公益信託澁澤民族学振興基金運営委員会
本書は、パプアニューギニア高地のエンガ州サカ谷に居住する人びとを対象に、「人格論と社会性」(personhood and sociality)という、社会/文化人類学のみならず、人文学と社会科学にとって根本的な主題と正面から向き合った、骨太で意欲的な優れた民族誌である。本書は、約2年間にわたって実施されたフィールドワークに基づいている。著者が「あとがき」で述べているように、フィールドワークの「手触り」は、人類学者自身は身体では分かっているが言葉で伝えるのは難しい。本書はそれを読者に説得的に伝えることに成功している。著者が当初よく理解できなかった、エンガ語の「重み」や「心臓」という民俗概念を手掛かりに、怒りという感情や、個人間と集団間の紛争にわけいっていく過程を追体験することにより、読者はまさに民族誌を読むことの醍醐味を味わうことができる。理論的な目配りが十分に行き届いていること、そしてそれが民族誌のテキストに適切に埋めこまれていることも、本書の優れた点である。 とりわけ、難解なことで知られているマリリン・ストラザーンの著作を徹底的に読みこみ、自家薬籠中のものとしつつ、「内在的な社会性」と「社会的身体」という概念を梃子として、その乗り越えを目指している点は、高い評価に値する。「自立した個人」と「全体的社会」のいずれも所与の前提とするのではなく、人格、身体、そして社会性が生成していく契機と過程を明らかにしたことは、見事であると言える。これは、著者が「序論」で述べているように、人類学者と調査対象である「他者」とのあいだの不断の相互作用の結果であり、その成果は、「他者」だけでなく人類学者の創造性も主題化することになった。「あらゆる人々の創造性を解き放つ」という著者の壮大な意図が、完全には実現していないにしても、たんなるスローガンに終わっていないことは、社会/文化人類学の新たな成果として特筆されるべきである。 以上と密接に関連するが、本書は、贈与論、血縁関係、紛争研究、植民地支配といった重要な主題についても、民族誌的事実にしっかりと依拠しつつ、説得的な議論を展開している。こうした主題に関心のある研究者にとって、本書は今後参照すべき著作となることと考えられる。 以上の理由から、本選考委員会は全員一致で深川宏樹氏の著作を第50回澁澤賞の授賞にふさわしい業績として推薦することを決定した。
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2023年12月2日(土)、日本工業倶楽部において授賞式が開催されました。 | |
賞状を受け取る深川氏 |
左から、栗本選考委員長、杉本運営委員長、深川氏、真島日本文化人類学会長 |