治政府設立期から昭和初期にかけて、日本の養蚕業が国家主導で段階的に近代産業化していく過程を、優生思想や皇室、国家イデオロギーとの関わりを含めて追う。製糸業が工業化され、蚕種も国家により科学的に管理されるようになった反面、養蚕業自体は工場労働化されることなく、個々の家において、主に女性によって行われ続けたことがあわせて指摘される。第二部では、明治以降の国家神道の体系の中で否定的な扱いを受けつつも広く信仰され続けた蚕神・金色姫を巡る民俗の歴史を、多様な資料を読み込みつつ辿っていく。とりわけ、蚕や繭のマテリアリティと、養蚕を実践していた女性たちの身体との関わりを、蚕の成長過程にそって生き生きと丹念に描き、金色姫への信仰が女性たちに対して担った機能をも浮かびあがらせた第七章は、本書の白眉であろう。 本書は、経済史を中核とした養蚕業に関する豊富な研究と、養蚕に関する民俗調査の蓄積とを、個々の農家で養蚕を営む女性の身体への着目によって結び付け、蚕書や関連する文学作品の詳細な検討や蚕神の図像分析等で補強しつつ、近代養蚕業に新たな形で描くことに成功している。蚕農家で行ったフィールドワークで得た、感覚的な側面を多分に含む経験と、それを元手にした資史料の読み込みが、国家による統制と民俗的想像力の双方を視野に入れた記述の背景にある。21世紀に入ってからの養蚕農家における調査の経験をこうした形で用いうる根拠もまた、本書内に示されている。 本書は、「感覚の人類学」的観点から書かれた喚起力豊かな歴史民族誌であると共に、日本研究における膨大な先行研究や民俗資料の蓄積を、文化人類学的観点から分析する可能性を改めて示しており、様々な立場の研究者から長く参照されていく作品となるであろう。 以上の理由により、選考委員会は全員一致で、沢辺満智子氏の著作を澁澤賞にふさわしいものとして推薦する。
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2021年12月4日(土)、Zoomにて授賞式が開催されました。 |
賞状とメダルを手にする沢辺氏。 |