公益信託澁澤民族学振興基金運営委員
本書は、ベトナムの少数民族「クメール人」に焦点を当てたメコンデルタの近現代史を、多彩かつ豊富な資料を用いて詳細に論じた労作である。序論以下、4部構成により脱植民地期からベトナム戦争期、社会主義改造期、そしてドイモイ期という、20世紀半ば以降の激動の時代を生きたベトナム南部ソクチャン省の一行政村を舞台に、さまざまな次元での齟齬、軋轢、折衝を含む人々の生きざまを描き出している。国家間、民族間の対立や国家統治をめぐる大きな変化と国家の末端に位置する多民族混淆地域におけるダイナミズムを丁寧に重ね合わせ、関連文献、多様な文献史料と異なる政治的・民族的背景を持つ現地の人々の証言を縦横無尽に駆使することで、まさに地に足のついた歴史の再構成を試みた作品であるといえる。国内外の人類学者による先行研究を渉猟しつつも、それらを単純に批判するのでも、出来上がった議論にただ乗るのでもなく、現地調査を通じて集めた膨大なデータ(20世紀前半に生まれた人々や、正規の歴史には記録されなかった人々の声)を用い、最後に「周縁」ではなく「余白」を使う意義を示す論述には説得力がある。 骨太でかつ通時的な課題設定であるゆえに、一見、民族誌というより歴史研究、あるいは地域研究と受けとめられうる著作ではあるが、相次ぐ戦争や変遷する国家政策に翻弄されつつも、国家のはざまでしたたかに、生き残りをかけて生を紡ぎ続けてきた人々の姿を生き生きと伝える本書は、たしかな民族誌的視点と長期にわたる現地調査の賜物であると評価できる。近現代史特有の、生々しい証言を得るにあたっての困難もあったと想像されるが、住み込み調査という手法であればこそ得られたオーラル・ヒストリーの成果が生かされている。章ごとの扉や豊富な図版に添えられた説明文も、複雑な政治地図に対し、大きな絵を描くだけでは見えてこない、人々の日常に即した理解を助けている。 以上の理由により、選考委員会は全員一致で、下條尚志氏の著作を澁澤賞にふさわしいものとして推薦する。
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2022年12月3日(土)、Zoomにて授賞式が開催されました。 |
賞状とメダルを手にする下條氏。 |